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ILH代表黒部のブログ

貧乏神と福の神

1月の連休中、海外からのお客様を連れて温泉に行った。休みのせいか子供が多く、おじいちゃんおばあちゃんと温泉に来る楽しそうな姿が目につく。そんな時考えさせられるのが家族と子供の会話、特に言葉遣いである。特に大浴場の脱衣室での会話を聞いていると、レストランなどで同じ親子に会った時に一つの法則のようなものが見えてくる。今回の旅でも言葉使いの全く違う親子二組に遭遇した。会話の様子がよくわかるように台本的に書いてみる。
 一組目の親子は娘二人とお母さんとおばあちゃん。子供たちの年は3歳と5歳で、お風呂上がりで着替えている時のお話である。
 お母さん;「まいちゃん、お着替えは自分でしなさいね。」
 長女;「ばばに手伝ってもらう。」
 ばば:「今みほちゃんを手伝っているからちょっと待っていてね」
 長女:「どのくらい?」
 ばば:「5分ぐらいかしら」
 長女:「5分ってどのくらい?」
 ママ:「あそこにある時計の長い針が4から5になるまで。」
 次女:「じゃあ私が数えてあげるから待っててね。」
 次女が数を数えだすと長女は自分で着替え始める。
 
二組目はお母さんと4歳と5歳の年子らしき女の子たち。
 お母さん「早く着替えなさい。」
 次女「ママ、このボタン取れない」
 長女「ミクはママに甘えてるからだよ。」
 お母さん「いいから早くしなさい。」と次女を手伝う。
 長女「ママ、私のボタンもやって。」
 お母さん「何言ってんの、甘ったれないで自分でやったら。」
 長女「だってできないんだもん。」
 お母さん「もう!できないならずっとそこにたってれば。」この時点で長女は泣き顔。
 次女「お姉ちゃんはバカだね。」
 お母さん「全く何やってもダメね。」
 長女は二人からの責められ泣き顔で着替えている。
たかが数分の会話の中に、前者と後者の家族幸せ度の差を感じてしまった。朝のバイキングでも同じふた組の親子に出会い、朝の清々しい顔は一組目のお母さん、寝不足気味でむっつりしているのは二組目のお母さんだった。日常のたわいのない会話の中で子供達は成長する。反対にその何気なさに傷つくこともある。
毎日の育児や家事に追われる中、何度となく「うるさい!」「早く!」「全く!」「もう!」「いい加減にして!」などなど、感情優先の言葉を幾度となく発してはいないだろうか。そこに一呼吸入れて「ちょっとうるさいけど静かにできる?」
「さあ、何々するから早くしましょう!」「またやったのね、どうしてかな?」「もうもう、ママも大変だから助けてよ。」「はい、そこまでにしましょう!」
などに置き換えてみると家の中の雰囲気も変わる。私も5人の子供たちの子育て中は貧乏神のお母さんになりそうな時が多々あった。自分に余裕がないからとはわかっていてもどうにもコントロールが効かない。その経験から簡単なリセット方法は5分ほどトイレに入って自分を落ち着かせる。トイレには好きな雑誌や時には音楽まで持ち込む。できればトイレに自分の顔が見える鏡を置くいい。育児中は自分の顔が貧乏神にも福の神にもなる。つまりお母さんの顔つき次第で家族が幸せにも不幸にもなる。不景気な顔をして毎日文句タラタラのお母さんには貧乏神が本気で取り付く。逆に福の神のお母さんには、本当に福の神が舞い降りてくるかもしれない。

外国人が教えてくれる日本

新年あけましておめでとうございます。昨年もたくさんの応援をいただきましたこと心より感謝を申し上げます。2018年もみなさんの声援にお答えすべく、社会に貢献できる事業をクリエイトしていきたいと思います。

