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ILH代表黒部のブログ

13年目の入園式

 ランゲージ・ハウス幼稚部は今年で13年目を迎える。今日は13期生の入園式だった。12年前の今頃、2人の園児の入園式を行なった。保育士はミチヨ先生、外国人講師はキース・キングだった。園児は男女一名づつ、2人とも英語リトミックの北軽井沢(横浜)クラスからの子供達だ。当時私は出張形式での英語リトミッククラスを毎日のように行なっていた。一週間に15〜16クラスを飛び回っていたが、ママたちは英語よりも体を動かして親子でダンスやクラフトで1時間を楽しむことに意識があったように思う。私は当時からバイリンガル教育を啓蒙したいと活動していたのだが、大体バイリンガルがなんなのかもわからない人たちがほとんどだった。12年前の施設は、黑部家の居間がメイン教室、総務の部屋は1階にあった日本間で畳敷、派遣事業でスケジュールを担当しているスタッフが総務を兼ねていた。2階はまだ主人と私が暮らしていて、キッチンは今のコーナールームだった。それでも幼稚園らしさを出そうと、ユニフォームコードを作り、靴と靴下は黒、ハイソックスは不可、制服はきちんと園に来てからTシャツに着替えるというルールを作った。年度の途中から女の子がもう一名入園した。ところが家が日吉でスクールバスがあると聞いたから入園させたといってきた。確かにスクールバスを出すとは体験会で話していた。まさか日吉!しかし約束は約束である。とにかくバスを購入しなければならない。ところが園バスというのは思いの外高額で、かつ中古でも出物がない。やっと見つけたのが京都の園から中古で降りてきた日産のバンだった。翌年タウンページという機関誌がランゲージ・ハウスを取り上げてくれたおかげで、数人の園児が入園し、良し!と思っていたら全員がバス通園を希望し、南は本牧、北は日吉というルートになってしまった。これも約束したので送迎しないわけにはいかない。朝7:45にはバスに乗り込み、まずは本牧へ。みなとみらいを回って横浜駅周辺、一度ランゲージで南まわりの園児を下ろして、再び日吉からセンター北、南へと周り、園に北ルートの子供達が到着するのは10:00近くになっていた。私も添乗していたが、日吉ルートは綱島街道の渋滞が毎日で、心の中では「なんでバスの送迎がありますって言っちゃったんだろう」と後悔の念もなきにしにあらずであった。結局4年間日吉への送迎は続いた。今はランゲージのグループ全園で用務員のお仕事をしている海老沢さんが長年園バスの運転手さんをやってくれた。心から感謝している。

バスの送迎で本牧から日吉までを走った横浜の街も変化している。バイリンガル教育はやっと社会に受け入れられた感はあるのだが、現実にどれくらいの子供達がグローバルスタンダードと言われる教育を受けられるのだろうと考えるとランゲージ・ハウスの努力は続けなければならないと真摯に受け止めている。

桜の花を見て思う。世の中にはか変わらないもの、変わらなくてもいいものもたくさんある。桜もそのひとつかもしれない。しかし教育は世界の変化とともに柔軟に、かつ慎重な変化が必要である。日本の子供達が世界の変化に上手く適用でき、かつ幸せな生活ができる土台を作ってあげるのは大人の仕事である。入園式13年目にあたって私の思いは強い。

華やげ、日本!

