子供のしつけ
ランゲージ・ハウス幼稚部では年長組のお泊まり保育がある。園児たちにとっては友達や先生との楽しい思い出を作ることが目的であるが、私にとっては3年の間に園児たちがどのように成長したかを、同じ屋根の下で確かめることが目的である。
この一泊旅行のコースは、油壺にある「小網代の森」での自然散策から始まる。
ここでは外国人講師とコミュニケーションを取れるか、どのくらい自発的に自然の中から興味あるものを発見できるかがポイントとなる。今年は冬のお泊まりだったこともあり、冬の林でどれくらい発見ができるか気になっていたが、小さい昆虫や植物を見つける子供の特技は季節を問わずに凄いことを見せてくれた。昼食はシーボニアヨットハーバーにあるレストランでのフォーマルなセッティングの中で子供たちのマナーを観察する。ここには一般のお客様もいるので園児たちはそれなりに緊張している。真っ白なテーブルクロスに銀のフォークとスプーン(安全を考慮してナイフはNGとなっているが、小学生になったらナイフとフォークに挑戦してもらいたい)が置かれ、係りの方が丁寧にプレートを配膳してくれる。園児が守らなくてはいけないルールは「ありがとうございます。」と「~ください。」英語ならThank youとPleaseだが、日本人同士なので丁寧な日本語を使い、またお友達同士の会話も大声を出さないこととなっている。このように書くと堅苦しい昼食会のように聞こえるが、きちんとした環境で食事を楽しむという習慣がつくと、食そのものへの関心も高まる。例えばいつもは手づかみで食べているフレンチフライ、園児たちにフォークで食べた時の味を聞くと、もっとジャガイモの味がするという。マクドナルドとの違いがわかってくれれば嬉しい。そして、大人にも難しい、というより日本で習慣化されていないのがナプキンの使い方である。口の周りをクワンクアンにさせておしゃべりしている大人をよく見かけるが海外では顰蹙をかう。少なくともランゲージ・ハウスの園児たちには良い習慣を付けてほしいので私もかなり口うるさく言う。食事も中盤に入ってくると自然にナプキンが使えている子供がいることに気がつく。やればできるである。
ホテルでは合宿所さながらの大騒ぎとなるが、布団を運んだり、それぞれの荷物をきちんと整理したりするのは日本人保育士の指示で行われる。家族で旅行をするときは自発的にはしないと思われるタスクを与える。できないと言って放り出すのは勝手だが、自分の身の回りのことができなければ次のアクティビティーには参加できない。
夕食は一般客もいる所でのビュッフェ。子供達にとっては好きなものを好きなだけとっていいといっても、いざたくさんの食べ物が目の前に並ぶと見る方に忙しく、5、6歳児では食べ物に対する欲がない。食べられるだけの量をとる子がほとんどである。これが大人だと、パスタの上にパンが乗っかったり、刺身の横にローストビーフがきて、その横にデザートが置かれたりと、食欲ではなく明らかに物理欲の塊と思われるプレートを持って右往左往することが多い。マナーもへったくれもなくなる。
夕食後は一人¥500を持って売店で買い物をする。目的は家族への贈り物ということになっている。子供達に消費税のことを説明しても理解が難しいが、
¥500ぴったりのものが¥540になる現実を体験してもらい、お店の人に「これは消費税ですよ。」と言われた方が社会学習になる。昔は街の商店街のおじちゃんたちがお金の使い方や払方を教えてくれたが、今のコンビニはあまり教えてくれない。将来世界のどこかで買い物に遭遇し、自分の言葉で買い物できなければ生きていけないことを体験してほしいと思う。
就寝前の一大アトラクションはランゲージ・ハウス恒例のお化け屋敷である。
保育士と外国人講師が練りに練って作るお化け屋敷には、園児二人が組になって部屋に入る。一番怖いのは、ロングヘアーの外国人がザンバラ髪になり押入れの中で懐中電灯を顔に照らし薄ら笑いを浮かべる瞬間だと子供達から聞いたが、私も背筋に寒いものを感じた。
さて、子供達との旅を通して見えてくるのが、家でのしつけである。一年365日を家庭で過ごすのなら、幼稚園はたったの230日ほど、確かに一日に過ごす時間は長いとはいえ、幼児にとって家庭での時間はあらゆる意味で影響力が多い。結論から言う。時間がかかっても、イライラしても、電車に間に合わなくても、子供ができそうなことに親は手を出さないと言うことである。子供に「できない。」と言われても「教えてあげるからやってごらん。」と言う態度で挑むことである。私もそうだったが親はなぜだかいつも焦っている。まして「できない。」と言われると「では、私が」と反応する。これが2年3年経つうちに気がつくと何も一人でできない子供が育っている。
もう一つは挨拶である。自発的に挨拶のできる子は少ない。園内ではできるのに公共の場に出るとできなくなってしまう子もいる。私は挨拶というのは「気遣い」の一つだと思っている。他人を気遣えば自ずと声をかけたくなるものだ。自分のことばかり考えていると人のことはどうでもよくなる。海外では見知らぬ人でも朝道であったらGood morning、しかし日本人は皆下を向いてマスクをして歩いている。外国人からすると異様な光景だが日本人は普通だと思っている。下を向いていては挨拶などできるわけがない。親が下を向いて歩けば子供も下を向く。親の影響力は大きい。
しつけは長い人生のほんの短い期間でしかできない大切なことである。それもある年を超えると有効ではなくなる。特に幼児期のしつけはダイヤモンドの原石をカティングし磨に等しいと思っている。ランゲージ幼稚部はしつけを重んじる、がしかしそれが習慣となって家庭で継続されない限り意味がない。学校と家庭の協力体制の重要性を感じている。
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