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ILH代表黒部のブログ

幼稚部設立10年目の思い

 ランゲージ・ハウス幼稚部を設立してから今年で10年目になる。この間多くの保護者の方々、また関係者の方々にはこのコラムを借りて深い感謝と共にお礼を申し上げたい。10年といっても学校経営ではまだまだヒヨコである。
初心に戻るべく、ここで簡単に幼稚部設立までを簡単にお話しする。
 ランゲージ・ハウス幼稚部の基盤になったのは、ホームステイしていた留学生のお小遣い稼ぎが目的であった。近隣の子供達に英語といっても、英語でアート、英語でバスケットボール、英語でダンスといった楽しいことを外国人と一緒にやってみようといったものだった。そうこうしているうちに東京の保育園から楽しいそうなプログラムなので外国人を派遣してくれないかということになり、これが派遣事業の基盤になった。しかし習い事だと一過性で子供達にどれくらい英語が育まれているのかがわからなかった。私は元々英語塾には疑問を感じていた。What is your name? What is this Color?, What is this shape? などの会話を毎週1回のペースで続けていても英語は話せるようにならないというのが持論である。幼児期の子供達の英語は毎日が効果的だと分かっていれば、あとはその環境を作り、意思のある方々に来てもらいたい、そんな思いが強くなってきた時に「幼稚園を作りたいんだけど、手伝ってくれる?」と数人のママたちに声かけをした。その時のママたちの行動力はものすごかった。よその園から安全基準などの規則的なものを引っ張り、カリキュラムは内容をバイリンガルに変えた。ランゲージの施設はまだ黒部の住居で、日本間を事務所にして幼稚部がスタートした。今の保育主任清水は開園時に応募してきてくれた。当時浅草の方に住んでいたのだが、ご主人を説得して平日は実家のある妙蓮寺で寝泊まりする
といってくれた。面接の時は紺のスーツをきてどちらかというと妙蓮寺のマダムといった品のある風貌だった。それが保育に入ると年間を通して素足で飛び回ってくれる。頼もしい存在である。
初年度の園児は2名。5月から1名年少々が増え3名でのスタートとなった。外国人講師を1名採用し、まるでお母さんが日本人で、お父さんがアメリカ人、そこに子供が3人といったふうでなんともアットホームなスタートだった。しかしバイリンガル幼稚園はまだまだ社会的なステータスがなく、翌年もあまり生徒が集まらなかった。生徒集めのこれといった決め手が無い中あっちこっちでビラまきやママ&ベイビークラス。無料イベントなどを開いていくうちに3年目に12名の園児さんがきてくれた。それもみなとみらい、本牧、センター南、日吉と違った地区からの入園だった。4年目も園児は増えた。スクールバスは3年目から導入した。園児用に改造したトヨタのハイエースで驚くほど高かったがボブのロゴをつけて仕上がってきた時はワクワクした。外国人講師も1人2人と増えたが本格的なバイリンガル教育を行うためのメソッドがなかった。そんな時現在英語の主任講師をしているThom SmithがLeader Board なるものを考えた。園児たちに12種類の仕事を与え、そこに外国人がつくか、日本人保育士がつくかで仕事のために使う言語を変えるという試みだった。これが今ILH school original method となって本校以外でも使われている。
 教育ビジネスは多種多様である。しかし根底にあるのは日本の子供達により良い未来を与えるという大きな社会的使命である。私はもしかしたらこの思いが人一倍強いかもしれない。日本の子供達を世界の勝ち組にしたいと常々考えている。なぜなら今のままでは海外での仕事はおろか、国内の仕事を得るのも難しい現実が必ずくる。先週プレスクールに来る外国人の保護者と話した。2歳児でも英語はマストだという。彼の本国では英語習得は毎日のメニューであって週に一度はあり得ないといっている。毎日習うためには学校に通うという選択肢がマストだともいう。外国人と話していると2歳児を扱うプレスクールを保育所とは考えていない。立派な学校と考えている。ランゲージを設立した当時このような考え方をする保護者は稀であった。特にプレスクールなどは一時預かりとして利用する人がほとんどだった。ところがこの数年で保護者のディマンドは変わり、それに応える形でランゲージも変化している。
 教育事業は100年続いて世に残ると言われている。ランゲージはまだ10歳である。あと90年、社会は変わり続けていく。しかし一つだけ変わりたく無いもの、それは人間が人間を教育し、人間は機会も教育できるということである。これから教育機関にもAIが入り、デジタル化する中で、ロボットたちと共存しながら我々人間がリーダーシップをとる、ランゲージはそんな未来も見据えた教育機関であり続けたい。