 あっという間に1月も後半になってしまった。VOICEに書きたいことが頭の中だけに溜まってしまい消化不良どころか便秘状態である。「今日こそは」という気合いは日常の茶番劇に負けて空振りとなり「明日こそ」と自分を甘やかしてしまう。これが連日続くと流石に自己嫌悪に陥るのだが、これも輪をかけた悪いくせで寝てしまうとこの嫌悪感を忘れてしまう。そんな時、明日は誕生日だったことを思い出し、またひとつ歳をとる前に書きたいことを書いておこうと思う。
12月にオランダを訪問した。小学校の英語クラスを見学することと、日本とはワーホリビザで若者交流があるオランダから英語を話せる保育士を呼び寄せるのが目的だ。冬のオランダは相変わらず寒く、朝は8時半になっても太陽が昇らない。気温も氷点下で草木も凍るとはこのことである。ウクライナ戦争の影響で、ガス代が高騰し、お世話になった友人の家でも夜10時から7時までは暖房を切ってしまうので、ベットに入る時はありったけのセーターを着込んで寝た。こんなオランダの現状を話すとさぞかし街はどんよりして暗く、人々の表情も悲しげなのではと思いきや、全くの逆であった、というより、日本より表情に暖かさを感じるほどであった。
オランダはE U圏でも経済が好調な国である。国民の幸福度も高く安定している。そんなポジティブな現状は街を歩いていても感じることができる。アムステルダムは大人の街として、パリとは違った落ち着きがある。ファッションセンスも良く、昔からブラックやグレーの無彩色を上手に着こなすビジネスの街でもある。ところが今回、街を歩く人々の中に、目が覚めるような赤やブライトグリーン、クリアーブルーといった華やかな色を身につけている人たちが現れた。オランダの冬は雨が多く、重そうで暗い雲にどんより覆われているのに街を行く人の表情は明るく元気である。逆に朝からお日様が燦々と降り注ぎ、雲ひとつない日本、特に関東地方の冬はオランダの人たちから見ると羨ましい限りなのだが、日本人の顔が寒々しさを感じるのはどうしてだろうか。オランダ人は食べ物より住居にお金を使うと言われるが、日本と一番違う点は、家々にカーテンがない。居間の様子などは面白いほどよく見ることができる。他人から見られることを意識してか、インテリアにはどの家も工夫を凝らしている。私が訪れたのはクリスマスシーズン真っ最中、クリスマスツリーがどの家にも飾ってあり、絵本さながらの暖炉があって、その横にツリーが飾ってある家を見ていると、通行人までもが幸せな気分にある。少し話は逸れるが、私はカーテンが嫌いだ。布自体は好きなのだが、朝から晩までカーテンをしっぱなしという日本の文化?がどうもしっくりこない。確かに日本には他人に家の中を見られたくないという風習のようなものがある。昔も障子などを使って外から家の中が見てないような工夫はしていたが、昔の日本の建物には縁側というものがあって、時には障子を開け放して、太陽の光を入れ、畳を湿気から防ぐという生活の知恵があった。私が小さい頃、家はボロ屋であったが、縁側が付いていて、よく近所のおばちゃんたちがお茶を飲んでは楽しそうにおしゃべりをしていた。この人たちは今でいるアポなしに突然のように現れる。その家に人がいるかどうかの目安になるのが、明け放たれた縁側だった。今の時代では昼間家にいるのはごく限られた人たちで、家の中にいてもカーテンが一日中閉まっているので無人かどう
かもわからない。ここで話をオランダに戻すと、オランダの子供達はいまだにお昼は家に帰って食べ、再び学校に戻るスタイルが残っている。カーテンがないので、食事の様子や、母親にどうも叱られているかな?と思われる様子、時には赤ちゃんに授乳している様子などが見え、自分もこの街の住人になったような微笑ましい気分になる。もう一つオランダにはお一人様レストランがない。というか壁に向き合って食事をするところがない。これはオランダに限ったことではなく、日本に来る外国人が決まって聞いてくる質問の一つ、「なんで、日本人は壁を向いて無表情で食事をしているのか?」「おひとり様って何?」「隣の席が空いているのに座りたくない?」などなど。
コロナの後、これが文化風習になったと答えたら、驚きの表情で「Really?」と言われた。もちろんオランダでもバーカウンターなどに1人で座り、飲み食いしている場面もあるが、私の経験から言うと、座ってから席を立つまでプライバシーを完全に確保できることはなく、隣に座った人から話しかけられたり、バーテンダーが話しかけてきたり、逆に言うとバーのカウンターは社交を生み出す役割があると言ってもいい。残念ながら日本のお一人様カウンターでの社交は期待できない。
 なんだか日本を否定しているような話になってしまったが、1月、新横浜の成人式で見た若者たちは、どの国の若者より瞬間華やいでいた。今日は特別な日だから、特別な着物を着る。それによっていつもとは違うエネルギーが湧いてくる。顔にも頬絵にが溢れている。自信に満ちている。本来着物姿ではお淑やかに?歩くところだが、堂々と闊歩し、我が物顔で風を切って歩いている若者たちがめちゃくちゃ眩しかった。この華やぎが日常にあれば日本はもっと前に進める。もっと国民は幸せになれると思うのは私だけだろうか。
日本よ、華やげ!が2024年のスタートに贈る私のメッセージだ。

品川駅の立ち食い寿司

 インターネットで発信される世界中の情報の25%が英語で発信されているという現実がある。つまり世界の4分の1の情報は英語がわからないとキャッチできないか、遅れて届くことになる。例えば、ある惑星から巨大隕石が落ちてくるという情報が英語サイトにはあっても、日本語サイトには時間差で届くとして、その時はすでに時遅しとなることもあるかもしれない。いやでも世界の経済が英語を共通語として動いている現実を無視することはできない。。。。。というようなことを考えながら、私は品川駅構内にある立ち食い寿司屋に入った。その夜は東京で大きなお通夜があった。近頃では珍しくテントを張った大きな通夜で、コロナ禍ではあり得なかったお清めの品々が並んでいた。しかしその夜は蒸し暑く、いくら酢で締めた寿司とはいえ、これを通夜の場所で食するにはリスクが高いと思い食べるのをやめた。数年前に品川のスポーツセンターで教えていた頃に立ち止まった寿司屋によることに決めた。

