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ILH代表黒部のブログ

小学校の英語教育の在り方と保護者の役割




 文部科学省の資料を見て驚いた。まさに私が日頃保護者の方々に声を大にして話していることと一緒だからである。例えば●バイリンガル教育を行うことによって、国語の学力が低下したという研究結果は生じていない。逆に自分の考えを表現する力や日本語を使う積極性が育まれている。●外国語教育と国語教育をすり合わせて、言語教育として共通の目標に立つことで小学校の段階で相乗効果が期待できる。●国語と英語の相乗効果を狙うべきである。お互いの言語に良い影響をもたらすというフィードバックが必要である。●英語や国語を通して、言語や文化に対する理解を深めることを目標に、言語の面白さや豊かさに気づくことで言語への学習意欲が高まる。●グローバル化が進む中で、国際社会で活躍する人材の養成ということだけではなく、日本人自身の国際化を考えないとアジアの中でも取り残されてしまう。●国際的なコミュニケーションツールとしての英語という位置付けをする必要がある。国際戦略として検討していくことが重要である。

などなどもっともなことを云々しているのだが、実際に小学校の現場で行われている、また行われようとしている英語教育の現状とは隔たりがあるような気がする。同じ文科省の見解の中で海外の英語教育の現状を紹介している。●中国では2001年から必修化を発表し、段階的に都市部から導入。2005年には小学3年生から週4回以上のクラスを実施し、6年生までに600〜700の単語を学習する。

現時点での中国の英語教育は地域差こそあれ、日本以上にシビアーに取り組んでいることは間違いない。お隣の国が熱く英語教育をしているのに日本では未だに2020年からの英語教育の具体的な方法がバラバラで、各校長の采配によるところが大きい。これは本当に困ることで、英語に関心のない校長先生のいる学校に行ってしまうと、不足部分を担保するために英語塾を選択し、what is your name, how old are you? What is this color, what is this
shape
など、子供達でさえまたかと思うような学習内容にお金を払うことになる。正直各公立学校の校長先生の英語に対する意識には個人差が大きい。私も何人もの校長先生にお会いしているが、小学校英語の将来を真摯捉え考え行動を起こそうとしている先生と、英語を厄介者と考えている先生とでは、学校としての英語の取り組みに大きな差が生じる。文科省が上からの英語教育指針として、校長先生はこれとこれは必ず導入しなさいというような決まりがあった方がいいようにも思う。

 この3月に卒園する園児さんの保護者の方々に重ねてお願いしたい。英語教育にはしっかりと取り組んでほしい。子供達が大人になる頃、日本には今より多くの外国人が住むようになる。また海外との交流ももっと多くなり、残念ながらグローバル企業の海外植民地政策は止まらない。少なくとも英語を自分の言葉として話せれば、どんな状況になっても食いっぱぐれはない。情操教育のためにピアノや心身のバランス強化のためのサッカーも大いにやってほしい。しかし英語は習い事の範囲ではない。日常での毎日の積み重ねである。塾に行かなくてもできることはたくさんある。塾で毎回名前や色や形を云々する英語学習は過去のものである。子供達のためにできることを考えてほしい。私はバイリンガル小学校のことを考える。

2019年 あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。

2019年がスタートする。今年はどんな年になるか、半分が運、半分は自分の努力次第というところだが、その「努力」について心に残る話を聞いた。年末に社員の結婚式があり、テキサス州ダラスに飛んだ。ケネディー元大統領が暗殺された街として世界中から観光客が来る。しかし広大で見渡す限りの平原の中にある街である。どこに行くにも車が必要になる。16歳以上の家族が4人いれば車は4台必要というのが常識で、なければウーバーかタクシー以外にない。招待された結婚式の会場はダラスのダウンタウンから車で40分ほどかかる郊外の住宅地、といえば聞こえはいいが英語ではこんな場所を”middle of nowhere”という。そんな僻地に行くにはタクシーしかない。聞けばメーター制だという。日本で40分タクシーに乗ったら軽く1万円はするがここも同じようなものである。腹をくくるしかない。私は海外でタクシーに乗るとドライバーと話すのが好きだ。特にアメリカの運転手たちは世界中から来ているので、アメリカの生活の大変さ、自国の問題、家族がいれば子育てのこと、将来の夢など現実的な話が聞けて面白い。今回もクリスマスが近かったので ”Do you have a family?” から話が始まった。

