クリスマスにゲーム機器を買わない!
アメリカのコネティカット州ニュータウンで悲しい事件が起こったのは皆さんもご存知かと思います。事件の起こった町は静かで平和な、およそ犯罪とは縁のないところで、私の友人も隣町に住んでいますが、なによりも平和を愛するゲイカップルが移り住んでくる町としても有名でした。それくらいpeacefulなところで起きた事件です。犠牲になった子供達の顔写真をテレビで見ながら、その親達のことを考えました。朝、いってまいりまーす!といって出かけた子供に二度と会えない現実が我が身に起こったらどうなるでしょうか。クリスマスパティーやクリスマスプレゼントの用意もして、昨日の夜サンタさんの話をしていた子供と再び会話をするおとができない現実をどう受け入れればいいのでしょうか。
数年前にコロラド州コロンバインで起きた高校での殺害事件から、今回のコネティカットまで、犯人の犯行動悸は様々ですが、共通して言えることが、皆家の中にこもってパソコンゲームや携帯ゲームにはまり、家族ともろくに会話をかわさなかったということです。NYで教師をしている友人が、最近の学生は会話でのコミュニケーションができない、Good morningでさえメールで言ってくると言っていたのを思い出します。ゲームに熱中すること事態は悪いこととは思いませんが、その限度とそれを監視できる親の勇気です。ここで「勇気」とあえて言ったのは、自分の子供にいい事、悪い事をきちっと伝えられる親、子供に遠慮しない親、そこで子供に反発されても、自分の子育て信念を貫ける親の勇気です。アメリカの子供達はベビーシッターに育てられることが多いのも、今回の事件に直接ではありませんが、間接的な要因だと言う人もいます。つまり運悪く、質の悪いシッターにあたった場合、遊んでくれるどころか、ゲームやらし放題。シッターにとっては子供が買ってにゲームをやってくれれば楽なわけですから現場を知らない親は不幸です。
子供達がゲームを始めてから、特に冬など、公園で北風と遊ぶ子供の姿が見られなくなりました。すべての子供達がゲームをしているわけではないのですが、家にこもってゲーム遊びをしている子供は多いかと思います。親達も子供の遊ばせ方がわからなかったり、子供に泣いてせがまれたり、おじいちゃん、おばあちゃんが孫の喜ぶ姿を見たいばかりに買ってしまったり、子供達がゲームを手に入れる理由いろいろあるかと思います。でも、子供達がゲームに夢中になり、親の声が聞こえなくなったら要注意です。
日本の子供達の対人コミュニケーション能力はコンビニやスーパーができてから低下していると言われています。クリスマスからお正月にかけて、子供と過ごす時間がとれる中、ゲームなら家族みんなで会話しながら楽しめるものを選んでください。人と話のできる、人の話を聞くことのできる、当たり前のことですが、これからの子供達にかくことのできない能力を与えられるのは、学校ではなく、親だということを再認識してほしいと思います。
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