さて、立ち食い寿司と英語の関係である。私はカウンターに留まってお寿司を注文する人たちの立ち振る舞いや、寿司職人たちとの会話を聞くのが好きで、黙って聞いてはいるものの、心の中ではどちらかの会話を応援している。品川駅には外国人が多い。周辺には大きな企業が多く、京急羽田が通じているので、空港からも近い。そのまま新幹線に乗り換えることもできる。したがって立ち食い寿司には外国人も多い。それぞれに寿司アプリを使ったり、カウンター越しに新鮮なネタを指さして注文したり、日本語を勉強しているらしい外国人は、壁にかけられたメニューを読み解きながら注文している。その姿はみんなテキパキしていて迷わない。テキパキとしているのは外国人だけではない。日本人の寿司職人も小気味よい動きと、英語での対応に品川駅のエネルギーを感じる。私の前で握ってくれた職人さんは、ほぼ全てのネタを英語で言えていた。ネタの中にはスペイン語がそのまま英語名になったようなものもあるが、ネタの出身地さえ知っていてなかなかの博学である。もう一つ私が興味深く感じるのは、個人事業主風日本人のオーダーの仕方である。このタイプの人たちには注文方程式みたいなものがある。まずカウンターにつく。目の前に笹の葉のお皿が出るまでにざっとガラスケースに目を通す。次のグラスビールを注文する。なぜかジョッキよりグラスが多い。一口飲み干すと壁のお品書きに目を通し、サクサクと注文を始める。自分の好きなもの3種類を値のはる順から注文する。高いネタを最後にしないのは、このタイプの共通した注文の仕方である。次に旬のネタ、そして締めにはシンプルに干瓢巻きなどを注文する。この間約20分、ダラダラとカウンターに留まらない。これは私の独断と偏見だが、これらの人たちを見ていると、堂々としていて、経営力を感じるのである。ビジネスに例えるなら、ガラスケースのネタで本日のマーケットを確認し、注文がきで季節の動きを探り、即決即断で食べたいネタを注文する。お酒は楽しむというより、お寿司を食べるためのメンタルを仕事からプライベートに切り替える。もう一つ加えるなら、外国人が突然話しかけてきたり、ネタの質問をされたりしても、この手の人たちは英語で堂々と答えている。英語が話せない場合は、日本語で対応もしている。

日本全国津々浦々立ち食い寿司はたくさんあるが、品川駅構内のそれは良い意味で社会の姿を表している。もちろん立ち食い寿司を利用する目的はさまざまであるが、一杯のビールで1日を振り返り、カウンター越しの会話を聞き流しながら、サクッと自分の欲求の満たすままに寿司を食する。外国人もそんな日本人を笑顔で眺めている。これはまさに日本の誇るべく文化そのものである同時に、こんな立ち食い寿司に日本人と外国人がそれぞれの領域を犯さずに美味しいものを食べ集うことで、無理に会話をしなくとも、笑顔やアイコンタクトで話ができる。英会話を学習するなら、時としてこんな場所に身を置いて、ニュアンスで英語を聞き取っていくことも楽しいと思う。少なくともネタの名前を英語で覚えるだけでも効果がある。ちなみにFatty tuna(大トロ)Pickled tuna(漬けまぐろ)Greater amberjack(カンパチ)Amberjack(ブリ)Conger eel(穴子)Mantis shrimp(しゃこ)などなど全てのネタは英語で訳されているが、最近多くの外国人は日本語読みで注文している。これも日本文化の誇るべき部分であるが、逆に回転寿司はタブレットの普及が進みすぎて、寿司文化の一部が崩壊されているような感じも受けるこの頃である。

小学校を作ろう!

私は東京は板橋区の出身である。小学校は実家から歩いて3分のところにある志村第四小学校に通っていた。この学校はこれと言って特別なものはなかったが、校歌をさとうハチローという有名は作詞家が作ってくれたおかげで、普通の学校がそこで働く職員、そこで学ぶ児童の士気を高めていたような気がする。ハチローさんの詩は同じフレーズがなん度も重なるのだが、不思議とフレーズを歌うたびに世界がどんどん広くなっていく気持ちになった。この校歌のせいか、就任してくる先生たちにはパッションと小学生を教えるという気概がみなぎっていた。小学校2年生のとき、新潟から赴任してきた新米の先生が担任になった。朝礼で紹介された時、先生は顔が真っ赤になっていた。おまけに新潟方言があって「委員」が「ええん」に聞こえたが、子供心に面白い言葉があるんだと思った。それからしばらくして、新しい音楽の先生がやってきた。東京オリンピックで鼓笛隊を指導していたとかで、突然学校に鼓笛隊道具一式が揃った。先生は指揮者のカラヤンを尊敬しいて、ご自宅のグランドピアノの前にはカラヤンの大きなポスターが貼られていた。ちなみにこのグランドピアノが幼稚部にあるそれである。先生からはアップライトのピアノも寄付していただき、これは現在中島認可園で使用している。

 中学になって英語の授業が始まると、実に退屈で難しい文法の授業が始まった。女性の先生でいつも科学者のような白衣を着ていて、節だの句だのと言っていたが、これが今までの英語人生で役になったことは残念ながら一度もない。ただ教える熱意は物凄く、英語がいかに大切か、英語を知らないで外国から来たものを買っていると必ず損をするようなことをいつも言っていた。当時Made in USAは一世を風靡していた。ヤンキーファッションやアイビールック、マクドナルドにケンタッキーといったアメリカ文化が嵐のように押し寄せ、アメリカから来るものが全ての憧れのようになっていた。音楽も然りで、歌詞がわからなくてもメロディーや歌手そのものに憧れて涙を流す日本人がたくさんいた。英語塾もキノコのように出現し、誰もがそこに行けば英語が話せるようになると信じていた。そのころの英語文化は、それを学ぶというより憧れるという要素がめちゃめちゃ強かった時代である。一部の優等生たちは、憧れからいち早く脱出して、現実に英語をしっかり学ぶことで自分の人生を設計したいという「留学生」が今よりもっと多かった時代である。大学時代私の友人も何人か留学切符を手にしていた。羨ましいと思ったが、彼女たちが凄まじいまでに勉強をする姿を見ていて、私には「無理」と思った。その反発からか英語はビートルズの歌詞が理解できるぐらいでいいと思っていた。