ニューヨーク、コロナ禍のプロテクション

ニューヨークに住む2人の娘が悲鳴をあげた。コロナ禍で保育園が閉鎖し、ベビシッターは恐ろしくて家に入れることができない。仕事は全て家なので生後8ヶ月の赤ん坊がいては立ったり座ったり集中できない。さらに長女は次男を妊娠中でHuge! Berryという英語が適切な表現が適切なほど、これ以上大きくはならないほどに膨れているという。ここは親が助けてあげるしかないと一大決心をした。しかしニューヨークのコロナ感染状況は全く芳しくなく、飛行機の機内も感染率の高い場所となっている。領事館のウエッブページには、ニューヨークでの入国審査に関して、日本でPCR検査を受け証明書を持参し、税関で受諾されたら自主隔離が4日になるとあった。そうこう溢れる情報に翻弄されていたらニューヨークから日本人の友がやってきた。話によると羽田でPCR検査を受け90分後陰性判定をもらい、後は全く何も聞かれないまま入国したという。ニューヨークはどうか?との質問に日本人には寛容じゃないかという。検査を受けたければ町中に検査所があって旅行者であっても無料で検査が受けられるという。ただし3時間以上は並ぶ。こんな話を聞いていたら考えすぎより行動あるのみかという気持ちになってきた。娘たちには高校生の時からほぼ独り立ちのような環境でのアメリカ生活。それで鍛えた強さのようなものがあって、あまり親を頼るということはないのだが、今回のコロナ禍は例外のようであった。
とは言え私も仕事がある。しかしこれもコロナで仕事をこなす方法が変わってきた。半分近くの社員は自宅で仕事をしている。では私も若い連中を見習ってニューヨークからリモートで仕事をすればいいと決心した。同時に今ニューヨークの街がどうなっているかも知りたかった。ニューヨークは東京以上に人でできている街である。そこから人が消えたら機能しないと言ってもいい。今までもこの街は何度もどん底に落とされている。1927年の大恐慌以来株の暴落は何度も経験したが、その度に強くなって這い上がってきた。しかし今回は状況が違う。株の暴落は街に失業者も溢れるが、新しいビジネスも生まれる、街には人が溢れビジネスチャンスをつかむのに必死で働く。ところがコロナは人々が街に出るのを許さない。これが決定的な違いである。実際にニューヨークの街を歩いているとサンクスギビングからクリスマスまでの大ショッピングシーズンに人の波がない。パパ&ママストアーと言われる個人商店も閉店のサインがそこここにみられる。増えた人といえば町中で見られるホームレス、それも仕事のない若者たちの姿である。今回のコロナでパソコンを使いこなせるグループとそうではない対面で仕事をする労働者のグループとの明暗である。
特にレストランビジネスとエンターテイメントビジネスへの打撃は大きく、ニューヨーク名物のブロードウェイミュージカルは2021年9月まで動かない。
ところでニューヨークは今年の始めに世界で最もコロナ感染者の多い街として有名になった。そのせいか町中には安全を守るためのメッセージがあらゆるところに見られる。地下鉄やバスなどの公共機関ではマスクキャラのデジタルポスターがわかりやすく、また子供達にも馴染みやすく数カ国語で登場する。スマイルマークのような顔にマスクをつけていて、マスクのダメなかけ方や、代用品のかけ方、また子供がマスクをかけたがらない時の対応など、見ていても楽しいメッセージが飛び出す。どの店舗にもソーシャルディスタンスのマークが色とりどりのスティッカーで貼られていて、コロナ禍でも楽しく安全確保をしましょうという姿勢が見られるところは日本と違う。今日もブルックリンに向かう地下鉄で隣に座っていた黒人女性のマスクはかなり激しい光のフェイクダイヤモンドで散りばめられていた。おまけに髪はドブロンドでつけまつげは3センチ以上の迫力。これをヒョウ柄のジャケットとヒョウ柄のパンツ、靴もヒョウ柄で決めて私はコロナを寄せ付けませんというメッセージを感じた。
ニューヨークの公立小学校は今日12月7日からやっと再開した。現地で日本人親子数名と話す機会があった。ママたちによると、日本人の子供達にはオンラインクラスについていくのが困難だったり、親が英語で説明される英語での設定方法がわからなかったりとコロナ禍での海外生活の難しさを実感したという。
現在公園やミュージアムは開いているが、事前予約を取ったり、公園での子供達同士の接触に神経を使ったりと日常は簡単ではないと理解した。ただ子供達は公共衛生のロゴや街のあらゆるところに貼ってあるディスタンスマークなどを良く理解していて、コロナと共存している強さも垣間見た。
イギリスでは8日からワクチン接種が開始されるという。アメリカでも今月中には開始のニュースが流れると期待されている。しかし一方でニューヨークに住む人々は1月が正念場だともいう。今年3月に起きたニューヨークでの大規模感染の教訓から、人々はワクチンよりも自分や家族をいかに守るかに日々奮闘している。