フランチェスコはシチリア移民の息子で、本名はフランチェスコ17代というのだそうだ。そのフランチェスコが結婚し双子の男の子が生まれた。ところが1年後にまさかの双子が今度は女の子で誕生した。そしてまさかは1年半後にまた起こった。女の子が生まれた。3年の間に5人の子供が生まれてしまったのだった。しかし子供達が5歳になった時、母親は育児のストレスから家出をした。フランチェスコは妻を追いかける時間もないままシングルファーザーになった。昼間は家業の薬局で働き、夜は子供達のご飯を作り、土日はアルバイトに勤しんだ。カトリックでは簡単に離婚はできない。奥さんが行方不明でも本人の承諾なしでは離婚はできない。できなければ再婚はできない。当時のテキサスは非常に保守的で、妻に逃げられたのなら子供は父親が育てなさいという考えが普通であった。フランチェスコはがむしゃらに働き子育てをした。同時に躾もした。嘘をつかない、人に迷惑をかけない、人を助ける。簡単なことだがこれをしなかった時には、ズボンからベルトを外し遠慮なく子供達をひっぱたいた。今でもトイレに行くためにベルトに手をかけるだけで” Dad, please not!” というジョークが出るぐらい子供達には厳しい父親であった。そんなフランチェスコも子供達が大学に行く時は500ドル手渡し、「これは自活のスタート資金、学費は奨学金で足りない分はパパが送る。ただし生活費は自分で稼げ。」と言って5人を送り出した。3年間に5人を大学に送り出すには気の遠くなるような学費が必要になる。兄弟が多いので奨学金をもらえる確率は高いが、それでも5人分だ。フランチェスコも保険金殺人を考えたと冗談を言っていたが、冗談とも思えない現実がそこにはある。幸いにも子供達は幼い頃から父親が働く姿を目の当たりにしていたおかげで、4人は親の言いつけ通り地道な大学生活を送った。ただ一人次男だけは違った。ある日次男の部屋に入ったフランチェスコは「お前ドラッグやってるのか?」と聞いた。薬剤師の彼は匂いでそれとすぐわかる。次男は正直に麻薬をやっていることを認めた。それから2年間フランチェスコは次男を片時も離さずに店に置き寝食を共にした。外出も彼がドライブして出かけた。効果があって2年で次男は麻薬から抜け出すことができた。今は弁護士となっているが、2年間影のように息子に付き添うことの大変さは新生児の育児より大変だったというのだから苦労のほどがわかる。しかし続いた。双子の次女がハワイで同棲を始めた。ただどうも様子がおかしいと気づいたのは親の第六感だろうか。感はあたり娘が暴力を受けていることが発覚した。フランチェスコは自分の父親を同行して(父親は体が大きく嶮しい顔つきだという)ホノルルに飛んだ。無言で娘のボーイフレンドに向き合うと一発大パンチを食らわせた。娘は突然の出来事に泣きじゃくるばかりだったが手を掴み再度男に蹴りを入れてその場を去った。車で30分ほど走った後に自分のしたことの怖さにブルブル震えたと。今この娘は別の男性と結婚し、薬剤師となって幸せな家庭を作っている。

こんなスーパーパパを現実に演じてきたフランチェスコだが、娘たちの結婚式にはバケツいっぱい泣いたという。それぞれの娘の式は豪勢でたくさんのお客が招かれた。シングルファーザーの娘ということで自分を卑下してほしくないという親心だという。このレセプション費用は全てフランチェスコが賄った。娘が生まれたその日からせっせと貯金していたから可能だった。

フランチェスコは決して裕福ではないが、だからと言ってタクシーの運転手をしているわけでもないという。薬局にいると接する人間が限られているので、タクシーは世界中の人に出会う自由な時間だという。これは彼なりの解釈かもしれないが、ニューヨークでも同じような考えの女性ドライバーがいた。1ヶ月前までアマゾンでマネージャークラスの仕事をしていたが、一日パソコンと向き合っていると自分が世界から遠ざかるような気がしたという。

