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ILH代表黒部のブログ

貧乏神と福の神

1月の連休中、海外からのお客様を連れて温泉に行った。休みのせいか子供が多く、おじいちゃんおばあちゃんと温泉に来る楽しそうな姿が目につく。そんな時考えさせられるのが家族と子供の会話、特に言葉遣いである。特に大浴場の脱衣室での会話を聞いていると、レストランなどで同じ親子に会った時に一つの法則のようなものが見えてくる。今回の旅でも言葉使いの全く違う親子二組に遭遇した。会話の様子がよくわかるように台本的に書いてみる。
 一組目の親子は娘二人とお母さんとおばあちゃん。子供たちの年は3歳と5歳で、お風呂上がりで着替えている時のお話である。
 お母さん;「まいちゃん、お着替えは自分でしなさいね。」
 長女;「ばばに手伝ってもらう。」
 ばば:「今みほちゃんを手伝っているからちょっと待っていてね」
 長女:「どのくらい?」
 ばば:「5分ぐらいかしら」
 長女:「5分ってどのくらい?」
 ママ:「あそこにある時計の長い針が4から5になるまで。」
 次女:「じゃあ私が数えてあげるから待っててね。」
 次女が数を数えだすと長女は自分で着替え始める。
 
二組目はお母さんと4歳と5歳の年子らしき女の子たち。
 お母さん「早く着替えなさい。」
 次女「ママ、このボタン取れない」
 長女「ミクはママに甘えてるからだよ。」
 お母さん「いいから早くしなさい。」と次女を手伝う。
 長女「ママ、私のボタンもやって。」
 お母さん「何言ってんの、甘ったれないで自分でやったら。」
 長女「だってできないんだもん。」
 お母さん「もう!できないならずっとそこにたってれば。」この時点で長女は泣き顔。
 次女「お姉ちゃんはバカだね。」
 お母さん「全く何やってもダメね。」
 長女は二人からの責められ泣き顔で着替えている。
たかが数分の会話の中に、前者と後者の家族幸せ度の差を感じてしまった。朝のバイキングでも同じふた組の親子に出会い、朝の清々しい顔は一組目のお母さん、寝不足気味でむっつりしているのは二組目のお母さんだった。日常のたわいのない会話の中で子供達は成長する。反対にその何気なさに傷つくこともある。
毎日の育児や家事に追われる中、何度となく「うるさい!」「早く!」「全く!」「もう!」「いい加減にして!」などなど、感情優先の言葉を幾度となく発してはいないだろうか。そこに一呼吸入れて「ちょっとうるさいけど静かにできる?」
「さあ、何々するから早くしましょう!」「またやったのね、どうしてかな?」「もうもう、ママも大変だから助けてよ。」「はい、そこまでにしましょう!」
などに置き換えてみると家の中の雰囲気も変わる。私も5人の子供たちの子育て中は貧乏神のお母さんになりそうな時が多々あった。自分に余裕がないからとはわかっていてもどうにもコントロールが効かない。その経験から簡単なリセット方法は5分ほどトイレに入って自分を落ち着かせる。トイレには好きな雑誌や時には音楽まで持ち込む。できればトイレに自分の顔が見える鏡を置くいい。育児中は自分の顔が貧乏神にも福の神にもなる。つまりお母さんの顔つき次第で家族が幸せにも不幸にもなる。不景気な顔をして毎日文句タラタラのお母さんには貧乏神が本気で取り付く。逆に福の神のお母さんには、本当に福の神が舞い降りてくるかもしれない。

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