13年目の入園式
ランゲージ・ハウス幼稚部は今年で13年目を迎える。今日は13期生の入園式だった。12年前の今頃、2人の園児の入園式を行なった。保育士はミチヨ先生、外国人講師はキース・キングだった。園児は男女一名づつ、2人とも英語リトミックの北軽井沢(横浜)クラスからの子供達だ。当時私は出張形式での英語リトミッククラスを毎日のように行なっていた。一週間に15〜16クラスを飛び回っていたが、ママたちは英語よりも体を動かして親子でダンスやクラフトで1時間を楽しむことに意識があったように思う。私は当時からバイリンガル教育を啓蒙したいと活動していたのだが、大体バイリンガルがなんなのかもわからない人たちがほとんどだった。12年前の施設は、黑部家の居間がメイン教室、総務の部屋は1階にあった日本間で畳敷、派遣事業でスケジュールを担当しているスタッフが総務を兼ねていた。2階はまだ主人と私が暮らしていて、キッチンは今のコーナールームだった。それでも幼稚園らしさを出そうと、ユニフォームコードを作り、靴と靴下は黒、ハイソックスは不可、制服はきちんと園に来てからTシャツに着替えるというルールを作った。年度の途中から女の子がもう一名入園した。ところが家が日吉でスクールバスがあると聞いたから入園させたといってきた。確かにスクールバスを出すとは体験会で話していた。まさか日吉!しかし約束は約束である。とにかくバスを購入しなければならない。ところが園バスというのは思いの外高額で、かつ中古でも出物がない。やっと見つけたのが京都の園から中古で降りてきた日産のバンだった。翌年タウンページという機関誌がランゲージ・ハウスを取り上げてくれたおかげで、数人の園児が入園し、良し!と思っていたら全員がバス通園を希望し、南は本牧、北は日吉というルートになってしまった。これも約束したので送迎しないわけにはいかない。朝7:45にはバスに乗り込み、まずは本牧へ。みなとみらいを回って横浜駅周辺、一度ランゲージで南まわりの園児を下ろして、再び日吉からセンター北、南へと周り、園に北ルートの子供達が到着するのは10:00近くになっていた。私も添乗していたが、日吉ルートは綱島街道の渋滞が毎日で、心の中では「なんでバスの送迎がありますって言っちゃったんだろう」と後悔の念もなきにしにあらずであった。結局4年間日吉への送迎は続いた。今はランゲージのグループ全園で用務員のお仕事をしている海老沢さんが長年園バスの運転手さんをやってくれた。心から感謝している。
バスの送迎で本牧から日吉までを走った横浜の街も変化している。バイリンガル教育はやっと社会に受け入れられた感はあるのだが、現実にどれくらいの子供達がグローバルスタンダードと言われる教育を受けられるのだろうと考えるとランゲージ・ハウスの努力は続けなければならないと真摯に受け止めている。
桜の花を見て思う。世の中にはか変わらないもの、変わらなくてもいいものもたくさんある。桜もそのひとつかもしれない。しかし教育は世界の変化とともに柔軟に、かつ慎重な変化が必要である。日本の子供達が世界の変化に上手く適用でき、かつ幸せな生活ができる土台を作ってあげるのは大人の仕事である。入園式13年目にあたって私の思いは強い。