さて、フランチェスコの話の結末は6人の孫たちの話となるが、気がつくとダラスダウンタウンに到着していた。車から降りて初めて見えたフランチェスコの顔はちょっと疲れた天使のようだったが、一生懸命努力しながら生きてきた証なのだろうと思いいつもはそこまでしないタクシードライバーとのハグをした。





翌日がクリスマスイブ。なんだか素敵なお父さんの格好をした天使に会った気分になっていた。

フランスの英語教育事情




 フランスの南に位置するトウールーズは航空機で有名なエアバス社がある。またグローバル企業の誘致も活発に行っている。そんな環境を背景にこのバイリンガルスクールができた。設立当初は幼稚園のみであったが、数年後に卒園児を受け入れる小学校を徐々に作り始め、現在はプライマリースクールと呼ばれる6歳から12歳までのフランス語と英語のバイリンガルスクールを運営している。
システムはランゲージ・ハウスとは違い、週の3日はフランス語、2日は英語というように分けられている。実はランゲージ・ハウスもこの方法を短期間試みたこともある。しかし母国語の影響が強くなりすぎ、子供達が言語を切り替えるのが難しいという結果から取り入れていない。実際ここでの子供達の通常会話はフランス語であった。
フランスでは英語の先生は9割がイギリス人でアメリカ人は珍しい。国同士が近いこともあるが、格式張った教育が主流のフランスでは、アメリカ的なカジュアリティーを教育に取り入れることは考えてはいないようだ。
一方バイリンガルスクールではないが英語の授業を積極的に取り入れている学校も訪問した。いわゆるミッションスクールであるが、私立であっても授業料の取り方がユニークで神の思召しに従って経済的に大変な家族からは多くを徴収せず、余裕のある家族からはしっかりと貰う。これが可能な背景には、全教師の給料は行政から賄われている。日本の認可保育の制度にも似ているが、プログラムなどは自由に構成していて学校独自の方針で運営されている点が違う。英語の授業も公立学校は週に2時間のみなのに対して毎日行われる。音楽の授業もイギリス人が行っていて全て英語である。プログラムは全て校長によって導入が決められる。ただ英語による音楽プログラムはアメリカ人の行うようなクリエイティブなものではなく、生徒全員が同じように先生の指示に従って動く。今回の訪問で感じたのだが、フランスの教育は教師が主導となって生徒は「いい子であるべき」クラスが良しとされるような保守的面を感じた。実際ニューヨークや東京で見たフランス公認学校でも、ディベイトなどで個々が意見を言うようなクラスではなく、先生の話しを聞くことが重要視されている。そのせいか全員で英語を話す時はできても、1人で発表となると難しいという場面が見られた。
フランスの教育委員会曰く、英語教育に関しては成功とは程遠いシステムが今も動いている。しかし日本はこの失敗システムとほぼ同じものを2020年度から小学校の導入しようとしている。日本人の担任による、日本人が選ぶ英語のテキストによって、毎日行われないプログラムがそれである。フランスではこのプログラムが導入されてから数年経つ。子供達に英語習得のプログレスが見られないまま改良はおこなわれていない。よその国で成功しなかったことが日本で成功するとは決して思わないのだが、せめて他国での失敗を教訓としてくれることを強く望む。同時にランゲージのような民間が強い意識を持って日本の英語教育に貢献することの大切さを再認識する。
ところで1つフランスの学校から学びたいことがある。給食である。私立学校での情景なので一般的ではないかもしれないが、サラダの前菜から始まり、魚のメインディッシュ、なんとチーズが出てヨーグルトのデザート、パンは勿論バゲットというメニューが3歳児から提供される。さらに驚くのは3歳児でもナプキンで口元を拭くことを心得ている。日本食が世界遺産になったのだから、フランススタイルとは言わなくても日本の美しい食文化を給食を通して教えられるような学校が日本にも必要と考える。これは食育というより文化教育である。