さて、外国人講師たちと12月22日にお疲れ様会をし、それぞれを里帰りに出し、逆に自分の子供達が里帰りしてくるという年末年始が恒例となっています。
講師たちは12月中旬ぐらいから顔つきが和み、ランゲージ幼稚部恒例のChristmas Showには満面笑み、多分心は既に故郷にありかもしれませんが、そんな講師たちを見ていると1年お疲れ様でしたと言いたくなります。日本人保育士をはじめ本当によく働いてくれるスタッフたちです。だからこそ息抜きも必要で、2週間近いクリスマス休暇は私自身も含めて新しいエネルギーをチャージする大切な時間だと考えています。 
………なのですが、実際私の年末年始は母親として一年で一番忙しい時期となります。子供達がそれぞれのパートナーを連れて里帰りしてきます。おまけにその友達とか、友達の友達とかが必ず現れます。日本の正月は既に世界でも名の知れたイベントみたいなもので、大晦日、お寺でのお焚き上げや除夜の鐘に始まって(日本人はこれが〆ですが、外国人にとってはイベントの始まりです)元旦のおせち料理、着物での初詣、記念撮影、かるたや書き初めといった日本古来の伝統遊び、お茶席(弟が茶の湯を鍛錬していてくれたことに感謝していますが)などなど、元日からの3日間は目の回るような忙しさです。外国人には日本の伝統文化をきちんと知ってもらいたい思いの一途です。
……ところが、大晦日に表参道にあるカフェに外国人と行ったところ、日本の文化の捉え方を少し変えなくてはいけないという気持ちになりました。場所は原宿の雑居ビルにあるキャラクターカフェです。なんと外国人の長蛇の列ができ待つこと30分、中に入ると不思議な森のアリスの日本バージョンみたいな内装のカフェで、皆あまり美味しそうでない不思議なランチプレイトを食べています。そのうち日本人の女の子が流暢な英語でナレーション、カフェ全体が暗転しショーがはじまりました。日本人スタッフが人形のキャラクターになって登場、踊りまくるという、別にどうってことないプログラム進行なのです。でも外国人たちは写メしまくりです。ショーは10分ぐらいで終了しました。一体これはなんだったんだろうと狐につままれたような気分でしたが、テーブルの上に置かれたレシートを見て現実に引き戻されました。なんとハンバーガーセット、照り焼き丼、そしてデザートにババロアケーキで¥8000です。ぼったくり?とも思いましたがお客さんの前なのでポーカーフェースを装って支払いましたが、着色料100%のケーキを半分ほど残してしまったのが悔やまれました。外国人たちはまた来たいと言っていましたが、私は二度と来ないと心の中でつぶやきました。
 一体外国人たちにとって何が日本的だったのか、エキサイティングだったのかを知りたくて聞いたところ、あんな狭いカフェでカラフル、パワフルなショーをしていること、メニューが奇抜なこと、例えばフレンチフライと一緒に食紅で染めた紫とオレンジのうずら卵がついてきたり、ハンバーグの味がすき焼き味で白滝が入っていたり、照り焼き丼にどっさりマヨが乗っかっていたりでtaste is so goodなのだそうです。確かに味覚よりも視覚でアピールする日本食を外国人向けに開発、商品化した凄さを感じます。それとどのスタッフも英語堪能で、ダンサーたちに至っては外国人とのコミュニケーション能力抜群、あっぱれな会話力でした。
 このカフェでの出来ごとは、私たち日本人が知っている伝統文化を見せるだけではなく、外国人が発見する日本文化を知ることで日本を再認識し、新しい日本を発信していくことの大切さを教えてくれました。翌日ファースブックで繋がっている世界中の友人たちから、日本に来たら寿司屋よりもこのカフェにいきたいとのメッセージが届きました。であれば、もう少し値段の安いところを探さないと大変ですが。

