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ILH代表黒部のブログ

ソチ冬期オリンピックと英語

ソチ冬期オリンピックも終盤戦をむかえている。日本選手もがんばっている。しかし世界の競合の中で苦戦しているのも事実かもしれない。苦戦しているのは競技ばかりではなく、各国選手とのコミュニケーションも同じ状況のようだ。ある外国のメディアの記事だと、日本選手は相変わらず日本人同士で固まる。選手だけではなく、選手団と同行するコーチや役員たちも日本語で固まる。この日本人の団子状態は、オリンピックに限らず、インターナショナルな場面ではよく見る光景である。多少英会話ができても自分から進んでコミュニケーションをとろうとしない限り会話の中に入っていくのは難しい。これに関してはいくら英会話学校で会話力ができたとして「外国人と公で話す」という経験値が必要となる。
まず話題をどうするか。いきなり”My name is 〜”ではだめで、まずは”Hi, May I introduce myself”ぐらいから入っていく。
ビジネスカードがあれば助け舟になるが、無ければ”I am a member of Japanese team”ぐらいから始めたい。自分から話かけるのは度胸がいるようだが、慣れてくるとゲームみたいなもので次の会話の輪にサーフィングするといったことが自然にできるようになる。オリンピックのレセプションは知らないが、国際関係のレセプションでよく見るのが日本人が団子になっているところに外国人が話しかけてくると、そこにいる全員が飲む、食べるを突然辞めてしまい、直立不動状態で外国人の話を聞くだけになってしまう。その中で英語がはなせる人だけが外国人と対応しているのだが、他の人たちはうなずくばかり、多分話しの内容などわかっていない。私の知る限り、今でもこのような光景はどこでも目にする。
話をソチに戻す。英語力のある選手は日本人にも増えて来ている。ただその背景には技術をマスターし、磨きをかけるために海外留学や遠征を繰り返している現実がある。これには莫大な資金が必要で、つまり語学力にもかなりのお金がかかっていることになる。また若いうちから海外に出ても、外国社会でのマナーや節度を同時に経験できないと、会話だけが一人歩きをしてしまう。私が常に幼児教育の大切さを思うのはこの部分で、もし日本選手が幼い時から語学力とともに国際社会でのマナーや日本人としての礼節さを教え込まれていれば、会話力がつくと一緒に、自然な形で国際社会への対応の仕方も身についていることになる。
選手が金メダルを受け取るとき、渡す側から必ず一言声をかけるのは英語だという。そのときに”Thank you”だけではなく、自分の気持ちを素直に表現できるぐらいの英語力と、それにふさわしい態度が今後日本人選手にも望まれていいのではないだろうか。

ランゲージハウスの教育方針 4

バイリンガルスクールでは日本語と英語、その両方をその柱としている。この二つの言語を教えるにあたって、文化的、また精神的なアプローチが大切になる。例えばAppleとリンゴを教えるとする。レベルの低い教え方は、フラッシュカードを使って「はい、リンゴは英語でApple, せいの〜アップル」といった英語塾的な方法。これだとリンゴは世界に一種類で、日本のリンゴも海外のAppleも同じ味で同じ色だと認識してしまう。一方日本のリンゴの生産地や形、色、味などを、時には実際に味を見ながら説明し、海外のAppleは実物がなくてもインターネットなどでビジュアルに教えていく。実際海外のリンゴはもっと野性味を帯びていて、形も不揃い、色もグリーンからイエロー、時には紫まで色々である。またAppleの利用方法もいろいろで、パイからハーブティー、ジャムや時には料理にも使われる。これを総合的に教えてあげると、一つのリンゴから100の知識が得られる事になる。ランゲージハウスの教育目標の一つである「グローバル社会に強い力」とは、まさにこのような多角的な教育である。20年ほどまえまではインターナショナルスクールの価値は高かった。なぜなら一般的な英語教育の価値が高かったからで、まさに英語ならなんでもよかった時代である。しかし今は違う。英語プラスである。「英語ができる」という基準が「英語で考える」に変わってきた。これを可能にできるのは、幼い頃から立体的な教育、つまり体感的、経験的教育を受けていないと対応できない。小学校から英語をやればなんとかなる、中学からでも遅くないと言う人は多い。確かに英会話だけならできるかもしれない。しかしこれからのグローバル社会で、英会話だけできても英語プラスにはならない。
昔から多くの教育学者が「無駄と思うところが一番の教育。」という。私自身これをとても面白いと思っていて、例えばリンゴ皮をお風呂に入れてみるとどうなるか、Appleとリンゴはどっちが美味しそうに聞こえるか、リンゴは千切りにすると味が違うか等々である。
繰り返す。バイリンガル教育で大切なのは、それぞれの言葉の心と、文化の背景である。だから教える方は時間がかかるし、それなりの努力もいる。だから少人数でないと難しい。でもやりがいのある仕事である。

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