コミュニケーション能力




 仕事がえりにふらっと回転すしに入った。川崎で認可園新設のために住民説明会を行った。合同面談3回候補地住民との個別面談10回目でやっと合意らしき決着がついた。そのせいか無性にお腹がすいてきた。女性お一人様文化満開だが新型コロナ蔓延の時期にあってさぞかしお客も少ないと思ったら、席はほとんど埋まっていた。席に着くといきなりプラスティックの仕切板が現れた。ソーシャルディスタンスを保つためには仕方ないのだろうが、隣でおじさん二人が大声で話している。効果0を感ぜずにはいられないが文句を言うわけにもいかないので、さて、今宵は何を食べようかとカウンターを見回した。ところが今までの回転すしとはちょっと雰囲気が違う。一体何が違うのかとあたりを見回して見ると、人の顔が見えない。声が聞こえない。響くのは板前さんの”らっしゃい!”” ”毎度!” ”大トロご注文いただきました!” くらいである。回転すし屋が静かだと回ってくるお寿司も心なしか寂しそうである。などと思っていたらウエイトレスが来て「お客様、今日は新型コロナの入荷が、アっ、いえ、その新鮮なイワシが」とびっくりするようなことを言う。10分後には板前さんが「薄焼き、じゃなかった厚焼が上がりました!」と叫ぶ。お客があまり静かなのでわざと間違えているのかと思うほどだが、それにしても活気がない。コロナなので口頭での注文はお控えくださいと、紙とペンが置いてありオーダーを書き込む。今時よくあるipadは置いていなかっただけ救われた気がした。

 それにしてもコロナによって人間社会から口頭でのコミュニケーション能力を失わせていく一種のプロバガンダが蔓延している。回転すしの例もその一つだと思う。回転すしは大阪で立ち食い寿司屋を経営していたオーナーが、アサヒビール工場を見学した際に閃いたアイデアを実践したものだ。しかし無言でスタートしたわけではなく、カウンター内の板前さんとワイワイ言いながらこのネタはどうだの、これは旬だの、次は何のネタを流すだのと活気があったそうである。しかしコロナは食事中に会話することを禁じてしまった。大声で注文もできない。人々は携帯を見ながら黙々と飲んで食べる。こんな光景は寿司屋だけでなく多くの店のカウンター席で見ることができる。私はよく外国人を連れて回転すし屋に行った。目的は日本語の練習である。「すみません、注文お願いします。」から寿司ネタの単語に至るまで日本語学習にはもってこいの場所であった。

またそこから生まれる板前と外国人のコミュニケーションが面白く、友達関係にまで発展することもあった。それこそがコミュニケーションが作る人間社会の繋がりなのだが。言葉なしでも生きていける社会への危機感を強く感じるこの頃である。

Child Abuse




 虐待のことを英語ではill-treatmentとも言う。新型コロナの終わりが見えない中、子育てにイライラを感じたり、些細なことで子供を怒鳴ってしまったり、時には手を上げてしまったりといった自己反省を聞くことがよくある。話すだけでも気が楽になったというのだが、家庭での夫婦の育児協力体制や、ストレスの抜き方、自己コントロールの方法などあらゆる方面から対策を考える必要がある。