子供のしつけ

ランゲージ・ハウス幼稚部では年長組のお泊まり保育がある。園児たちにとっては友達や先生との楽しい思い出を作ることが目的であるが、私にとっては3年の間に園児たちがどのように成長したかを、同じ屋根の下で確かめることが目的である。
 この一泊旅行のコースは、油壺にある「小網代の森」での自然散策から始まる。
ここでは外国人講師とコミュニケーションを取れるか、どのくらい自発的に自然の中から興味あるものを発見できるかがポイントとなる。今年は冬のお泊まりだったこともあり、冬の林でどれくらい発見ができるか気になっていたが、小さい昆虫や植物を見つける子供の特技は季節を問わずに凄いことを見せてくれた。昼食はシーボニアヨットハーバーにあるレストランでのフォーマルなセッティングの中で子供たちのマナーを観察する。ここには一般のお客様もいるので園児たちはそれなりに緊張している。真っ白なテーブルクロスに銀のフォークとスプーン(安全を考慮してナイフはNGとなっているが、小学生になったらナイフとフォークに挑戦してもらいたい)が置かれ、係りの方が丁寧にプレートを配膳してくれる。園児が守らなくてはいけないルールは「ありがとうございます。」と「~ください。」英語ならThank youとPleaseだが、日本人同士なので丁寧な日本語を使い、またお友達同士の会話も大声を出さないこととなっている。このように書くと堅苦しい昼食会のように聞こえるが、きちんとした環境で食事を楽しむという習慣がつくと、食そのものへの関心も高まる。例えばいつもは手づかみで食べているフレンチフライ、園児たちにフォークで食べた時の味を聞くと、もっとジャガイモの味がするという。マクドナルドとの違いがわかってくれれば嬉しい。そして、大人にも難しい、というより日本で習慣化されていないのがナプキンの使い方である。口の周りをクワンクアンにさせておしゃべりしている大人をよく見かけるが海外では顰蹙をかう。少なくともランゲージ・ハウスの園児たちには良い習慣を付けてほしいので私もかなり口うるさく言う。食事も中盤に入ってくると自然にナプキンが使えている子供がいることに気がつく。やればできるである。
 ホテルでは合宿所さながらの大騒ぎとなるが、布団を運んだり、それぞれの荷物をきちんと整理したりするのは日本人保育士の指示で行われる。家族で旅行をするときは自発的にはしないと思われるタスクを与える。できないと言って放り出すのは勝手だが、自分の身の回りのことができなければ次のアクティビティーには参加できない。
 夕食は一般客もいる所でのビュッフェ。子供達にとっては好きなものを好きなだけとっていいといっても、いざたくさんの食べ物が目の前に並ぶと見る方に忙しく、5、6歳児では食べ物に対する欲がない。食べられるだけの量をとる子がほとんどである。これが大人だと、パスタの上にパンが乗っかったり、刺身の横にローストビーフがきて、その横にデザートが置かれたりと、食欲ではなく明らかに物理欲の塊と思われるプレートを持って右往左往することが多い。マナーもへったくれもなくなる。
 夕食後は一人¥500を持って売店で買い物をする。目的は家族への贈り物ということになっている。子供達に消費税のことを説明しても理解が難しいが、
¥500ぴったりのものが¥540になる現実を体験してもらい、お店の人に「これは消費税ですよ。」と言われた方が社会学習になる。昔は街の商店街のおじちゃんたちがお金の使い方や払方を教えてくれたが、今のコンビニはあまり教えてくれない。将来世界のどこかで買い物に遭遇し、自分の言葉で買い物できなければ生きていけないことを体験してほしいと思う。
 就寝前の一大アトラクションはランゲージ・ハウス恒例のお化け屋敷である。
保育士と外国人講師が練りに練って作るお化け屋敷には、園児二人が組になって部屋に入る。一番怖いのは、ロングヘアーの外国人がザンバラ髪になり押入れの中で懐中電灯を顔に照らし薄ら笑いを浮かべる瞬間だと子供達から聞いたが、私も背筋に寒いものを感じた。
 さて、子供達との旅を通して見えてくるのが、家でのしつけである。一年365日を家庭で過ごすのなら、幼稚園はたったの230日ほど、確かに一日に過ごす時間は長いとはいえ、幼児にとって家庭での時間はあらゆる意味で影響力が多い。結論から言う。時間がかかっても、イライラしても、電車に間に合わなくても、子供ができそうなことに親は手を出さないと言うことである。子供に「できない。」と言われても「教えてあげるからやってごらん。」と言う態度で挑むことである。私もそうだったが親はなぜだかいつも焦っている。まして「できない。」と言われると「では、私が」と反応する。これが2年3年経つうちに気がつくと何も一人でできない子供が育っている。 
 もう一つは挨拶である。自発的に挨拶のできる子は少ない。園内ではできるのに公共の場に出るとできなくなってしまう子もいる。私は挨拶というのは「気遣い」の一つだと思っている。他人を気遣えば自ずと声をかけたくなるものだ。自分のことばかり考えていると人のことはどうでもよくなる。海外では見知らぬ人でも朝道であったらGood morning、しかし日本人は皆下を向いてマスクをして歩いている。外国人からすると異様な光景だが日本人は普通だと思っている。下を向いていては挨拶などできるわけがない。親が下を向いて歩けば子供も下を向く。親の影響力は大きい。
 しつけは長い人生のほんの短い期間でしかできない大切なことである。それもある年を超えると有効ではなくなる。特に幼児期のしつけはダイヤモンドの原石をカティングし磨に等しいと思っている。ランゲージ幼稚部はしつけを重んじる、がしかしそれが習慣となって家庭で継続されない限り意味がない。学校と家庭の協力体制の重要性を感じている。
  

