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ILH代表黒部のブログ

キューバの街角から

キューバの街角から。
 社会主義の人々の生活を見てみたいと思ってキューバに来た。革命で有名なカストロは存命で95歳になるという。ただ町中で見かける写真は、そのほとんどがチェ・ゲバラのもので、そこには「私たちはあなたの革命精神を忘れない。」と書いてある。学校でも朝礼の時間には「私たちキューバの若者は、あなたの革命精神を受け継いできます。」というようなフレーズを唱える。偶像崇拝が禁止されているキューバでは、キリスト像よりゲバラ像がその変わりを果たしているようにも見える。
日本で過去の人に礼を唱えると、軍国主義打とか、教育の押しつけとかで反論する人が多いが、ここキューバでは素直にゲバラ精神を受け入れていて、道徳のような形で教育にも活用されているところが頼もしい。
キューバでは大学までの教育は無料である。街には茶色いズボンやミニスカートを履き、白いシャツに赤いスカーフをまいた学生が目に付く。これは小学生らしいが、とても行儀がいい。美術館で課外学習に来ていた生徒達に出会ったが、生徒もさることながら、引率する教師もしっかりしていた。
なにがしっかりしていたかというと、生徒達が教師をリスペクトしていて、話を良く聞く。教師の口から一度も「静かにしなさい。」とか「並びなさい。」「おしゃべりはしない。」などといった、日本でよく教師から聞かれる言葉はほとんど耳にしなかった。教師の外見はボブ・マレー風だが、絵画の前で説明を始めると、生徒はそれに聞き入っていて、教師から質問があると、静かに手を上げて質問に答えていた。街中でも多くの学生を見かけたが、どの学生も礼儀正しいという印象が強い。またそれ以上に教師達にプロ意識を感じた。教師という職業は、この国では優遇されている。将来を担う子供達を教育する重要な仕事という地位がしっかりとしている。以前ハバナ大学で教鞭をとっていた73歳の女性の話では、教師の給料、恩給などは他の職業より優遇されているという。
 この国にはマクドナルドも、KFCも、スタバも無い。そのせいか、以前アメリカで見たキューバ人と、ここでのキューバ人とは違った人種にさえ見える。社会主義国は物が少ない。商店には物がないといっても過言ではないが、2009年あたりから商業の自由化が始まり、個人商店も少しづつ増えてはいる。
ただ、アメリカのショッピングモールのようなところが全くないので、マテリアルガールやボーイは少ない。携帯電話もあるにはあるが、どこかの国のようにバスや電車を待つときにメールに釘付けになるような光景はない。逆に他人同士の会話がまだ多く存在する。色とりどりのTシャツやドレスをきた人たちがバス停に並び、おしゃべりをしている。日本で見られない微笑ましい光景でもある。大声で喚き立てる者もいなければ、物乞いもいない。立ち食いもいなければ、ぐずる子供もいない。みな今自分のいる状況を理解し、受け入れているようで、すがすがしささえ感じる光景である。
 以前、西サモア島を訪れたときに感じた、アメリカの無い文化、つまりアメリカンサモアとの大きな違いを街の若者に感じたことがある。おなじような感覚をここキューバでも感じている。キューバという国がアメリカと今は無いソ連という大国の狭間で味わった屈辱が、キューバ危機から50年たった今でも若者に受け継がれているように感じるのは、教育を無償にし、文盲率0%にした、この国の教育が果たした役割が大きいと思う。どの村にも学校があり、街の子供達と同じ制服で登校している。アメリカからの経済封鎖を受けても、砂糖という心細い輸出物資と観光事業で食いつないできたキューバが、グローバル化した世界を相手にどう対応していくか、その一つのキーになるものは明らかに教育ではないかと考える。将来を担う子供達に教えるというパッションを持ち、社会にリスペクトされている教師がこの国にいる限り、キューバの将来は暗くはないと考える。

英語の効用

先週久しぶりに大学の先輩がランゲージに遊びに来た。一人は国際機関で働き、もう一人はメーカーの海外事業部長として働いている。本来なら定年間近というところだが、語学力を武器に会社では重宝がられ、いまだに現役で頑張っている。
我々の学んだ外国語学部英語課というところはおもしろいところで、クラスが男女に分かれていた。理由は女性のほうが勉強熱心で活発、男子が萎縮してしまうとかだったが真相のほどは確かではない。ただ早慶に比べると上智の男子は昼行灯で、自己アピールに欠けると週刊誌には書かれてた。理由の一つには女子クラスの半分は帰国子女、他は私立お嬢さん女子校出身者、いわゆる女子のエスタブリッシュメントみたいな人たちの集まりで、まじめで優秀。私のような都立高校出身者でいきなり外国人神父の教える英語オンリーのクラスにうろたえるのはクラスで二人だけだった。男子はというと地方有名高校からの推薦入学が多く、後は浪人者。全体的に地味で昼行灯といわれても仕方ない。でもその昼行灯達が社会に出ると思いのほか活躍している。彼らの武器は語学なのだ。海外事業部長の仕事は、海外支店でいい加減な仕事をしてる外国人に喝を与える事らしが、現場を取り押さえて客観的に業務を評価、そして注意を与えていくにはそうとうの語学力と人間力が必要だ。国際機関の方は、相手が中国で想像を絶する人間との取引。中国人は好きだが中国は嫌いと言い切る。中国語、英語と二つの刀を武器にしないと戦えない相手だという。最近は敵もさるもの、日本語を話せる中国人が多く、それを切り返すには英語で対応するのだという。この二人の先輩以外にも、年に一度宴会を開く仲間は、北海で採掘している男、宇宙航空の未来を営業している男、大手自動車メーカーの常務など、学生時代の地味さとはかけ離れた派手な活躍をしている。どの先輩にも共通していえるのは、世界と戦える語学力を持っていることだ。もちろん大学時代に学んだ英語力がすべてではないが、地味な中にも着々と実力を蓄えていくことを知っている男達が多かった。逆に女子の方は一流商社に就職した人たちは沢山いるが、一般職なので、結局結婚を境に退職、キャリアから身を引いてしまう人たちが多い。同時に英語からも遠ざかる事になり、元帰国子女で英語を当時のまま維持している人はわずかである。
先輩の多くはバブルを経験し、いやな思いもしている。が、そこに語学があったのでかろうじてバブル崩壊から身を守れ
現在の地位を築いている。
「うちの実家は広島でテイラーをしてるけど、この仕事はすでに過去のもの。大手紳士服屋に勝ち目は無く、もし今も広島に残っていたらと思うと、高校生のときに頑張って留学したのが幸いだった。外国にあこがれ、英語にあこがれ、それが飯の種になった。」と一人の先輩は言う。さて、今の若者達がどれくらい英語に憧れられるかは、どれくらい英語が好きになれるかにかかっているかとも思うのだが。これは学校だけの英語ではとても補えないものと心配している。

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