そんな私が今教育事業に携わり、真剣に子供達の英語教育を改革したいと考えたのは、他でもない、世界を見るチャンスに恵まれたからだと思っている。結婚してNYに住み、そこで子育てをし、仕事をした全ての場面に知らない世界や文化があり、人々がいた。世界とはこんなに楽しくダイナミックなんだと感じた。英語が話せればもっと人生は楽しめると単純に考えた。日本に戻り、子供達が日本の小学校に入った時に英語が教えられていない現状に驚き、心配した。アジアの国々では国を挙げて英語教育にと取り組みはじまていた。このままでは日本がダメになると真剣に思った。

 さて、私は今どんな小学校を作りたいかと聞かれたら、日本の子供達や日本に住む外国人の子供達が、英語を共通語としてお互いの異文化を理解し、母国語を尊びかつ使えることで、より良い人生を見つけたり、将来世界に先駆けての技術を開発したり、それを世界に広め、日本のみならず世界に向けて自分をアピールできるような、人生の可能性が倍になるような教育を環境を作りたいと思っている。同時にその学校で教える教師には、自分の足で世界をみてきた経験があり、良くも悪くも多くの人生経験を持っている人物が必要だと思っている。「教える」ということへのパッションは学校では習えない。教えることへのパッションと努力は背中合わせだと考える。世界をよく知っていて、実際に世界を見てきた経験値と、子供達での愛情がバランスよくその人物に配合されていて、それが教育へのパッションとなり、社会の変化を鋭くキャッチしながら、子供達の将来につながる教育のできる、かつ人間味の濃い先生たちが集まって作る学校である。

New Yorkで子供達の学校を選ぶために多くの学校を訪問した。そこで感じたのは、いわゆる評判の良い学校、有名校として認知度が高い学校ほど、パッションのある教師が揃っていた。ブロンクス地区にある学校を訪問した時、休み時間だと言うのに多くの教師と生徒たちは廊下に座り込み、ディスカッションをしていた。先生は「これはこうだよ」とは言わず、「君の答えをまず説明して」という。答えに対して「ここと、ここは正しいと考えるが、この部分はもう一度か考察が必要だね」というように、自分の出した回答に対しての責任を持たせ、それが間違っていたら、間違いに責任を持たせ、正しい回答を導くという対話で生徒と向き合っているのを感じる。

 今日本の先生たちは大変そうである。仕事量が多いというのも事実だが、教育者として何を優先させるかといったプリンシパルを見出せないでいるようにも見える。これをしてはいけない、このような発言をしてはいけない、子供をしかってはいけないなど、教師を取り巻く環境はあらゆるところでボーダーラインがあるようにも見える。それであれば、私が作る小学校は、教師が伸び伸びとパッションを持って大胆にかつおおらかに子供達と向き合える

環境と、アカデミックには、子供達がそれなりに努力しないと世界のスタンダードには追いつかないという努力が自然にできるような環境を作りたい。これを夢物語で終わらせないためにも、ランゲージ・ハウスに関わる全ての方々のご協力を期待したい。

日本人よ!

新年明けましておめでとうございます。昨年は良きも悪しきもチャレンジの多
い年でした。明けて6日目、なんとなく良く変わっていくような、そんな感じ
がするのは昨晩ぐっすりと寝たせいでしょうか。昨年は安眠を妨げる案件が多
々あり、これが無意識のうちに健康を害していると気がつきました。自分が蒔
いた種とはいえ、ビジネスがらみの案件で健康にも害が及ぶとなればとんでも
ないことで、全ては心身ともに健全であることから始まるなら、ビジネスも然
りであると自分に言い聞かせた新年のスタートです。
コロナ禍で眠りの質が低下していると感じている方はたくさんいると思います
。特に子育てと仕事の間で、物理的に睡眠時間が不足している方は、その解決
方法を実践できないまま一年経ってしまったという方も多いと思います。また
これからの受験シーズンでは、子供の塾への送迎、お弁当作り、夜間勉強をし
ている子供への気遣いなど、安眠などとてもできないという方もいるかと思い
ます。
私の場合は、夜中に何かが原因で目覚めます。例えば犬の夜中に尻尾をばちば
ちと壁にぶつける音とか、主人がギンギンに冷えたみかんを食べに夜中に起き
るとか(これはほぼ毎日の習慣で、季節によって果物の種類も変わります。)
明け方の4時ごろに犬を散歩するとんでもない早起きの隣人が歩く音とかです
。もちろん毎日ではないのですが、一度目が覚めると寝付けない、これが起こ
ってしまうと、それはもう100種類ぐらいのことが頭に浮かんできては「ど
しよう」となります。時には昨日バナナを買い忘れたけど今日の朝はどうしよ
うというような、まるでバナナに呪われたような気持ちになることすらありま
す。こんな眠れる夜を過ごして翌日、鏡を見ると重症なパンダ目になっていま
す。幸いなことにマスクがあるので、人と会うときは、さも何もなかったよう
な顔をしていればいいのですが、頭のどこかで「今日は早く寝なければなりま
せん。」と言っている自分がいるのです。このような問題を解決する一番の方
法は、日々の生活を見直し、あまり関わらない方がいいことや、ストレスにつ
ながることなどを切り捨てていくことだと思うのですが、それが中々できない
のが現実です。
私はヨガを学生時代、OL時代と長年続け、ニューヨークで暮らしていた時代も