2020年への目標 ?バイリンガルスクールとインターナショナルスクール

ランゲージ・ハウスは開園してまだ6年目の幼稚園である。開園当初は2名の園児でスタートした。たかが6年前であるが、その頃はバイリンガル保育と言ってもピンとこない保護者が多く、ほとんどの方が英語のみのインターナショナルスクールと思って見学し、そのほとんどが願書を取りに来なかった。それから6年、世の中には客観的に日本の将来、そして子供たちの将来に先駆けてどのような教育が必要かを考える保護者が明らかに増えてきた。
 私は5人の子供のうち3人をインターナショナルスクールに送った。ニューヨークから帰国した時、長女と次女は中学生、長男が6年生、次男が4年生、三女が幼稚園だった。長女と次女はまるでインターナショナルスクールに行くことが当たり前のように思えての選択だった。今考えるともう少し私と主人に経済観念があり、将来設計をしっかりしていればこの選択はなかったと思う。要するに考えが甘かったのである。ニューヨークに20年も住んで今更日本の学校などには行けないというおかしな観念があった。帰国子女はインターナショナルスクールが当たり前というような風潮もあった。まさにお金もないのにブランドバックを買ってしまったような学校選択の現実は、大いに我が家の経済を逼迫し、親に借金、銀行に借金を抱える始末になった。そして「誰もいなくなった」という映画のタイトルのように、日本には3人とも住まなくなった。そしてそれから数年、親は教育ローンの返済に追われ、残りの2人には日本の公立校へ送るのがやっとだった。ところが今振り返るとこれは大変有意義な選択というより、NO CHOICEからの副産物であった。。なぜならインターナショナルスクールに行かせることができなかった親のギルティーな気持ちもあって、日本での生活の中で色々な国の人達と接する環境を作り、また日本にくる外国人とのキャンプやら共同イベントやらに積極的に参加させた。同時に日本語は日本の学校でしっかり叩き込み、英語の成績が悪くても何も言わないが、国語の成績が悪いと説教した。ただ日本の学習塾だけは行かせても本人が嫌いだったので効果は全くなかった。なので効果のないものにお金は払わないとして
以後塾は頼らないという方針を貫いた。これも結果的には他人に頼らず自分の力の範囲内で自分の行きたい学校を選択する力を育むことができたと思っている。そして今子供達5人はそれぞれ自分の選んだ仕事で活躍しているが、ふと考えるのはインターナショナルスクールに通常の3倍の学費を費やした投資還元ができているのかという疑問である。(続く)