私自身も子育て真っ最中の頃、長女10歳、次女8歳、長男6歳、次男4歳、三女3ヶ月といった黒部保育園?みたいな状況の中、平常な精神が保てず、必要以上に子供を叱ったり、子供達の前で不必要な夫婦喧嘩をしたり、泣いてみたりという経験があった。5人も子供がいるとこうなってもしょうがないと母に言ったら、「無責任に子供を産むからそうなるのよ」と言われた。アメリカでは子供への虐待に対する社会的責任は日本より重い。また一般の人々も子供を守るのは社会という意識が高い。

ある日ショッピングモールで次女がギャン泣きを始めどうにもならなくなった。私は次女の性格からなだめても聞かないと知っていたのでしばらくそのままほっておいた。ところが突然中年の婦人が現れ、「あなたが今この子にしている行為がわかっているの?」と聞かれた。答えるすきもなく「子供は泣いて親に何かを訴えているのだから、それを無視するのは虐待よ。」ときつく諭された。私も初めて他人から受けた注意でショックを受けた。2回目は家族でスキーに行った時、キャビンで長男が悪態をつき、御免なさいを言わなかったのでしばらく外に立っていなさいと5分ほどテラスに立たせておいた。30分ほどするとレインジャーが現れ、「今8歳ぐらいの男の子が外に出されていると通報があったがお前のところか。」と事情聴取にやってきた。私も主人もびっくりし、悪い子だったので罰則として外に立たせたと行ったら、それは児童虐待になるので注意するようにとのことだった。こんなことがあってアメリカでは社会全体が子供達を守っているという意識が私の中でも高まった。

幼児虐待は親の元だけではない。近年ネット上にも保育園など育児施設における幼児虐待が後を絶たない。その背景には保育士の不足、そこから起こる経験値の浅い保育士集団による組織の不成熟、経営者の組織監視への怠慢などが上げられる。残念なのは施設で幼児虐待が行われていても、保護者にはなかなか分かりにくい。特に精神的虐待は分かりにくい。私の息子も幼い時にADHDがありやれ行動が遅い、スローだ、頭が悪いと噂されることが多かった。私の選択はまずその施設から脱出すること、専門医に相談することと、適切な環境を選択しその子の可能性を伸ばすことをした。もちろん多くの方々のアドバイスや相談を受けてのことである。

まだまだ暑い日が続き、コロナも続き、子育ても続く、長い人生とはいっても毎日を悩まずにきたい。考えすぎず他人に相談し、また夫婦間の会話も少なくなっている時でも思い切って夫婦で子育てのより良いあり方をビールを飲みながらでも話し合うことである。ビールは憂さ晴らしに飲むと後味が悪いが、建設的な話の後の一杯は美味しいはずである。

 

親力




「おやじから」と読んでほしい。コロナの時代に親力が活躍する。

親力は大変である。発揮するのが大変である。体力も気力もいる。しかし子供達は長い将来に渡って親力を崇拝してくれる。私ごとを事例にする。ニューヨークで子育てをしている時に何度となく大雪に見舞われた。ニューヨークの雪は1日がつりとふり、夜中に氷のように固まり、朝になると交通マヒが起こる。

当時5人の子供達は別々の学校に通っていた。マンハッタンのセントラルパークを挟み西と東に長男と次男、北のブロンクスに長女、南に次女、三女は幸いにもアパートの真下が保育園だった。雪になると街は大渋滞に陥り、スクールバスの遅れは1時間以上になるのだが、時には定刻前に到着したりと毎日の時間が読めない。ニューヨークの真冬、バス停に立ちっぱなしでいつ来るともわからないバスを待つのは、冷凍庫の中でかき氷を食べるぐらいの寒さを覚悟しなければならない。そこで決断したのは徒歩で迎えに行くという選択だった。

これは寒いからという理由だけではない。大渋滞の中マンハッタンを1時間半以上をバスに乗りっぱなしだと子供も疲労する。次男は喘息持ちで食も細く小さい。バスから降りて来るとスルメイカのようになり家に着く頃には食事もしないで寝てしまうことも多々あった。となると宿題もしない、友達と遊ぶ時間もない。おまけにスクールバスは月額¥40,000と恐ろしく高い。

