• お問合せ
  • facebook
  • twitter
  • youtube
  • entry
ILH代表黒部のブログ

黒部さん家の教育事情 2014/12/27

ブログ読者の皆様、2014年もランゲージ?ハウスを応援していただき本当にありがとうございました。2015年も皆さんの子育て、子供達の教育に役立つようなストリーを書いていきます。ご期待ください。

さて、次号でご紹介したGod motherのMargretおばさん、公営の冷たい温水プールで泳いでいた姿とは裏腹に、実は凄い資産家だったというお話から始まります。

ここのプールの水は緑色で入水するにはかなりの勇気が必要だ。だいたい普通の温水プールはさわやかな水色で、見た目にもふんわりと泳ぎたくなる色をしている。が、緑色となると話は別である。それも濃い緑色である。魔女の作るスープのような色をしている。それでも泳ぎたいと思った。ニューヨークに来てからの想像を絶する寒さに圧倒されてアパートから出る事すらおっくうになっていた。ところがある日主人が国連本部の近くにあるホテルの温水プールに連れて行ってくれた。そこには当時流行していた毛皮のコートの身を包んだニューヨークのマダムたちが、ブランチの前のひと泳ぎを楽しんでいる。こんな光景を日本では見た事がなかったので「わっ、これぞニューヨークだわ!」と思い込んだのがそもそもの間違、実際そんなホテルスポーツクラブの会員になるには最低でも月10万円は払わなくてはいけないし、そういうところでの泳ぎはあくまでもエレガントでなくてはいけないようだった。私はこの2つとも持ち合わせていなかった。つまり、この緑色のプールを選んだのはNo choice だったのだ。もしMargretが私より先に泳いでいなかったらたぶん緑色には縁がなかったかもしれない。
Margretと最初に話をしたのは更衣室だった。プールから上がり、もう体はアイスキューブのようになっていた。シャワーだけは温水が出てくれた。Thank god this is America!である。更衣室には私とMargretの二人だった。いきなり” where are you from ?”と尋ねてきた。そのころの私はいきなり英語で質問されるとパニクルぐらいに英語が下手だった。” I am from Japan”とか言ったかと思う。Margretは続けざまに” Your English is horrible, so this is my telephone number, you should call and visit me”とトイレットペーパーのような紙切れに
電話番号が書かれていた。紙が濡れているのと、本人がシャワーから出たばかりで濡れていたのとで、(ひょっとしたら気違いばあさんに捕まったかしら?)とも思ったが、Margretの目があまりにも純粋で奇麗だったので”Thank you, I will call you”と言ってしまった。それでも実際に電話をかけるまでには数週間を要した。当時はEmailのない時代。電話で英会話ということに抵抗を感じていた。日本人だからとかく構えてしまうのだ。私も例外ではない。でも冬のニューヨークを友達なしで過ごすのはあまりにも寂しすぎた。思い切って電話をした。
彼女との最初のデートはニューヨーク市自然博物館だった。Margretの提案だ
った。その日は雪でどんよりと曇った空ダッタ。自然史博物館はパークウエストの80丁目ぐらいにある世界でも屈指のNatural history museumである。
Margretは、私に世界で一番大きなダイヤモンドを見せたいと言った。

黒部さん家の教育回顧録 ゴッドマザーとの出会い。

黒部さん家の教育事情

次女の転校先はthe brearley schoolという女子校だった。もちろん次女が望んだわけでもなく、Horaceman が男女共学のトップ校なら、Brearleyは女子のトップ校だった。1884年にMr. Brearleyが”took the bloom from ladies”
(帚から女性たちを解放しよう。)というスローガンを掲げた。男性であるにも関わらず1800年代に女性を家事から解放し、兄弟と同等の教育を受けられる学校を作ろうというBrearley氏の考えは国の将来を見据えたものであった。

さて、なぜ私がこの学校を知る事ができたかというと、ちょっと話が長くなる。が、話の主人公がニューヨークの黒部家に非常に大きな影響を与えてくれた女性であるので紹介したい。
彼女の名前はMargret Cululli, マンハッタンのイースト42丁目にあるテューダーシティーという高級アパートに住んでいた。アイリッシュ系の彼女はでイタリア人の貿易商であるご主人との再婚で裕福な生活を手に入れた。その後ご主人が亡くなり、その遺産で悠々自適な生活を送っていた。とわかったのは知り合ってから数ヶ月してからだ。彼女と出会ったのは街の公共プールだった。ニューヨークの公共プールというとスポーツジムなみのものを想像するのだが、
当時ニューヨーク市の財政難から、ほぼ真水に近い水温と、多分頻繁には取り替えられない水の事情から、色が緑色で魔法使いの池で泳いでいるといっても不思議はなかった。そんな場所で彼女と出会った。
私がニューヨークに渡ったのは1月だった。この街の冬を甘くみていた。とにかく寒い。道を歩いていても10分もすると手足がガチガチにつめたくなるし、鼻はでるし、耳は凍り付く始末、ニューヨークの街を散策などというわけにはとてもいかなかった。かといってスポーツジムに通うにはお金がかかった。当時Manhattan racket clubというスポーツジムがあって、いわゆるキャリアウーマンたちがこぞって通っていた。私も「入りたい!」とそのジムの前を通るたびに思っていたが、入会費500ドルは無理だった。そこでイエローページと呼ばれる電話帳(当時はネット検索などない)で、公共のジム、それもプールつきのを探したらイースト54丁目に一件見つかった。それも無料。自分でロッカーの鍵だけを持参すればいい。よっしゃ!という気分で行ってみると黒人のお兄ちゃんが受付に立っていて何言ってるんだかわけがわからない。ニューヨーク人はとかく早口だが、これに黒人アクセントが加わると初心者には理解が難しい。たぶん水は冷たいよぐらいなことを言っていたのだろう。ジムの内部は薄暗く、スリやたかりが出て来ても不思議は無い雰囲気である。でもそのくらいでひるんでいてはプールまでたどり着けないと、勇気をもってロッカー室に入った。ロッカーといってもその半分はドアがなかったり、ノブが壊れていたりしていた。そして誰もいない。私は急いで着替えプールに向かった。
これでプールに人がいなかったらどうしよう!泳いでいる間に下着を盗まれたらどうしよう!プールでレイプされたらどうしよう!とろくな考えが浮かんでこない。よっぽど帰ろうかと思ったが、外の寒さを考えて思いとどまった。
プールには人がいた。1950年代を思わせる水着姿で泳いでいる女性がいた。
それも淡々と笑顔で泳いでいた。彼女がその後子供達の名付け親になるMrs. Margretである。(つづく)

PAGE TOPへ