ランゲージ・ハウス幼稚部のプリンシパル その3

ランゲージ・ハウスのプリンシパル その3 「日本人力」

「日本人力」とは、海外での生活、また国内においても外国人と交わっって行くために必要とされる力である。特に今後日本の子供達には不可欠な力となると言っても過言ではない。私自身、海外で生活をしている時、自分にもっと日本人力があたらと思うこと多々であった。例えば友達作りである。ニューヨークで最初に飛び込んだのは国連が運営している英会話学校だった。そこにはベビーシッターで北欧からきた若者、外交官のご主人についてきた奥様たち、アメリカで仕事を見つけた移民たちとあらゆるジャンルの人たちが英語を学びにきていた。クラスが終わるとフリートークが始まるのだが、来る質問のほとんどは日本の文化に関するもので、一番多かったのは神道と仏教の違いだった。これを語るには神社やお寺の環境、そこにある諸々のもの、例えば鳥居、賽銭箱、おみくじなどをどう説明するか、神社の多神教をどう説明するか、お寺でも結婚式を行うことをどう説明するかなど、文化的知識を必要とする。で、答えられないと
親しく付き合いたいという相手の興味の対象からは外される。例えば日本人はフランスやフランス文化が好きだ。フランス人と話すとパリの話やワイン、チーズの話になるが、彼らにとってそんなことはどうでもいい。それよりもどのくらい日本について語れるかで、次の食事会に誘ってくれるか、ワイン情報を教えてくれるかが決まる。つまり自国の文化を語れずして親交なしぐらいと思っていい。ビジネスの世界でも同じである。サントリーの創設者鳥井信治郎は接待中にビジネスの話をするのを禁じていた。それよりも大いに日本を語れ日本をPRしろと営業マンを励ましていた。ビジネストークだけで売るウイスキーはただのウイスキー、日本を語りながら売るウイスキーは日本を代表するサントリーのブランドウイスキーと考えていたらしい。
 さて、具体的に幼稚部での日本人力はどのように育んでいるかを説明する。ひとつはマナー。日本伝統のマナーは世界の中でも美しいとされる。お辞儀をする、靴を揃えるなどの動作から、こんにちは、ありがとう、さようならという日本語、また人への心遣い、日本人としての優しさ、そして強さ、これらを外国人の先生にも自然に伝える箏ができる習慣を毎日の保育の中で育んでいる。ただこの部分を本当に習慣化するのは、英語を教えるより難しいのが現状である。なぜなら家庭での習慣化のサポートが必要である。ご両親が率先して品格のある言葉を子供達と話、時には直してあげたり、使えるようになったら褒めてやったりを実践してほしい。
 もう一つ園では、日本の伝統文化に沿ったプログラムを通して、日本人としての意識を高める保育を行なっている。七夕、夏祭り、お月見、書き初めなど、外国人の先生にも子供達が教えてあげられるような日本文化のイベントを実施している。また現在、アメリカとフランスの幼稚園との文化交流を行うなか、日本からは子供達のアイディアで日本を知ってもらう作品を送り、海外の幼稚園からも独自の作品を送ってもらう交流を行なっている。
 このように園児たちが自国の文化や伝統、日本語を意識する中で育まれるものは将来においても子供達の身につく大切なものと確信する。

ランゲージ・ハウス幼稚部のプリンシパル その?

コミュニケーション力

先日あるテレビ番組で、2020年から本格的に導入される公立小学校での英語教育に関してネガティブな意見が交わされていた。日本語もままならない子供達に英語を教えても意味がない、外国人講師は道徳を無視して言葉だけ教える、日本人教師の負担が益々増える、英語よりも数学を教えたほうがいいなどと
考えられる限りの英語教育デメリットを論じていた。私はそんな番組を見ながら、一部の日本人が英語に抱く意識は戦時中と変わっていないのではないかと不安になった。島国ジャパンの弱さは海の外の現実を見ようとせずに、守りとその排除だけを考える。アメリカは戦時中により多くの兵士に日本語を学ばせて敵を知ることで戦略を練り勝利した。同じように、将来日本人が生き延びていくには、コミュニケーションツールとしての英語を最大限に活用し、時には武器として、時には自己をPRするツールとして、英語を第二の言葉とすることが必然となる社会に適応することだと考える。コミュニケーション力は幼児期に育むことによって一生揺るがないものとなると思う。それを育む環境はバイリンガルの方がいい。3ヶ国語の環境でも子供は順応する現実を海外で見ている。コミュニケーション力は適応能力と深く関係しているので子供たちがあらゆる人種とのコミュニケーションに適応できる柔軟性が、語学力そのものを伸ばす要因にもなる。私がニューヨークに住んでいたころ、毎週のようにホームパティーをしては呼んだり呼ばれたりしていた。必然子供たちもゲストに挨拶したり、時には一緒に遊んでもらったりという中で世界中の人たちと違和感なくコミュニェーションできる能力が育まれたと思っている。そして今、それは仕事のあらゆる場面でプラスに働いている。今考えると時には外国人との付き合いが面倒なこともあったが、ニューヨークで楽しく生きるためには、あえて家族をグローバな環境に置くことで道がひらけたと思っている。
 さて、ランゲージ・ハウスの幼稚部でどのようにコミュニケーション力を育むのかと言うと、二つの学習に分けられる。一つは毎日行われるアカデミックな英語学習、もう一つは生活の中で行われるバイリンガルな環境順応学習である。英語学習に幼児が集中できるのはマックスで30分、年少ならば20分である。短時間学習を毎日行い、英語の基本を身につける。環境学習は前回紹介したLEADER BOARDに基づき、園内に12種類のタスクを設定し、それぞれのタスクに外国人、または日本人保育士がつくことによって園児たちの言葉は使い分けられる。これを3年間継続した成果が「コミュニケーションツールとしての英語」を自分のものにできるというランゲージ・ハウスのプロンシパルにつながる。開園して6年目に入るが、今大きな手応えを感じている。