さて、徒歩で迎えに行くといっても長男と次男の学校のお迎え時間差は35分しかない。まず保育園に通っている三女をピックアップしベビーカーに乗せ、地下鉄で次男のいるWest side7thAve89丁目に向かう。接続がよければ15分、悪ければ20分で到着、そこから徒歩で二つのアベニューを横切りセントラルパークを横断する。ニューヨークの街はアベニューとストリートによって碁盤の目になっているが、アベニューはマンハッタン島の東からYork, First, Second, Third, Lex, Park, Madison, Fifth, 6th,
7th, 8th 9th, 10th, 11th, West end
となる。アベニューの幅はかなり広く一つを横切るに5分ぐらいかかることもある。6thから向こうはセントラルパークを横切ってWest sideとなる。長男の学校はEast sideの62丁目、次男は7thアベニューの89丁目にあった。この距離を最短で繋ぐにはセントラルパークを徒歩で、というより競歩で横切るのが早かった。

行きはベビーカーを押して走る私のスピードを考えればよかったが、帰りは次男が一緒だった。当時小学校1年生だったので徒歩では時間がかかる。そこでローラーブレイドを履いてもらうことにした。本人も楽しみながら付いてこられるので正解だった。問題は冬、それも雪に覆われたセントラルパークの横断だった。ベビーカーは無理なので三女は友人に預けた。雪でもセントラルパークを横断しないことには長男のお迎えが間に合わない。方法は一つ、スキーを履いてもらうことだった。私は家から子供用スキーを抱え地下鉄に乗った。次男は元来スポーツ好きなことも幸いして何とか雪の季節を乗り切った。こんなことを毎日3年間続けた。今考えると送迎時間の合計は2時間あまり、午後の時間の大半はお迎えで終わる。でも楽しかった。親として子供達と一緒の時間を共有している充実感があった。三女を預ける友人を日毎に探すのには苦労したが何とか乗り切った。親力とはこのようなことを言うのではないかと思う。ようは子供のためなら何でもできちゃうと言うことである。できる、ではなく、できちゃうのである。コロナで日々悶々としている保護者の方々には、最大限の想像力と創造力を発揮してもらい、子供達が驚くような作戦を日々生活の中に取り入れてあげれば、コロナが終了した時に安堵感以上に親としての達成感が生まれるのではないかと考える。あと少し頑張って欲しい。

今お家でできる英語時間




 コロナが一向に撤退しそうにない。国が非常事態宣言を出してもMUSTではないので街には人がいる。レストランにもいる。電車にもバスにもいる。これでは子供達はなかなか学校に戻れない。一ヶ月前は「やった!学校に行かなくてもいい」が「まだ行けないの?」「いつ始まるの?」になってしまった。子供どころか大人達も長期戦を示してきたコロナの現状にうんざりし、夕方のニュースで上がってくる本日の感染者数にがっかりという毎日である。このように毎日を送っていると家族同士の会話も少なくなり、殺伐とした気持ちにもなる。しかしここをどう耐えるか、鍛えるかで、特に子供達の英語には大きな差が出ることを知ってほしい。語学は覚えるのに1年かかるとすれば、忘れるのは1週間もあれば簡単にできてしまう。逆に子供達は覚えるのが早いので、この自宅待機期間に毎日10分英語の時間を確保すれば効果は必ずある。

 まず朝起きた時に英語の子供音楽を聞かせよう。毎日ラジオ体操のように同じ曲を流す。次に歯磨きや洗顔に必要なものはあらかじめママが持っていて、欲しいものを一つづつ言わせる。”May I have my tooth brush, please”,“May I have a towel,please”のように言わせる。自宅待機期間はパパもお家にいる可能性が高いので、ここはパパの仕事とする。朝食は子供達に英語でオーダーさせる。ママもパパもいつもよりは時間があるのでコックさんになったつもりでオーダーを聞いてあげる。”I like to have a NATTO and rice, please” ” I want to have some
pancakes, please”
などなど言わせて見る。年長さんならパパとママが英語会話のキャチボールができるかもしれない。そして食事が終わったら後片付け、これはママから”Clean up your table!”と一言。子供がきちっとできたらGreat! Good job!!ママ本当に嬉しい!”ぐらいの言葉をかけてやろう。

