東京オリンピックと子供達
2021年東京オリンピックが始まった。波乱万丈な幕開けとなったが世界中から集まった選手たちの顔は屈託無く輝いているように見える。そんな姿を映像を通して見ている私たちも一瞬コロナから解放されたような気持ちにもなる。
それほどに今は明るくて力強いニュースが欲しい。
1964年に東京オリンピックが開催された時、私は小学生だった。日本は高度成長期の真只中、国にはエネルギーと希望が満ち溢れていた。オリンピックに反対する人はいなかった。日本のオリンピックを成功させようと日本人の心が一つになっていた。選手たちも日本人外国人を問わず燃えていた。近年のオリンピックは勝つために燃えているが、スマートフォーンもPCもなかった当時、まだ見ぬ国日本への好奇心と、競技を戦うための情報が少ないだけに、未知の国での、未知の戦いが選手たちを燃えさせていたように思う。選手たちの平均年齢も高く大人が多かった。女子体操は観客を魅惑する大人の演技が会場を熱くした。バレーボールもママさん選手がいた。子供達は将来あんな選手になりたい、こんな競技に出て見たい遠い将来を夢見る時間がたっぷりとあった。現在活躍しているアスリート達の平均年齢を考えると、夢見る時間は短い。
私は最近のオリンピックを見ていて嬉しいと思うことがある。一つは今まで白人しか参加できていなかった競技に黒人が参加し成績を上げていることである。例えば水泳、テニスなどは白い競技と言われていた。1964年の東京オリンピック当時、黒人がプールで泳ぐなどはあり得ないことだった。60年代はアメリカ公民権運動が盛んだったが、まだスポーツの世界までには及んでいなかった。2020年少なくともスポーツを選ぶ権利は人種を超えて与えられていると感じている。
オリンピックが子供達に与えるプラスの影響は、金メダルを獲得した選手の言葉「楽しく演技」「楽しく競技」「楽しくプレイ」など自分で選んだスポーツをオリンピックという晴れの舞台で存分に楽しんでいるというメッセージだと思う。逆に「応援してくださった皆さんのために戦う」「チームのために戦う」「勝つために戦う」という選手が少なくなったようにも思う。楽しんで金メダルを獲得し、応援してくれた方々に感謝、実にシンプルでスッキリとしたスポーツ精神ではないか。
しかし今回の東京オリンピックは多くの課題も山のように残してくれた。収益を見込むはずだった観客が不在の中で、そこから出るはずだった諸経費の負債をどうするのだろうか。日本はリーダー不在でオリンピックを開催し、それぞれの部署が勝手に動き出し、問題が起きれば「あっそうですか、辞めればいいんですよね」と言った無責任な行動をとる大人たちで溢れていたような気がする。
リーダー不在だとオリンピックで発生するエネルギーが国民に伝わらない。オリンピックが終わって「いったいこれはなんだったのだろう」という複雑な気持ちになった国民も少なくない。1964年のオリンピックは終わってからが始まりだった。国民の力を合わせて世界にもすごい!と認められたオリンピックをやり遂げ、その勢いが日本経済を牽引した。ところが今回は「この瓦礫をどうしようか」という雰囲気である。当事者はオリンピックが終われば後はよろしくお願いしますと言うかのように、国民に向かってお疲れ様の一言もなければ、コロナ禍の開催で国民のみなさまには非常にご迷惑をおかけしました、の一言もない。コロナの脅威が止まらないのも理解できる。しかしリーダーとはあらゆる方面から日本の現状を把握し、見直し、そして何よりも国民を元気付ける方向性を示すことが大切ではないだろうか。オリンピックのような世界的なイベントはその国のこれからの方向性に大きく影響すると言うことを理解し実行してくれるリーダーの出現を望むばかりである。
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