ランゲージ・ハウス幼稚部のプリンシパル その1

ランゲージ・ハウス幼稚部のプリンシパル その1

ランゲージ・ハウス幼稚部には3つの主軸がある。自分力、コムニケーション力としての語学、日本人力である。まず自分力から説明する。バイリンガル教育を実践している園では、日本語と英語の環境の中で自分力をつけることを目標としている。これは日本人保育士と外国人講師が交互にしつけをすればいいというものではなく、しっかりとしたシステムの中で、子供達は自然とバイリンガルの力がつくようでなければならない。なぜなら幼児期という脳の発育がめざましい時期には遊びも大切である。遊びの中で多くのことを体験し、それを自分の糧としていく。バイリンガル教育のシステムは学習している時だけではなく、遊んでいる時や、集団生活をしている中でも機能しなくてはならない。
 そのシステムを説明する。ランゲージ・ハウス幼稚部ではLEADER BOARDという12種類の仕事が園児たちに割り振られている。配置は縦割りで行う。年長と年少、あるいは年中と年少、そして日本人保育士と外国人講師がそれぞれのタスクを管理する。例えばお魚の餌やり、トイレの掃除、ライブラリーの整理、ラジオ体操のリーダー、お砂場の片付け、プラントの水やりなど、園児たちが無理なくタスクを追行できるような仕事を選んである。園児はタスクを管理している先生がどの言語を話すかで、使う言葉を切り替える。例えばお魚の餌やりの管理担当が外国人であれば、Can I feed fish? 日本人であれば「お魚に餌をやってもいい?」となる。これが1〜2週間のルーティーンで仕事とパートナーが変わる。Morning routineも自分力開発の大切な時間である。園児たちは自分のユニフォームをハンガーにかけ、靴を揃えてボックスに入れ、自分の名前をボードに記入し、外国人講師と日本人保育士にそれぞれの言葉で朝の挨拶をする。
 もう一つはSHOW AND TELLというプログラムである。これは自分が大切にしているものや、自慢したいものを友達の前で説明する。ただし英語である。
園児たちは自分が相手にわかってもらいたいことを一生懸命説明しようとするその意識が自分力につながっていく。
 自分力はなんでもかんでも自分でやるということではない。時には友達や先生に助けられ、失敗し、できない!とヤッケぱちになりながらも、少しづつ自分でできることを増やしていくプログラムでもある。それが将来大きな自分力として、生きる力となる。