フランスの幼稚園訪問記




 この11月、フランスの南トウールーズにあるバイリンガル幼稚園と、英語教育を重視している小学校を見学した。目的は2019年に予定しているフレンチプレスクール(フランス語バイリンガル保育園)の開園に伴う現地でのバイリンガル保育の現状と、保育士の労働条件、そして同県にある教育委員会での英語担当者とのミーティングだった。まず何故フランス語保育園なのかを説明する。

 ランゲージ・ハウスバイリンガル幼稚園がスタートして来年で9年目になる。今やっとランゲージバイリンガルメソッドの形が見えてきている。これを英語から他言語に変換した時、これからの日本に必要な言語は何かと考えた。現実だけに目を向ければ今日本に多く滞在している中国語や韓国語、ベトナム語といった言葉を話す人たちをターゲットするべきかもしれない。一方でランゲージ・ハウスには多くのフランス人が働いている。ほとんどが男性なのだが皆それぞれに日本人の奥さんやガールフレンドがいる。中には子供のいるスタッフもいて家庭でのバイリンガル教育に熱心である。彼らと話していると日本ではフランス人とのカップルが増えているという。確かに仕事以外でもこの組み合わせのカップルにはよく会う。フランスでも何人かのカップルに出会った。この現実を裏付けるためにフランス大使館や東京にあるフランス商工会議所などでマーケティングをした。現在フランス政府公認の学校は板橋区にある。また北区に新しくフランス語幼稚園が開園されるらしい。しかしどこもバイリンガルではなくフランス語のみの教育である。私が手掛けたいのはフランス語と日本語の基本バイリンガルに英語教育を挟むサンドイッチ教育である。学校を作るなら夢がないと作れない。こうしようああしようと描けなければ学校はできない。

 フランスの学校は3歳〜6歳がキンダー、そこから12歳までが小学校となる。0〜3歳までのナーサリーは有料であるが、幼稚園、小学校は基本的に無料である。私立校やインターナショナルスクール(現地ではアメリカンスクールかブリティッシュスクールに分かれる)は法外な学費をとるが、語学をしっかりさせたければ選択肢としては適切かと思う。何故なら小学校での英語教育は将来的に期待できないのが現状である。公立の小学校では3年生から週に2時間、フランス人教師によって英語が教えられている。しかしフランス人の児童に適した教材を使用しているわけでもなく、教師の技量に左右される。テキストブックはイギリスの市販のものがほとんどで日本の英語塾のものとあまり変わりはない。教育委員会でのミーティングも話しが英語になるとあまり積極的ではない。





曰く「フランス人は美しいフランス語を話すことが何よりも大切です。これなくしての英語教育はありません。」と言い切るが、このセリフは何処かの国でも聞いたような気がする。確かにフランス語は美しい言葉で、フランス人のプライドは言葉にありといっても過言ではない。しかし社会は刻々と変わり、EUの中でも英語が下手くそな国の一つに数えられているフランスはその現場を直視すべきである。またそれ以上に心配なのは我が国日本である。すでにフランスで失敗している小学校英語教育と同じものをこれから小学校に導入しようとしている。一体この根拠はなんなのだと問いたい。(続く)

