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ILH代表黒部のブログ

小学校を作ろう!

私は東京は板橋区の出身である。小学校は実家から歩いて3分のところにある志村第四小学校に通っていた。この学校はこれと言って特別なものはなかったが、校歌をさとうハチローという有名は作詞家が作ってくれたおかげで、普通の学校がそこで働く職員、そこで学ぶ児童の士気を高めていたような気がする。ハチローさんの詩は同じフレーズがなん度も重なるのだが、不思議とフレーズを歌うたびに世界がどんどん広くなっていく気持ちになった。この校歌のせいか、就任してくる先生たちにはパッションと小学生を教えるという気概がみなぎっていた。小学校2年生のとき、新潟から赴任してきた新米の先生が担任になった。朝礼で紹介された時、先生は顔が真っ赤になっていた。おまけに新潟方言があって「委員」が「ええん」に聞こえたが、子供心に面白い言葉があるんだと思った。それからしばらくして、新しい音楽の先生がやってきた。東京オリンピックで鼓笛隊を指導していたとかで、突然学校に鼓笛隊道具一式が揃った。先生は指揮者のカラヤンを尊敬しいて、ご自宅のグランドピアノの前にはカラヤンの大きなポスターが貼られていた。ちなみにこのグランドピアノが幼稚部にあるそれである。先生からはアップライトのピアノも寄付していただき、これは現在中島認可園で使用している。

 中学になって英語の授業が始まると、実に退屈で難しい文法の授業が始まった。女性の先生でいつも科学者のような白衣を着ていて、節だの句だのと言っていたが、これが今までの英語人生で役になったことは残念ながら一度もない。ただ教える熱意は物凄く、英語がいかに大切か、英語を知らないで外国から来たものを買っていると必ず損をするようなことをいつも言っていた。当時Made in USAは一世を風靡していた。ヤンキーファッションやアイビールック、マクドナルドにケンタッキーといったアメリカ文化が嵐のように押し寄せ、アメリカから来るものが全ての憧れのようになっていた。音楽も然りで、歌詞がわからなくてもメロディーや歌手そのものに憧れて涙を流す日本人がたくさんいた。英語塾もキノコのように出現し、誰もがそこに行けば英語が話せるようになると信じていた。そのころの英語文化は、それを学ぶというより憧れるという要素がめちゃめちゃ強かった時代である。一部の優等生たちは、憧れからいち早く脱出して、現実に英語をしっかり学ぶことで自分の人生を設計したいという「留学生」が今よりもっと多かった時代である。大学時代私の友人も何人か留学切符を手にしていた。羨ましいと思ったが、彼女たちが凄まじいまでに勉強をする姿を見ていて、私には「無理」と思った。その反発からか英語はビートルズの歌詞が理解できるぐらいでいいと思っていた。

そんな私が今教育事業に携わり、真剣に子供達の英語教育を改革したいと考えたのは、他でもない、世界を見るチャンスに恵まれたからだと思っている。結婚してNYに住み、そこで子育てをし、仕事をした全ての場面に知らない世界や文化があり、人々がいた。世界とはこんなに楽しくダイナミックなんだと感じた。英語が話せればもっと人生は楽しめると単純に考えた。日本に戻り、子供達が日本の小学校に入った時に英語が教えられていない現状に驚き、心配した。アジアの国々では国を挙げて英語教育にと取り組みはじまていた。このままでは日本がダメになると真剣に思った。

 さて、私は今どんな小学校を作りたいかと聞かれたら、日本の子供達や日本に住む外国人の子供達が、英語を共通語としてお互いの異文化を理解し、母国語を尊びかつ使えることで、より良い人生を見つけたり、将来世界に先駆けての技術を開発したり、それを世界に広め、日本のみならず世界に向けて自分をアピールできるような、人生の可能性が倍になるような教育を環境を作りたいと思っている。同時にその学校で教える教師には、自分の足で世界をみてきた経験があり、良くも悪くも多くの人生経験を持っている人物が必要だと思っている。「教える」ということへのパッションは学校では習えない。教えることへのパッションと努力は背中合わせだと考える。世界をよく知っていて、実際に世界を見てきた経験値と、子供達での愛情がバランスよくその人物に配合されていて、それが教育へのパッションとなり、社会の変化を鋭くキャッチしながら、子供達の将来につながる教育のできる、かつ人間味の濃い先生たちが集まって作る学校である。

New Yorkで子供達の学校を選ぶために多くの学校を訪問した。そこで感じたのは、いわゆる評判の良い学校、有名校として認知度が高い学校ほど、パッションのある教師が揃っていた。ブロンクス地区にある学校を訪問した時、休み時間だと言うのに多くの教師と生徒たちは廊下に座り込み、ディスカッションをしていた。先生は「これはこうだよ」とは言わず、「君の答えをまず説明して」という。答えに対して「ここと、ここは正しいと考えるが、この部分はもう一度か考察が必要だね」というように、自分の出した回答に対しての責任を持たせ、それが間違っていたら、間違いに責任を持たせ、正しい回答を導くという対話で生徒と向き合っているのを感じる。

 今日本の先生たちは大変そうである。仕事量が多いというのも事実だが、教育者として何を優先させるかといったプリンシパルを見出せないでいるようにも見える。これをしてはいけない、このような発言をしてはいけない、子供をしかってはいけないなど、教師を取り巻く環境はあらゆるところでボーダーラインがあるようにも見える。それであれば、私が作る小学校は、教師が伸び伸びとパッションを持って大胆にかつおおらかに子供達と向き合える

環境と、アカデミックには、子供達がそれなりに努力しないと世界のスタンダードには追いつかないという努力が自然にできるような環境を作りたい。これを夢物語で終わらせないためにも、ランゲージ・ハウスに関わる全ての方々のご協力を期待したい。

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