グローバル化の進展の中での英語力の重要性

以下は平成26年に文科省有識者会議で審議された、 グローバル化の進展の中での英語力の重要性である。
国民一人一人にとって、異文化理解や異文化コミュニケーションは益々重要になる。英語力の向上は日本の将来に不可欠であり、日本がアジアの中で英語力のトップクラスを目指す。
東京オリンピックを迎える2020年はもとより、学校で学ぶ全児童が卒業後に社会で活躍するであろう2050年頃には、我が国には多文化、多言語、他民族の人達が協調、競争する社会となる。
さて、以上のような文科省からの指針を受けて、2020年から小学3年生から英語は必修、5年生からは教科科目となる。必修はその学習内容を各学校独自に決めることができるが、教科となると文科省認定を受けた英語テキスト導入され成績がつけられる。
ただもっと重要なのは、その先にある中学、高校、大学入試試験での英語力のあり方が、上記した文科省の指針によって変わってくることである。具体的には2020年からセンター試験で英語が大幅に変わる。今までのようなYES,NO形式で必要だった細かい知識より、全体を読んで概要を掴む出題が増える。東大を例にとると、四分の一がリスニング、四分の三が長文読解力で、その長文が驚くほど長いといわれている。また受験英語と実用英語の差がなくなり、リスニング、スピーキングはもとより、英語に対する強い興味が勝敗を決めるといっても過言では無い。
実は韓国では1997年から英語の必修化が始まり、受験英語イコール実用英語を具体的に実践した結果、若者の英語力の伸びはアジアの中でもずば抜けている。
小学校英語の話に戻る。今後私立中学では英語のできる子を積極的に入学させたいという情報がある。何故なら英語に強い子が、次のステップである高校、大学受験に勝利しやすいという青写真をみているからである。ただここでいう英語に強いというのは、英語ができるということではなく、自分にとって英語は大切だという意識を持って学習に取り組める子である。
ランゲージ・ハウスでの生活そのものが、英語に対する意識を高めることにフォーカスしているが、小学校入学しても環境や意識の中に英語をしっかりと位置付けるのは親の役目と考える。
具体的な方法として、1日30分親子で本を読む時間をつくる。簡単な英語の本で十分なので、何度も繰り返し読む。英語絵日記を作る。子供に絵を描かせ説明させ、親が英語の説明、あるいは関連する単語を入れる。それを一緒に読む。PCで英語のゲーム、特に単語なゲームなど楽しめるものを選択する。英語の映画を字幕なしで鑑賞する。以上簡単なことだが、忙しい保護者の方には塾の方がよっぽど助かるとおもわれるかもしれない、がしかし、この方法は塾よりも何倍もの効果があり、お金もかからない。そして何より親子の絆が深まる方法である。

アメリカの大統領選と「グローバル」の意味。

アメリカの大統領選と「グローバル」の意味。

アメリカではトランプ氏とヒラリー氏の熱い選挙戦が繰り広げられている。すでに戦いは勝ち負け本位の相手を罵るゲームへと移行しているようにも思います。アメリカ国人はそんなショーを楽しんでさえいるようです。
ところで、先日の日経新聞に「アメリカは反グローバル化に向かう」と言った記事があったので取り上げてみたくなった。ランゲージ・ハウス幼稚部でもグローバル社会に強い子供達を育てるというコンセプトを大切にしている。ところがこの新聞記事を鵜呑みにすると、グローバル化は今後衰退するのではないか、イギリスもEU離脱を決めグローバル化とは反対の方向に進んでいるのではないかというようにグローバル化の将来を疑問視し、ならば今英語はやらなくてもというような考えになってしまう。しかしこれは非常に危険なことで、結果日本は完全に世界から置いてきぼりにされると危惧しています。
そもそもグローバル化をわかりやすく説明すると、国と国との隔たりや障壁が小さくなり、人や物の動きが活発になることで、経済活動、ひいては人々の生活を活性化することです。グローバル化は政治経済だけでなく、文化など人間生活におけるあらゆる側面で影響をうけることになります。もちろんポジティブな効果ばかりでなく、ネガティブな影響もありますが、どう考えてもても一度グローバル化した世界が大きく後退することはないように思います。
では、なぜアメリカが反グローバル化に向かっているのか、いえいえ、向かってなどいません。日本のメディアは両候補がTTPに断固反対している側面だけを取り上げていますが、アメリカのメディアはそのような捉え方はしていません。
なぜならアメリカ国そのものがグローバルな国なのですから、そんな国がグローバルに逆行したら国そのものが潰れてしまいます。日本の新聞ももっとアメリカの国を考察してから記事を書いてほしいと思います。
日本は多くの技術でグローバルな社会に貢献しています。しかし交渉の段階で多くの損もしています。なぜならば自分の言葉で交渉することができないからです。例えば特別な部品を作っている会社の社長が商品を売るために海外の企業と交渉を始めたとします。通訳は社長さんの言葉をそのまま訳しますが、社長さんの情熱や理念は伝わりません。これが伝わればもっと有利な交渉ができるのです。私も日本企業の海外事業部で仕事をしていましたが、社長の熱い思いを相手に伝えることの難しさを何度も経験しました。
これからの子供達にグローバル社会のパスポートを与えるには、打たれ強さとぶれない自分力、そしてコミュニケーションツールとしての英語です。このツールの基本は幼児期です。英語のコミュニケーションをどのようにとったらいいのかは感性の発育期である幼児期です。英語は話せるだけ、書けるだけ、読めるだけでは使えません。その時々の状況にあったコミュニケーションを取れる能力、これがこれからの英語に求められます。
グローバル化に逆行したらスマホは私たちには手の出ないほどの高額なものになります。いろいろな国の技術が結集してユーザーが購入しやすいものになっています。スマホもこれからもっと変化していくでしょう。ラインなどのSNSも進化していきます。これを作る人、使う人、売る人、買う人は今の子供達です。グローバル化はもっと進化します。これに食うか食われるかは本人の人間性です。ランゲージ・ハウスに携わった子供達は100年先も力強く生き残るそんな
現実は必ずくると信じています。