子育ての悩み

 現役で子育てをしている方々の中で、悩みゼロの人はまずいないと思うのだが、
日本のような保育園が確立していないアメリカでは、子供の預け場所が見つからないというのは非常に大きな悩みとなる。
 アメリカで未就園児の子供を預ける場所といえばベビーシッターか託児保育。しかし両方ともべらぼうに料金が高い。5人の子供たちが幼かった頃、私の生活の70%が主婦だった。残りの30%を物書きの時間に当てていた。数年後に本物のジャーナリストになるのだが、まだ長女が生まれて間もない頃は自己満足での執筆なのでギャラも雀の涙ほど、しかし一度ベイビーとの分離時間を味わうと、自分の時間がもてる快感が癖になった、なんというか麻薬みたいなもので3日ぐらいは大丈夫だが4日目になると無性に自分の時間が欲しくなる禁断症状がでる。
そこで探したのが保育おばあちゃん。1時間$8で朝8:00から夜8:00まで預けられる。ただ保育室はおばあちゃんのキッチンなので生活感丸見えでおせいじにも綺麗とはいえない施設だった。しかし考えてみると子供たちはそのおばあちゃんに大変お世話になったばかりではなく、ベイビーとしての一般常識を教えてもらったと思っている。簡単にいえばsharing, giving, loving の実践である。お友達とは必ずシェアーをする、持っていない子には与える、お友達を心から大切にするというようなことだが、おばあちゃんはこれを徹底的に躾る。ある日息子を迎えに行ったら”your son doesn’t know how to share the things with other kids! you have to train him at home!” と言われた。息子から裏事情を聞くと、持参したプラレールを友達とシェアーしなかったからだという。自分のもだからしょうがないじゃないかと思って翌日おばあちゃんに聞いた。帰ってきた返事はこうだった。”it is not important to share the thing but more important is to share your heart”なるほど、物はともかくシェアーするという心が大切というおばあちゃんのしつけは柱がある。またトイレットトレーニングも徹底していた。まずは子供に今日使えるオムツの数を教える。もし足りなくなったらお尻丸出しになることを教える。これがとても恥ずかしいことだと教える。これを繰り返し話し、また実際にトイレでトレーニングするときは最大限褒めてあげる。次男は保育おばあちゃんの家に通い始めて2ヶ月でオムツとさようならをした。おばあちゃんは子供と話すのがとても美味かった。スナックタイムなど覗くと、まるで茶飲み友達と話しているように子供たちと会話する。
今考えると衛生面では決して褒められたものではなかったが、それ以上に子供たちの心の安心を作れる場所であり、同時にしつけを自然な形で育むおばあちゃんの知恵が凝縮したところであった。
 今の日本の保育は、安全面はともかく、衛生面、学習面などに特化するあまり幼児期の子供たちと何を話し、何を聞かせるかの時間を取れないところが多い。保育というシステムの中で子供たちが一元化して行くことだけは避けなければいけない。

英語の素地力

 平成26年に行われた小学校外国語活動実施調査によると、小学6年生までは英語嫌いが10.9%だったのが、中学1年生では18.4%、2年生ではなんと27%に上昇するという。原因は中学で読み書きや文法が始まった時についていけなくなる子が多いということなのだが、ここに英語の素地力が備わっているかどうかが問題となる。素地力というのは幼児期から段階的に培われる力である。その第一歩が「聞く力」である。同じ言葉を何回も聞いているうちにその意味がわかるようになり、次に話せるようになる。例えば”Yummy”(美味しい)をお母さんが赤ちゃんに何度も言っているうちにその意味がわかり自分でも”Yum”と言えるようになる、これがコミュニケーションの始まりである。言葉を聞き取れた、自分の伝えたいことを言えたという喜びや、感覚がコミュニケーションの素地力となる。外国語活動で歌やゲームはおきまりのプログラムであるが、ここで大切なのは音声に慣れ親しむことで、慣れ親しむということは継続性を持って日々の生活の中で聴くことを習慣化していくことである。
 英語に限らず全ての教科に言えることだが、わからないと教科はつまらなくなる。何を言っているのか、何を勉強しているのかがわからなくなる。それが引き金となってズルズルと成績にも影響する。大人だって複雑な機械の操作方法がわからないと使いたくない、使えない、となる。それと同じである。
 日本で英語が難しくなってしまったのは戦後である。それまでは外国のことを知ることのできるツールとして、明治時代の若者たちはこぞって英語を勉強した。彼らには外国を知り、外国を学び、外国を追い越し、日本を守れという大義名分があったので、素直に反復練習をし、必要であれば英語で考え回答し、和訳をするために英語をひっくり返すことはしなかった。つまり英語のニュアンスをしっかりと学んでいった。ところが戦後になると英語に対するコンプレックスからか、文法や「基礎英語」というローマ字に毛の生えたような学習方法が一般的となり、それにローマ字の弊害が重なって英語はわからない、つまらない、日本では役に立たないという風潮が一般的になった。
 しかし、時は2018年、戦後70年以上たった今、社会は変わり、英語の位置づけも変わっている。いつまでも英語は難しい、わからないでは世の中についていけない。グーグルは引き続き翻訳ソフトを開発するだろうが、自分の言葉で相手の顔を見ながら話すのと、携帯を見ながら話すのとでは、目的への達成度が俄然違う。
 話を素地力に戻す。幼稚園、小学校と素地力を育む期間は基本6年間だと思ってほしい。他の習い事への束縛がなく、「聴く」ことに抵抗を感じない、もっと知りたいという本能が動く時期に将来につながる英語の素地力をつける。これが将来への大きな投資になることは間違いない。