インド人の先生に習っていました。当時のヨガは人間のフィジカルな問題を解決する
ことを目的としたヨガクラスが多く、今流行りのマインドフルネスやメンタル
ヘルスなどという分野はかなり特殊だったかと思います。しかし社会の変化と
ともに人々の問題はフィジカルもメンタルも含めてかなり複雑になってきたよ
うにも思えます。質の良い睡眠を求めるためのヨガクラスなどもたくさんあり
メディテーションをサポートするクラスもあります。これらのクラスは、自分
と同じような悩みを抱えている人たちが集まって一緒にヨガをすることで、一
つの安心感を得ることができます。「あら、私だけじゃなかったんだ」と言っ
た感覚です。また講師もファッショナブルでスマートな先生が多いせいか、「

私も先生のようになりたい、ヨガをすればなれるかもしれない」と言った感覚
を得ることで別の安心感に繋がります。
ただ、ヨガは呼吸法が全てです。ポーズはできても呼吸法が連動しないと効果
はありません。逆に多少ポーズはギクシャクしていても呼吸法が安定していれ
ばヨガの効果は得られます。
さて、質の良い睡眠を皆さんにもとって頂きたいと思います。一番簡単で、い
つでもどこでもできる呼吸法を紹介します。右手の薬指と親指で両方の鼻をつ
まみます。次に親指を離し右の鼻で1、2、3と数えながら空気を吸い込みま
す。
ここは腹式呼吸ではなく、鼻から胸にかけて空気を吸い込みます。4で鼻を親
指で閉じ、同時に薬指で抑えていた鼻から1、2、3、4、5、6、7と数え
て息を吐き出します。ぐっと吐き出したら一度指を元に戻し3秒おきます。そ
の後また同じような動作を10回繰り返します。この呼吸法の効果は自律神経
を整えることにあります。自律神経と睡眠は密接な関係があります。まずは1
ヶ月間試してみてください。7秒の吐き出しが11秒にできれば合格です。
今年は皆さんに質の良い睡眠と清々しい朝が毎日やってきますように!
心身ともに健全な親には、健全な子供達が育つと確信します。2023年を
health and beautyで過ごすことで幸運が舞い込むかもしれません。

Thanksgiving 2022

日本では馴染みのないThanksgivingは、アメリカやカナダでなどで祝う祝日
の一つである。アメリカでは11月の第4木曜日に行われる。日本では感謝祭
ともいう。歴史的にはイギリスからマサチューセッツ州のプリマスに移住した
ピリグリムの(清教徒)が1620年にプリマスに到着したが、厳しい冬の中
食料不足で多くの死者を出したが、翌年ネイティブアメリカンからトウモロコシ
の種を分けてもらい、その栽培をはじめることで生き延びることができたとい
う背景がある。
さて、私のアメリカ生活で体験したThanksgivingの印象は「食べる」というこ
とに尽きる。当時主人が勤務していた国連ではThanksgivingには近隣の町から
Thanksgivingに国連職員を招いてくれるボランティアファミリーを募集する。
私が最初に招待されたのはコネティカット州にある大きな赤い屋根の牧畜倉庫
と、だだっ広い庭とプールを持つアメリカ人の家だった。ホステスを務めるル
ースというおばちゃんは当時80歳で大きな屋敷に一人暮らしだった。ただど
うもお片づけが苦手なようで、バスルーム(お風呂とトイレが同居している場
所)で見た山のような化粧品の散乱状態はハリウッド映画のようでアメリカに
いる気持ち100%にしてくれた。少なくとも20本の口紅が散乱していた。
このおばあちゃんはThanksgivingの準備を2週間前から始める。まずメインデ
ィシュのTurkeyは4日前から解凍を始める。大きさは色々であるが10キロぐ
らいの大物が一般的だ。そのお腹の中に詰めるスタッフィングは大粒のパン粉
のようなものを湿らせて香辛料やハーブを入れてTurkeyの臭みを和らげる効果
がある。日本であまり馴染みがないのは、この独特の臭みが日本人には受け入
れられないのではないかと私は勝手に思っている。実は私自身あまりTurkeyが
好きではない。調理前の丸ごとの姿を見るにつけ、この鳥が生前に持っていた
立派な羽根とかを思い出すと食欲が失せる。それと顔があまり可愛くない鳥で
、ようは美味しそうな容貌ではない。Turkeyの付け合せにはマッシュポテトと
クランベリーソースがつきものである。このクランベリーソースはTurkeyの淡
白な味を引き立てるような役割だというが、お肉に甘いソースはどうも合わな
いような気がする。これをアメリカ人に言ったら、「では一体日本人が魚を煮
る時にどっさりと入れる砂糖や味醂はどうなっているのだ?」と言われてしま
いそうだが。
ルースおばあちゃんのお得意はコーンブレッドとポーリッシュソセージだ。私
はこの二つが大好きだった。なんとなく開拓時代の雰囲気がいい。おばあちゃ
んはすべてのメニューを自分1人で作っていた。制作にかける4日間を楽しん
でいて、日本から来た、見知らぬ家族でさえ、おばあちゃんの家族の一員にな
ったような気分になるホステス力の強さは見習うところが多かった。
私はこのおばあちゃんとは亡くなるまでのお付き合いだった。彼女の4人の息
子たちはスーパーアメリカンワイルドボーイズと言えるような破天荒なおじさ
んたちで、それぞれにビジネスを成功させていた。生前おばあちゃんから、ボ
ーイズが小さい頃、ポリスが家にきては息子たちのしでかした犯罪一歩手前
のいたずらに何度も頭を下げたというが、内心は「息子よ、でかした!」とい
う誇らしい気持ちになったというから太っ腹なおばあちゃんだった。こんな母
親が成功者を育てるのかもしれない。
さて、今年もランゲージではThanksgiving partyを開催した。コロナの第八派の
心配もあり小規模になったが、小規模になったのはパーティーだけではなかっ
た。主役のTurkeyも輸入原価の高騰で一羽がなんと一万円以上という高額。こ
れはネット価格で、店頭では一万五千円という高値がついている。 これもウ
クライナとロシアの戦いの影響か。結局外国人スタッフが五千円のものを見つ
けたというので買って来てもらったら、近所のストアーで売っている鳥の丸焼
きぐらいの小ぶり、どこから見てもTurkeyには見えなかったが時にはこんな
Thanksgivingも一つの思い出になるのだろうということに考え直した。大切な
のは家族ではないものたちが集まり、家族のような絆を作り、また明日から頑
張って仕事をしていくことなのだと。A Happy Thanksgiving everyone!

