黒部さん家の教育回顧録
黒部さん家の教育回顧録
ニューヨークに引っ越しをする前に必死で英会話教室に通ったが、100%ものにならなかった。というよりお金の無駄使いだった。大学は外国語学部英語科の卒業証書を持っているが、この時点で英会話は苦手だった。この学部には帰国子女と、有名女子校から来ている生徒が多すぎ、私のように公立高校から来た者はクラスに二人しかいなかった。優秀なお嬢様たちは基本の基ができているので、朝から晩まで英語のみという授業にも嫌な顔一つせずに出席していた。私はというと授業がおもしろくなかったのと、その頃夢中になっていたヨット部の活動が忙しかったという2つの理由で、あまり学校には行かなかった。御陰で試験間際になると優秀な友達にお願いして隣に座ってもらった。カンニングはできなかったが、声を出して答えを言ってもらっていた。今考えるとよくあんなことができたかと自分でもこのセットアップに感心している。ただエッセイなどの文章は比較的得意で、これで卒業できたようなものだと思っている。
ということで、ニューヨークに移り住んでから英会話に一層の努力をしようと心に決めていたが、基礎が足りないのと実践力がないのが痛かった。ニューヨークに付いた翌日、主人のボスであるイギリス人からディナーパティーに誘われた。貴族の血をひく彼は180cmの長身でクイーンズイングリッシュを話す。それだけでもかなりの圧迫感があるが、おまけにロビンという奥さんが機関銃のように話す。90%は内容がわからない。10%はlovely, I beg your pardon,
thank you very much indeedぐらいである。ディナーには他の友人も招かれていて話しかけてくるが、私はただうなずくだけであった。ここでおつまみでもあれば、それを食べながら会話を聞き流すということもできるのだが、イギリス人はケチなのか、おつまみはピーナッツだけで、夜の8時を過ぎてもメインの皿が出てこない、やっと9時になって大きなローストハムが出て来たが、それぞれにそのごちそうがいかに素晴らしいかを言っている。私はお腹が好きすぎていて英語が出てこない、もう目がまわりそうな状態だった。
この日をきっかけに主人も私の英語力は大学の名前に比例しないと分かったらしく、国連外交団の奥様が通う英会話学校を見つけてくれた。(つづく)
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