夏休み後半戦

夏休みも後半に入った。夏休みが6月から始まるアメリカでは、8月も後半に入ると町中で”Back to school”のキャンペーンが始まる。そのせいか自分たちも心の準備ができるというか、6、7月を乗り切ったのだからあと2週間はなんてことはない的な感覚で過ごせる。ところが日本ではお盆休みと同時に家族の夏休みがあり、実家に帰省して楽しい時間は過ごすものの、お金も体力も使い果たし状態になるので、残りの2週間は楽ではないような気もする。
 先日ある著名な幼児教育の先生が「夏休みは子供も休む時、できるだけおうちでゴロゴロさせなさい。」と言っていた。確かに学校での学習に加え習い事やらサークル活動やらと、子供といえども休む暇なしに時間を過ごしている。そうなると自分で考えて行動することが希薄になり、スケジュールで決められたタスクをこなすだけの毎日、そこから解放されて自分で好きなことを考え、自分で遊びをクリエイトするチャンスは夏休みにありである。しかし実際は親が働いていたり、小さな兄弟がいたりすると「ゴロゴロ」はネガティブな行動として捉えられることが多い。「ゴロゴロしてないで夏休みの宿題やっちゃいなさい!」とか「ゴロゴロしないでお友達と遊んで来たら?」とかを言ってしまった親は私だけではないはずだと思う。
 イギリス人ママから学んだ子育ての一つに、ダラダラするならあなたも一緒にダラダラしなさい。」ということだった。それも時間を決めて。全くイギリス人らしい考え方なのだが、夏休みのある日、時間を決めて家族全員でダラダラする。場所は自分の家なのでお金はかからない。パパが会社を休むかは仕事次第。強制はしない。このイギリス人家庭では新聞記者であるパパも会社を休んでダラダラdayに参加した。偶然にも私はそのダラダラデイに遭遇した。午前11時、ママはジャージ姿でソファーに腰掛けコーヒータイム、パパはローリングストーンズを聴きながらアルバムの整理、4人の子供たちもそれぞれに好きなことをしている。部屋の中は散らかり放題でも楽しそうな家族の雰囲気が満ちていた。ランチ作りもそれぞれが好きなものを作っていいことになっていて、子供たちはパンケーキを作り始めたが、ママは私とのおしゃべりを止めるでもなく手伝ったりはしない。パパはイギリス人の好物チェダーチーズとエールビール、そのうちゴロリとカウチに横になりヘッドホーンをつけると昼寝を始めた。
子供たちはかなりの勢いでキッチンを汚していたが、ママは我関せず、これからシャワーを浴びるからちょっと待っていてねと席を立った。これが日本だったらどうだろう。まず友達が来ると言って部屋の片付け、子供同士で遊ぶというとそれなりのセッティング、ランチ付きであればママが奮闘して何か作る、ましてパパがお休みで家にいるとなると、悪いけどこれからママ友が来るから自分の部屋にいてくれる?なんてお願いすることになる。つまり人前でダラダラすることはちょっと恥ずかしいことと考える人がほとんどなのではないかと思う。
 ダラダラデイは、その日に人配達人が来ようが、友達が来ようが、そんなものに左右されず、また家族からも指示を受けない。やりたいように自分で一日を作る。お金はほとんどかからない。夏休み後半の一日、こんな日を作ってはどうだろうか。