ロボットという選択

 スタイリッシュな電気自動車テスラを世に出したイーロン・マスクが、これまたスタイリッシュなロボットを世に出す。先月紹介された動画を見ると、かなり完成度の高い動きをしている。プレゼンテーションではアマゾンの梱包作業をロボットが人の代わりにしていたり、ウーバーの代わりにロボットが配達作業をしていたりする。イーロンはそんな動画を背景にこう言った。「ロボットが人の作業を肩代わりし、人はもっと別の時間を楽しめるようになる。幸せな時間を増やせる。」と。私はちょっと待ってよ、イーロンさんと思った。もしアマゾンの梱包作業員が、自分のしている仕事に愛着を持っていたとしたら、ロボットの出現を歓迎するだろうか。アマゾンは広大な土地を開拓し、雇用も増やして来た。アマゾンだけではない。グーグルの下請けや、アップルの部品工場も同じように大きな雇用を作り出している。これがロボットに変わった時、人は別の時間を楽しむどころか、仕事を失い、別の時間は仕事探しに翻弄することになる。
世の中が機械化され、人間が行う全ての行動は便利になった。しかし人とは元来人と群れることで、そこに会話が生まれ、仕事以外の生きがいも生まれる。
日本でもペッパーロボットが話題になったことがあるが、結局は人間社会に同化はできなかったように思う。ペッパー君だけではない、ワンちゃんのロボットやウエイトレスロボットなど、人間の生活や活動を助けるという目的で社会デビューしたものの結局は機械で終わってしまったように思う。そもそもロボットが人間の代わりをするというコンセプトが私にはピンとこない。もちろん体に障害があり、ロボットの助けを得ることで生活が楽になるという例はたくさんある。これはこれで賞賛に値する。医療の分野でも人の形を持ったロボットではないが大活躍をしている。しかし人間が働きがいを持って仕事をしているところを、ロボットに変えてしまうのは人間から仕事を奪うことになるのではないか。産業革命は1760年から1830年の間に起こった緩やかな革命ではあったが、社会を劇的に変化させた。その時は「便利になった。」「早くなった。」「楽になった。」という、人間にとってはありがたい革命だったに違いない。それでも職を失う人は年々増加していった。人間はどこまで「便利」「早い」「楽」を追い続けるのだろうか。仕事は大変だけどやりがいがあり、これで家族が幸せに暮らせるのだという幸せへの営みは、ロボットの使い方を間違えると消えてしまうかもしれない。
ある人は言う。ロボットに仕事を代わってもらって、今までできなかったことをすればいい。この意見に私は賛成できない。簡単なことだが、ロボットの初期投資は高い。しかし企業が人件費の削減を実行しロボットを導入することで長期的にはコスト削減ができる。ロボットは定期的なメインテナンスは必要かもしれないが、給与、ボーナス、社保は必要ない。そうなると人を雇っているより長期的にはコスト削減になる。所詮人が人生を楽しむためにロボットが協力すると言うのは、ある程度蓄えがあり、毎日働くなくても食べていける人を対象とした非現実的なメッセージとしか思えない。
イーロン・マスクを全面的に批判するわけではない。テスラもかっこいいと思うし、彼のアイデアには面白い発想がたくさんある。ただどれもこれも一般庶民には中々手の届かない商品であり、それが場合によっては人間社会の格差を助長しかねない。世界の貧富の格差はどんどん広がる。きっと今の子供たちが大人になった時、日本も今以上に格差が広がっているかもしれない。Sustainableをどこの企業も打ち出しているが、皆これを「持続できる」と訳しているかもしれない。しかしそこには「耐えうる」と言う意味も含まれている。今のSustainable
では、後者の訳になりそうである。