これだけでも20分ぐらいは実践の英語を学習できる。発音は気にしない。要は英語に触れ、英語で発声し、英語でパパとママと一緒といった流れができればいい。

今ランゲージ・ハウスでは自宅待機中にON LINE CLASSを発信すべくチームが日々実験を繰り返している。来週には完成予定である。

コロナが与えてくれたもの




こんな書き方をすると誤解を招きそうだが、少し考え方を変えて社会の現状を見てみると、コロナによって町があるべき姿になったと思える部分もある。その一番は公園に子供たちが戻ってきたことだ。学校が閉鎖せれているので当然といえばそれまでだが、公園で無邪気に遊ぶ子供たちの顔を見ていると自由で屈託がない。プラス親たちも三々五々公園にきては子供たちと遊んできる。私は他人の話を盗み聞きする悪い癖がある。特に公園や電車の中で聞く会話は興味深い。最近公園での会話はまさにコロナがもたらした友達作りとも思える。2人の子育て中のママの会話。幼稚園が休園になったのだがお友達が皆遠くに住んでいてママ友とも会えない。仕方なく近所の公園に毎日やってくるのだそうだ。子供は友達がいなくても無邪気に遊んでいるが、ママは一日誰とも会話をすることもなくストレスが溜まっていたところ、公園で同じ問題を抱えるママに出会った。2人は意気投合して毎日公園出会い、子育ての毎日に張り合いができたと言うような会話だった。2人とも通常は会社勤めだと話していた。もう一つの変化はパパママストアーが平常よりもお客さんが集まっていると感じている。実際に人数を把握しているわけではないが今までよりはお客が多い。そして店員さんとお客さんの会話が聞こえる。いつもはスーパーマーケットだけを利用するお客さんも、路面店で空気がよく通り、外から店内が見えるところで買い物をしたいと思うのかもしれない。レストランもよく観察すると路面店には人影が多い。余談だが私が以前働いていた企業がビルディングメインテナンスをしていた。その中の重要業務がダクトクリーニングによる空気清浄作業だった。この企業では世界中のダクトクリーニング、空気清浄システムをリサーチしていた。私も世界的に有名な学者たちと話す機会があったが、スマートビルディングと呼ばれる窓の開かないビルより、昔ながらの窓全開のビルの安全性が数段高いこと皆が口を揃えて言っていた。病院での院内感染の比率も窓を開けられる施設の方が低く、院内感染とダクトクリーニングは非常に密接に関係にあるとしている。コロナにしても室内空気清浄機に頼るよりは窓の開閉を頻繁に行う方が空気の新鮮度は高いのではないだろうか。

人間は高慢である。これでもかこれでもかと欲を追いかける。今回のコロナで中国が目の敵にされているが、資本主義諸国が市場原理に基づき生産拠点を人件費の安い中国に移し、中国も外国資本を引き入れるためになりふり構わずイケイケドンドンを何年もやってきた。どれもこれも欲の追求である。イタリアが大変なことになっているのも、北部はガーメント産業が盛んで、多くの中国人を受け入れてきた。なぜならMade in Italyのタグを維持しながら安く商品を作り、高くさばいて儲けるためにはイタリアで人件費の安い中国人を雇い入れ製品を作らせていた。この中国人達が春節で中国に帰り戻ってきてから2週間、まさにコロナが大ブレークを始めた。フランスにしてもどのくらいの中国人がブランドを支えているかわからない。どれもこれも自分たちの欲が膨らみに膨らみ爆発した結果である。

今一度私たちは幸せの本質を考えるべきである。先日ランゲージハウスに通っていた子供(言ってもすでに大学生になっている)の父親に会った。黒部さん家族の写真見てくださいと言うので見せてもらった。なんと幸せな顔をした家族なんだろうと驚いた。父親は当時から変わらぬ会社で淡々と働き、母親は専業主婦、息子3人は高校生と大学生、親子で串カツをほう張っている写真だったが