黒部さん家の教育回顧録

黒部さん家の教育回顧録 2016・9・14

久々に回顧録を再開する。
前回はニューヨークにある進学校ホーレスマンスクールの話を始めた。国連学校に通っていた長女の転校にチャレンジしたのは、日本人教育ママが、どうせ高いお金を払うのならそれを取り返すぐらい教育水準の高い学校に転校させろという一言で決めた。と言っても編入試験がある。また現在通っている学校の成績も反映する。通っていた国連学校での成績は悪くはなかったが、体験クラスに参加し、生徒達の英語力の違いに唖然とした。ただその時は親の私が無我夢中で、とにかく転入させたいという強い思いでいっぱいだった。そんな思いが通じたのか、娘は補欠30番目だったが、しつこいほど毎日電話をかけなんとか難関を突破した。この詳細は下記に書く。
Horace Mann schoolは1887年の創立で、幼稚園から高校まで一貫した教育システムがある。ホーレスマン幼稚園とランゲージハウス幼稚部とは、現在園児の文化交流を行っている。場所はブロンクスにあってマンハッタンからは地下鉄で20分ぐらいかかる。私が最初にホーレスマンを見学したのは雪の降る寒い冬だった。地下鉄の駅周辺は殺風景で、学校まで10分ほどの坂道には何もない。学校は22000坪ほどの敷地に小学校から高校までの施設と、だだっ広いグランドがある。私が最初に訪問したのはadmissionと呼ばれる編入受付事務所。ここでは編入受付が随時行われていた。なぜならこの学校、授業やテストの厳しさから落第も尋常な数ではなく、学校も将来性のある生徒を確保するのに忙しい。しかし通常の入試試験は50倍の競争率なので、私の娘のように編入を狙ってくる人数も尋常ではない。ホーレスマンに入れればバーバードも夢ではないという親たちがたくさんいるのがニューヨークである。実際卒業生の3割はハーバードに入る。
娘はクラスを体験したあとエッセーを書かされ、面接を受けた。合否は後日ということだったが、一週間たってもなんの連絡もなかった。せめてYESかNOだけでも分かれば気持ち的にもすっきりする。がしかし10日たっても連絡がない。しびれを切らした私は電話をした。答えは補欠だから待てという。どのくらいの確率で入れるのかという質問には” Sorry, we don’t know”という返事。それじゃあ後どのくらい待てばいいのかも” Sorry we don’t know”だった。私はこの学校を勧めてくれた友人に相談したところ、娘の営業マンであれと言われた。つまり商品を売り込むためには毎日、相手がしつこいと思うほどに電話を入れろということだった。私はこの忠告を真面目に受け止め、その日から毎日午後2時を見計らってAdmissionに電話をした。相手側は毎日Sorry we do not know yetの連続でこちらもへこたれそうになったが、諦めてはいられない。私の中には娘をホーレスマンに入れるという方程式しかなかった。2月27日の午後再度電話を入れた。” Hi this is Tara’s mother, I would like to ask my big request”  ”What is your request?” と学校側。 ”if you could kindly give my daughter a present on her birthday, it is actually today” と私、続けて” please give her a chance to study at your school”と聞いた。Admissionnoの担当者はしばらく無言であったが、Waitといって電話を置くと、しばらくして ”Your daughter is in”という返事であった。信じられないような、しかしこの瞬間を待っていた現実との間でYES!と自分に呟いた。

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