幸せの尺度と英語教育

ランゲージ・ハウスはでは今、2023年度の新入園児保護者の見学会が行われている。
「日本の英語教育の現状を理解し、それなりの危機感を持ってお子さんの英語教育を考えて欲しい。」とは私が常々見学会の中で、来て頂いた保護者の方々に話していることである。この話を裏付けるような情報が、以前プレスクールの主任保育士をしていた岡谷さんから届いた。現在ご主人のお仕事の関係で上海に駐在している。岡谷さんが上海に到着した当時、現地ではコロナの厳戒態勢が引かれていて、マンションの敷地内から一歩も出られない状態が2ヶ月ほど続いたという。最初は見知らぬ土地でどうなるかと思ったというが、同じ敷地内に住む中国人家族は比較的裕福な方々が多く、お互いに助け合いながらこの危機を乗り切ったという。そんな時に知り合った中国人のファミリーは、皆教育に対する意識が非常に高く、一人っ子政策の影響で富裕層が教育費にかける割合が、日本より何十倍も高いという。1ヶ月の教育費が100万円などという家族はごく普通の話だという。同じような話を韓国でも聞いたことがある。韓国の幼児英語熱は毎年加熱していて、外国人講師のお給料もアジア圏ではダントツだという。その昔日本で英語の先生をすれば貯金がたまると言われていたが、今外国人講師が貯蓄を目的として働いているのなら、韓国が一番その目的達成を可能にしてくれる。それくらいに幼児英語、英会話教室の数が多く、国挙げての政策も取られている。ただ一つ面白い現象なのだが、このように英語教育が過熱している両国ではあるが、保護者の目的は自国で英語を話せるようになるというより、将来英語圏に留学させることで、グローバル企業で職を得る足がかりを作りたいという理由がある。今日本では長期留学を望まない若者が増えているらしいが、中国、韓国の若者は外へ外へと向いている。一つには先陣を切った先輩たちが英語圏の大都市で成功し、アジア人富裕層として活躍している現実がある。Netflixなどの番組でもアジアンリッチをテーマにしたドラマに人気があるのも一つの現象かもしれない。一方、日本はというと軸足は親方日本である。日本の生活に不満は感じながらも、なんとか生活を守り抜こうという、日本のドラマや映画を見ていても、この現状が浮き彫りにされている。将来何が幸せなのかは別としても、中国人、韓国人が外向きなのに対し、日本人は内を見ているということは少なからずの現実だと思う。コロナが下火になってもこの現象はしばらく続くだろう。
 私は考える。人の幸せは、その過程にあると思っている。例えば子供達にお菓子を作っている時は、実際に食べてもらった瞬間より幸せ度が持続している。もし日本の若者たちが長期的には海外に住むことを拒んだとしても、日本がより良い国になればそれでいい。ただ日本の若者には世界中にある色々な幸せの形を体験し見てもらいたいと願う。そのためには観光旅行でも、ワーホリでも、駐在勤務でもなんでもいい。自分から海外を観に行きますという意識を常に持って欲しい。これを実行する可能性を高める一つの要因は英語教育である。アメリカやオーストラリアに留学して現地に同化し、グローバルな企業人にならなくてもいい、とにかく広い視野で自分の幸せを考えることのできる人間が、これからの世界を息抜き、本当の幸せを手にする若者だと信じている。世界中どこに行っても英語ができればなんとか幸せな人たちに仲間入りすることは可能である。