幸せに満ちていた。「僕はこれ以上を望まない。」と言う父親の一言がしばらく耳に残っていた。

ハワイ教育移住




近年ハワイ移住が増えているということをハワイ滞在中に知った。といっても農業ではなく「子供の教育」移住である。日本の大手IT企業の部長クラスであったA氏は周りの部下が英語に堪能というだけでグーグルやアマゾンなどのグローバル企業に破格値でヘッドハントされる現実を目の当たりにし、もし自分の子供に英語という武器がなかったら20年後の人生はかなり厳しいと考えた。英語を自分の言葉の一つにしておけば就職先は世界に広がるという理由で家族全員でのハワイ移住に踏み切った。マーケティング会社に勤めているB氏も2025年に世界で一番の長寿国になる日本だけにフォーカスしていてはマーケティング業界での成長はない。英語ができればマーケティング情報が50倍にも増えるという現実を真摯に捉えたいという理由で、3年間のリサーチの後家族での移住に踏み切った。もちろん移住を現実にする背景には経済的な基盤がないと不可能である。ハワイの物価はニューヨーク以上の全米トップ、不動産価格もローンを組めば金利は4%以上、おまけに教育環境の整った私立インターナショナルスクールを選べば年間300万円はかかる。しかし本気でこれら諸問題に向き合い、ある程度の期間をかけて準備をし、本気で移住を考える若いファミリーたちの選択は子供達の将来を見据えた現実的な選択であると思う。A氏が言うように、海外でビジネスを勉強し、自分の言葉で英語を操り仕事のできる日本人ビジネスマンはヘッドハンターたちの狙い目である。同時に日本語にも堪能で読み書き能力が備わっている日本人は世界中で仕事を見つけることができる。私は10年以上前から日本の社会は大きく変わるといい続けている。WEBが発達し世界中がネットワークで張り巡らされている昨今、日本語だけで世界の情報を掴もうとは冗談にも思わないでほしい。ニューヨークに住んでいる娘はSOHO(英語ではSOHOとは言わない)環境で仕事をしているグラフィックデザイナーだ。朝8:00からインドのムンバイとメキシコシティーで働く同僚とスカイプーミーティングをし、ミネアポリスにいる上司にスカイプで報告する。彼女の提案したデザインの図面は上海でラフが作られ、翌日にはニューヨークの本社で最終ミーティングとなる。このようなワークスタイルは娘に限ったことではなくどこでも日常茶飯事だ。ハワイ教育移住を選択できるファミリーはまだ一握りである。日本で海外に通用する教育を考えることが、日本に優秀な子供を育て、ひいては国を強くする力にもなる。早期幼児バイリンガル教育が日本で根付いていくには時間が必要だが、遅からず日本社会が必要とするのは間違いない。ランゲージ・ハウスの子供達がそのパイオニアになってくれることを望む。

夏になってしまった

夏になってしまった。5月にVOICEを投稿してから3ヶ月もたってしまった。
書くことが本職ならとっくにクビになっている。幼稚園のブログということを理由に「きっと保護者も私が忙しいのをわかってくれている」なんてことを思わないのだが、心の何処かに甘えがあるから、ダラシないことになってしまう。
では一体6月7月と何をしていたかを聞いてもらうのも何かの役に立つかもしれないと勝手な「言い訳」の前置きをして書くことにする。
 4月末にインドの南、チェンナイという街に行った。結婚式である。以前ランゲージ・ハウスに留学生として来ていたアンジョリという娘の友達だ。インドの結婚式は初めてだったが、後にも先にも招待客1400人という超大型の式で、延々3日間に渡ってイベントが繰り広げられる。私もサリーに負けられないと着物持参で出席したが、出席者の半分以上を占める女性たちが纏う絢爛豪華なサリーの中で1人の日本人が着る着物は存在感がない。それでも頑張って外気温40度のインドで二日間を着物で通した。私の他にもフィンランド、ドイツ、ネパール、イギリスから来た若者たちは共に日本で高校時代を過ごした経験がある。皆10年ぶりの再会であったが、話題は日本で過ごした楽しく充実した時間、全員が人生一生の思い出というほどに日本での留学体験は貴重だったと話す。インドでは朝昼晩と3食カレーものノーチョイスである。まして南インドはバリバリの菜食主義者が住む街なので、NO MEAT, NO BEERは当たり前。
結婚式は出席者が多いこともあって会場に隣接した食堂にミールの合図と共に入り、着席すると待っていましたとばかりに7〜8人の給仕係がわっと寄って来てバケツの容器から大型おたまのようなもので配膳して行く。飲み物は水だけ。3日間続いた式の最中一日ゲスト一人当たり4本のペットボトルを消費するとして3日間だと16800本のペットボトルが消費されたことになる!
結婚式の内容を書くと100ページぐらいになりそうなので割愛するが、圧巻は1400人のゲストが最終日にプレゼントを持ってやってくる。それを壇上で新郎新婦とその両親が待ち受けゲストにご挨拶をする。これに3時間ほどを要し最後は誰が終了の挨拶をするでもなく3日間にわたるイベントが終わる、と思ったら今度は新婚夫婦が伝統儀式に従って新生活のゲームのようなことを始める。ヤシの実を取ったかとらないか、甘いお菓子のクリームを顔に塗り合うとかのたわいない遊びだが11種類をこなして行くと2時間ほどかかる。ゲストも疲れるが、新郎新婦とその家族は不眠不休状態で結婚式を進めて行く。インドでは離婚率が低いのも、これだけの体力、時間、お金、人を総動員しているのだから簡単には夫婦をやめるわけにはいかないのも事実のようである。新郎新婦は2ヶ月後にアメリカへと旅立った。これだけ超盛大な結婚式をしても国には残らずアメリカに行ってしまう。インドの富裕層は子弟のほとんどを高校か大学でアメリカかイギリスへ留学させる。卒業後インドの給与では留学費用は取り戻せないとばかりにアメリカの企業に就職する。しかしインドで感じていたような家族の絆や深い友人関係などの幸せ感をアメリカで感じるのは難しい。
アメリカに留学し、アメリカの企業で働く、この価値観が根本的に変わる日が来るかもしれない。