バンドエイドのお話し

多分どのご家庭にも常備しているバンドエイド。その歴史は古く1920年にアメリカ人のアールさんが発明した。きっかけはアールさんの奥さんに切り傷や火傷が多く、自分が家にいないときでも奥さんが一人で手当てできるように綿布とテープを貼り合わせて作ったものがそれだった。当時は長いテープを必要な長さだけ切って使用していて、現在のような形になったのはだいぶ後のようである。発明とはすごいもので、今ではふわふわバンドエイド、ウオータブロック、タフガード、キッズパワーパッドと新商品開発に余念がないが、最近ちょっと思うことがある。ちょっとした切り傷やスリムキにバンドエイドは本当に必要なのかいう疑問である。ランゲージ幼稚部でも1日に何度か園児たちがバンドエイドを求めって保育士のところにやってくる。ところがよく見ると本当に小さな切り傷やスリムキ、ぶつけて赤くなったというようなことが多い。
私も5人の子供たちを育てているときバンドエイドは必ず常備していた。男の子はスパイダーマン、女の子はアリエルやシンデレラとカラフルなものを用意し、バンドエイドを貼れば痛いの飛んでけ!とばかり、ちょっとしたおまじないの役目もしていたように思う。ただバンドエイドを貼るのは血を流した時だけで、切り傷でも自然に血が止まっている状態の傷はそのまま自然乾燥させていた。しかし今の世の中、「もう血が止まっているのでバンドエイドしなくても大丈夫です。」と行ったら、なんとひどい学校だろうと思われてしまうかもしれない。
 友人に救命士がいる。あるとき私は彼女と一緒にいて蹴躓き足の爪が半分剥がれそうになった。血は出るは痛いわでバンドエイド、バンドエイドと騒いだら、プロの応急措置は?傷口は洗うこと ?綺麗なティッシュで止血すること
?バンドエイドは使わないこと ?ガーゼとサージカルテープで2〜3日保護すること、だった。傷の味方バンドエイド無くして大丈夫だろうかと半信半疑だったが、驚くことに傷は早く治っていった。彼女いわく、バンドエイドは自然治癒力を抹消してしまうことがあり、バンドエイドを使いすぎると傷に対する抵抗力がなくなるというのだった。
 バンドエイドに限らず私たちの身の回りには、抗菌、除菌、殺菌と全ての菌を子供達からプロテクトするものがたくさん売られている。しかし自然治癒によって子供達に抵抗力ができ、またバンドエイドを貼らなくてもいつか傷は治るという自然体での対応も大切ではないかと考える。地球上にはバンドエイドがない国がたくさんある。ましてそれらの国の衛生状態は日本より徹底的に悪い。
それでも子供達は力強く生活している。
 もちろんみなさんの大切なお子さんをお預かりする以上園からバンドエイドをなくすわけにはいかない。がしかし子供達にはバンドエイドがなくても大丈夫だという人間が本来持っている治癒力の話は聞かせたいと思っている。将来どの国に住んでも生きていける精神を育みたい。

ママの声の届く大切さ

ママの声が届くことの大切さ

英語リトミックのクラスでいつもママ達にお願いすることがある。”repeat after me”である。リトミックでは英語の曲を分かる範囲でいいので一緒に口ずさむことをお願いする。何故なら1〜2歳児の耳にはママの声がダントツに早く届く。曲の中の歌声は軽く認識するが、私の声など雑音程度の認識しかない。
ママが声を出すたびにベイビーたちの言語がより育まれるということである。
面白いのはそのリピートが英語ではなく日本語の場合もある。例えば”This is red”というと、「ほら、赤だってさ」と訳してくれるママ。黙っているよりはよっぽどいいので思わず微笑んでしまう。

最近「日本語はなぜ美しいのか」(黒川伊保子)と「英語教育の危機」(鳥飼玖美子)という本を読んだ。どちらも英語教育の危機と、現在の英語教育を憂いた見解を述べている。特に黒川さんは手厳しい。「日本人がその風土で培われなかった言語を使うようになるのは危険である。」とした上で、日本人の外国語教育の開始適正年齢は12歳、ただクリエイティブな職(事業家も含む)につきたければ8歳頃からが望ましいとしている。黒川さんご自身がAI開発に関わる言語学者であるので、脳の発育を科学的に捉えての意見なのだとも思う。曰く、脳は3歳までに母親との密接な関係により言語構造の基盤を作り上げるとし、3歳までは母親たるもの赤ちゃんに喋りまくれと言っている。3歳からは言葉の語彙が増える。語彙とは記号として口に出せる言葉のことで、脳の中には記号化していない言葉の卵が実際に口に出る言葉の何千倍も詰まっているので、この時期にあって外国語の入る余地はないとの意見もある。確かに一理あるが、言語学だけで
絶対にそうと判断されては困る。何故なら私の子育て体験の中で出会った諸外国のママ達は、時に3ヶ国語ぐらい日常的に話す。例えば中国人の友人はご主人がアメリカ人なので日常は英語、母親も同居しているので昼間は中国語、お手伝いさんがチリ人なので必要に応じてスペイン語となる。その間にいるベイビーは質全的に言葉の卵が増えていくのだが、このベイビーが幼稚園に上がる頃には3ヶ国語を使い分けていた事実があるので、言葉の引き出しは一つの言語とは限らない。