海外渡航至難の年

 8月航空運賃が一斉に上がった。お金にはとてもシビアーな義理息子が3年
ぶりにシカゴに帰ることになって格安航空運賃を探していたら、片道最低価格
で19万、往復だと34万はすると言っているので、そんなバカな、節約家の
あなたが格安運賃を探せないなんておかしいわよ、とは言って見たものの、ど
のサイトを見ても30万以上する。29万というのがあったが、なんと乗りか
え3回で離陸から目的地到着まで30時間もかかる。航空券そのものが高級品
になってしまったようで、このような金額では学生はおろか、ファミリーで海
外旅行もままならない。おまけにこの円安で海外での宿泊や買い物も節約覚悟
で行かないと大変なことになる。そして私がもっとも懸念していることが、夏
休みを利用して海外経験をしたいと計画していた若者が、その予定を諦めなけ
ればならないことになってしまう現実である。実際そのような人たちが私の周
りにもたくさんいる。コロナ禍海外渡航を我慢してきた人たちにとっては、
羽田や成田でのPCR検査がなくなり、最悪自粛だったホテルでの10日間の
監禁がなくなって、やっと海外に行けると思っていたら、この航空運賃の値上
がりである。
 私が学生の頃、海外旅行は高嶺の花だった。まして海外留学に至っては頭の
良い、そして英語の話せる人たちだけに与えられる特権みたいなものだった。
大学生の頃アメリカのアイビーリーグに憧れてハーバードやイエールを目指す
クラスメイトがいたが、彼女たちがターゲットにしていたのは給費留学だった
。私も含めた一般学生は飲み会や部活、バイトが学生生活の主な部分を占めて
いたが、留学志願者はそんなものはどうでもよく、給費留学試験に合格するこ
とだけを目指していた。出せるところから航空代、宿泊代、学費、滞在費を出
してもらい夢を実現すると言った強い目標設定には周りが近寄れないすごさも
あった。
 さて、今でも給費留学の種類はたくさんあるが、先日ラジオを聞いていたら
コロナの2年間を過ごした留学希望の学生に変化が見られるという。どのよう
な変化かというと、2年間に及ぶ日本の鎖国政策にも似た渡航、入国制限で学
生は諦めモードに入ってしまい、海外そのものに興味がなくなってしまった。
あるいは諦めてしまった学生が増えているという。給費留学の倍率が過去に
10として、今は2ぐらいになってしまった。このような現象は日本の将来に
とっては全く良くない。若いうちの海外体験は将来大きな糧となってその人の
役に立つ。しかし国内でくすぶっていては世界は狭いままで、10年後20年
後の社会の変化についていけない。
私は日本という国が自国の若者への教育、特に英語教育を甘く見ていることで
起こる日本人の就職難を懸念している。英語の話せない日本人を雇用するより
、英語、日本語、中国語、あるいはベトナム語、タイ語など、3カ国以上の言
葉を話す外国人を選ぶようになる。その前兆がコンビニなどで見られる。コン
ビニで働いている外国人のほとんどが悠長な日本を話す。またコミュニケーシ
ョンができるぐらいの英語も話す。今後このような外国人の活躍は他業界に広
がっていくことは間違いない。道路工事の現状が一つの例だ。以前はスコップ
を持って穴掘りの仕事だけを担当していた外国人が、今では解体のシャベルカ
ーを操ったり、測量をしたり、パソコンを持ってシステム環境を検査したりと
仕事の幅がぐっと広くなっている。またソフト関連でも外国人が作る人事管理
システムや健康管理システムも日本国内で広く出回っている。このように見て
いくと日本人が外国に出向かなくても、外国人との競争はすでに始まっていて
、将来はよほどの特殊技能がない限り、日本語だけ話せる日本人の職場は限ら
れたものになってしまう現実がそこまで来ていると考える。
 もし日本の政府がこのような将来を憂い、日本人の若者たちが外国人と競争
していける力をつけるために、学生たちの航空運賃を半額にするとか、Go to
travelの海外バージョンを作るとか、英検やTOEICのような点数やレベルを図る
ものではなく、もっと具体的なコミュニケーション能力を育成できるようなテ
ストシステムを作り、奨学金を与えるとかを考えるべきではないかと思う。
 日本の若者が「しかたがないから日本に住む」というような諦めの意識を持
つことだけは回避したい。

2022/6/23

アメリカのメジャーテレビ局NBCは、Nightly NewsにKids Editionがあって大人向けのニュースを子供向けに編集し解説している。例えばウクライナ問題。
毎日のニュースではロシアが悪者でウクライナは被害者(事実そうなのだから仕方がないが)という視点から報道し、今日は何人戦死したとか、どこそこにミサイルが打ち込まれたなどという話ばかりである。しかしこの放送局の子供版は、まずウクライナがどこにあって、どんな人たちが暮らしていて、どんな産業があって、学校ではどんなことを勉強しているのかというような視点から、その国のことを解りやすく説明し解説している。多様性の国アメリカではウクライナ系住民も多く、またロシア系(第二次世界大戦中、ロシアから多くのユダヤ人がアメリカに移民している)住民はアメリカのいたるところで活躍している。
今世界は色々な問題を抱えているが、国の政治や経済に関連した報道は、報道局の主観が入ることが多く、時として偏った報道がなされてしまう。これを子供達が鵜呑みにして理解すると、ある国に対する偏見が出来上がってしまう。親は気づかないことが多いがメディアの影響力は徐々に子供達にも影響する。
 私はロシア人の友達がいる。その人に今のウクライナ問題を聞いてみると、あれは内戦なので他国は関与すべきではないし、アメリカやEUに操られてはならないというような意見である。確かにロシアがソビエト連邦( USSR)だった時代からの歴史的背景ではウクライナは連邦の一部である。しかし私たちから見ると、そうであっても戦争や人殺しは許してはいけないと思うのだが、ロシア人も殺されているのは真実である。最近日本がロシア大使館で働くロシア人を強制帰国させたのも、そのロシア人の友人にとっては、日本は今の戦争に左右されない将来的な国の利益を優先するべきであるという。その人は日本に20年以上暮らし、日本人と結婚している。子供達も日本の教育の中で育ちバイリンガル能力もある。しかし子供達がウクライナの状況をテレビ報道で見ながら、何とも複雑な表情になり、ロシアに対しての好感度が消えていくようだという。母親は子供たちが学校でウクライナ問題が原因でいじめにあったりしないないかを日々心配しているという。
私は歴史教育、特に国同士の争いに関しては、必ず戦争が起こった理由を、戦争という事実よりも大切なこととして子供達に説明してほしいと思う。以前イスラエルのホロコーストミュージアムに行った時、ユダヤ人が迫害にあって辛い、悲しい、恐ろしいという部分はしっかりと伝わってくるのだが、何が原因でこうなったかの説明はなかった。それがないことでユダヤ人の悲しい歴史だけが強調され、このような歴史を繰り返さないためには何を学ばなくてはいけないかが不明瞭となっている。
保護者の方々にお願いしたい。全ての争いごとには発生理由がある。解決方法の歴史もある。小さい頃から子供達に「理由」というものをしっかりと説明することで、将来子供達が同じような問題に向き合った時、一つの考え方の助けになる。戦争は怖いね、嫌だね、悲しいねという場面を見たら、なぜこうなったのかを家族で考え話し合う、そんな時間を持ってもらいたいと願う。

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