令和を考える




平成から令和に年号が変わってお豆腐のパッケージにまで令和マークが付いているのにびっくりしたが、日本人の可愛いところだと外国人に言われ納得した。

令和に変わる前には昭和から平成のドキュメンタリーが数々放映された。その中で私の注意を引いたのは前皇后美智子妃殿下の英語だった。震災の時に宮内庁からたくさん絵本が寄付された。また難民救済事業の一つとして海外にも送られた。美智子妃殿下のスピーチは子供達の教育にとっていかに「本を読む」ことが大切であるかを話していた。話の内容はともかく、私が驚いたのはその品格ある英語だった。台本を見て棒読みしているのではなく、クリアーな英語で聞きやすく、理解しやすかった。美智子妃殿下は聖心女子学院在学中に英語を学ばれたようだが、宮中で英会話レッスンを受けたといえ、コミュニケーション力100%の英語力があると判断する。それに比べ日本の政治家はどうだろう。台本丸出しで、その台本も本人が書いてはいないので説得力に欠ける。自分の言葉ではないのだ。反対に外交官で英語ができすぎるとそれをひけらかすあまり英語が一人歩きしてしまい会話が追いつかない。この二つの欠点が全くなく、また説得力のある英語を話す美智子妃殿下のような外交官や政治家が日本でも生まれてほしいと思う。

 さて、令和の英語教育はどうなるのだろう。短視眼的には大きな変化はないと思うが、長期的に捉えると英語コミュニケーション能力の必要さを自覚する若年層が増えてくると思う。一つには外国人が日本の労働市場に入ってくると英語ができない日本人にアドバンテージがない。例えばコンビニの販売員も日本語だけより多様化した顧客に対応できるマルチリンガルを採用する。交番のお巡りさんは日本人でないと仕事にはつけないが、英語ができることで中央の部署に配置される。(すでに現実)タクシーの運転手さんも英語ができると新車に配置されるなどなど、英語ができることで損をすることはない社会になってきている。ところが現実はどうだろう。小学生、中学生、高校生、そして大学生の保護者がどのくらい英語教育を真摯に捉えているかを考えると寂しいものを感じる。エクスキューズとしては「塾があるから」「サッカーがあるから」「ピアノがあるから」というのだが、それはそれ、英語は英語である。サッカー選手になりたければ幼年期からの英語教育を継続する。万が一選手にはなれなくてもインターナショナルなアスリートの世界で仕事が見つかる。塾は良い学校に入るためのものだと理解しているが、良い学校の入試はもっともっと英語に比重が置かれるようになることは大学入試制度の変革が明らかだ。ピアノは趣味の範囲から出ることのできる人は一握りであるが、英語を通してより広く深くピアノを知ることができる。習字でさえ英語ができれば外国人に教えることもできる。というように「英語ができるとプラスがくる」という意識を持って学習に当たれば人生はもっと広く楽しいものになる、簡単すぎるこの現実をゲットするのはあなた次第である。

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