私の持論だが、英語を習ったからといって日本語がダメになるという考え方は極論すぎる。まるで戦争中の日本軍のようだ。それよりも日本語と英語の共存が産む利点をしっかりと捉え、それなりのシステムの上でバイリンガル教育をすることが子供達の将来に有益なプレゼントを残すと考える。マスコミは英語へのバッシングに走っているようで、大人達の技量の狭さを感じる近頃である。

「小学生に英語教えて国滅ぶ」の記事

「小学生に英語を教えて国滅ぶ」の記事から

ランゲージ・ハウス幼稚部の卒園式が3月17日、入園式が4月9日に行われた。卒園式は外国人講師が紋付袴、日本人保育士は袴姿で列席する。今年は年少々からの4年間をランゲージ・ハウスで過ごした卒園児が多く、私にとっても感慨深いものだった。特に英語で外国人講師とコミュニケーションできるようになり、同時に日本語で日本人保育士とコミュニケーションをとる様子を見ていると、取り組んできたバイリンガル教育の進化系を垣間見ることができ、あと小学校の6年間があったらどんなにすごいことになるのだろうと思いを巡らした。卒園児を送り出すのは今年で4回目になる。小学校での英語環境の現実を聞くと、せめて卒園児たちの為になんとかしなくてはと思うことしきりである。ここは考えてばかりでは何も起こらないので、計画と実行あるのみかと思っていた矢先、文藝春秋を見ていたら「小学生に英語教えて国滅ぶ」という聞き捨てならない記事が出ていた。作家で数学者の藤原正彦さんの記事で、ご本人はケンブリッジ大学で学ばれた経験の持ち主、一体何の根拠があってのご意見かと記事を読んだところ、藤原さんの懸念は「教養なき世代」が現在の日本のリーダー層の中心になりつつあるというところからの心配であった。つまり政治家も財界人も発言が近視眼的で人間的な深みがないというのである。そしてその原因の一つが読書離れ、日本語離れという考えである。藤原さんは知り合いの商社マンの例をあげ、ロンドンで取引先の家に招待され、縄文式土器と弥生式土器の違いを聞かれ答えることができなかったという話から、国際舞台で活躍する人材を育てるには英語よりもまずは教養という意見である。また英語で大切なのは「英語をどう話すか」より、「英語で何を話すか」が重要であるとも言っている。そしてこれらを前提に、文科省が計画している総合的な学習の時間から計画のないままに15コマまでを外国語活動に使うことの危険性を懸念しているのだった。ただ藤原さんが言っている初等教育の段階で英語は必要ないという考えは多少時代遅れのように思える。確かに教養を入れる器は初等教育で作られるが、英語をニュアンスで理解できる力も早いうちからの方が望ましい。先にあった英語で何を話すかを目指すなら、英語のニュアンスを理解できることが大前提となる。これを中学や高校まで先送りにしていると、英語でどう話すか、つまり「これって英語で何ていうの?」からの始まりとなり、40年前の日本の英語塾的教育からは確実に脱皮できない。ランゲージ・ハウス幼稚部を設立した時に藤原さんと同じく、人間的教養無くして、英語を入れるのは無為に等しいと考えた。この考えは今でも変わっていない。ただ社会が英語に求めるニーズは年々変化している。人間の話す英語の役割がAIにとって変わる時がくるかもしれないが、だから今英語をやっても仕方がないとは思わないでほしい。英語をやっていたからこそ、将来AIとコラボできる仕事の方が多いと考える。その時のためにも早期英語教育の意義は大きいと考える。

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