黒部さん家の教育回顧録
黒部家の教育は幼稚園ではなくベビーシッターからスタートした。といってもナニーのようなプロのシッター兼家庭教師がいたわけではない。アメリカでは12歳以上のティーンエイジャーにアルバイトで子守りをたのめる。長女を出産して2週間目からベビーシッターを頼んでオペラを見に行ったが、この時も16歳の子にシッターをお願いした。今考えるとちょっと無謀だったかもしれないが。
なぜ、ベビーシッターから教育がスタートしたかというと、子供達が彼らから学んだ事がたくさんあった。特にしつけ。例えば汚い言葉を使ったときにはシッターが石けんを持ってきて、本気で口の中に押し込むふりをする。これは実に効果のあるしつけで、子供達にとって、自分の言った言葉がどれくらい汚いものなのかを、身を以て体験、反省する機会となる。またある時はおままごとをしながら、本物のお金を使って子供達に買い物ごっこをさせる。当時一番下が3歳だったが、1セント玉を握ってPenny, Pennyと言いながら買い物に夢中になっていた。学校ごっこも子供達にとっては最高の楽しみで、生徒がベビーシッター、先生が子供達、壁に模造紙を貼って黒板の代わりにしての学校もどきである。生徒役のシッターはわざと本を読めない振りをして、”Can you read this book please!”と先生役の子供達にお願いすると、子供達は一生懸命に本を読もうとする。なんといっても先生なのだから。
海外での子育て中、日本からau pairオーペアーを採用した。ヨーロッパで発達した住み込み条件付きベビーシッターである。条件とは住むところと食べるもの、そしてお小遣い(給料ではなく)を提供するかわりに、ただでシッターをしてもらうというシステムである。主人の国連勤務が幸いして、シッターにビザを与えることができた。アメリカには他にも民間のオーペアーエージェントがあり、国内はもとより、ヨーロッパなどからオーペアーガールを希望する若者は多い。黒部家も計4名のオーペアーを日本から受け入れた。目的は子供達の日本語上達のためだった。ただ初代は高校を卒業したての女の子で、英語もからっきしだめ、元気だけが取り柄という、私にとっては子供が一人増えたようなものだったが、今でもその子とは当時を振り返りながらのおつきあいをしている。子供達と一番よく遊んでくれたのは宮崎県出身の大学生で、特にスポーツには秀でていた。当時ローラーブレイドが大人気で、この青年はこのブ
レイドでマンハッタンからJFK飛行場のある車で40分の距離を、1時間ほどで完走するという特技?を持っていた。次男は彼のローラーブレイド教育をしっかりとうけ、4歳で滑り台からローラーブレイドを履いて滑り降りる事と、セントラルパークを15分で横切る事を学んだ。もちろん擦り傷は絶えなかったが。
残念ながら、こんなにおもしろく遊んでくれる、それも子供達のためになるシッターはそうめったにいるものではないと思うが、おかげで黒部家の子供達の幼年時代はFantastic! であったことに間違いはない。教育とは学校だけではないということを実践した数年間であった。(つづく)
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