黒部さん家の教育事情 2014/July,25
黒部さん家の教育事情 2014/07/23
サッカー熱もさめたころ、教育事情に戻る。
前回ベビーサークルの話をした。実はこの時ママ友になった数人とは海を越えての付き合いが今でも続いている。長女の時のママ友は、アメリカ人のシェリル、彼女のアパートは冷蔵庫のようにエアコンを効かせていて、ご主人が小売りのようになったビールを晩酌していた。他には香港人のプンさん、シンガポール人のステラ、タイ人のアンジェラとアジア系が多い。ただ彼女達のご主人はみな白人、ハーフの子供達はお母さんに一つも似ていないのでかわいい。次女の時はブラジル人をご主人に持つデブラ、彼女には数年後に大変お世話になる。アルゼンチン人のエリダ、ルーマニア人のアンジェラ、どれもラテンの血が混ざっていて熱くなるとブレーキがきかない。長男と次男は歳が近いのでママ友を共有していた。イエメン人のシェリフ、トルコ人のアイシャ。三女の時は、ベルギー人の写真家ギーラ、ギリシャ系アメリカ人でキューバ人のご主人とイタリア紳士服問屋を営んでいるスーザン、リタはバキバキのユダヤ人で、母親はナチ統制下のユダヤ結社地下組織の女スパイで、その自叙伝葉アメリカでベストセラーにあった。こんな国際色豊なママ友に出会えたのはニューヨーク時代の宝だと思っている。ただママ友と呼べるようになるまでには、こちらもそれなりに努力しなければならない。子供同士のプレイデートをしたり、預かったり、預けられたり、時にはママ友とマンハッタンの街に繰り出してワイワイガヤガヤと飲んで食べても大いにやった。ニューヨークのママ友が日本のママ友と一番違うのは、その話題性だと思う。
日本では学校や子供の話となると、愚痴やゴシップが切り口となるが、外国のママたち教育制度、先生の質、大学のことなど、幼稚園の時から長期的な視野でおしゃべりがされていた。ただしユダヤ人のママと教育の話をすると、最終的にはいかにユダヤ民族が優れているかに行き着くので、ママ友たちからは多少敬遠されていた。
この時のことを思い出して考えるのはママの語学力である。アメリカ人以外のママは誰もが英語に母国語のアクセントがあり、特にラテン系は非常に聞き取りにくい。例えば香港人も広東語がそのまま英語になったような話し方をする。フランス系は単語のはしはしにフランス語を入れてくるからパズルを組み立てる感じで相手の話を理解する。でもこの経験がプラスとなって、その後どの国の人に出会っても、その会話が英語であるかぎりは理解できるというスキルを身につけた。と同時に、インターナショナルな友人関係を保つには、その国のことを知り、風習、習慣などを理解することが大切だということだった。例えばフランス人の子供が遊びに来て、勝ってにカルピスなど飲ますとママが嫌な顔をする。フランスでは子供達の飲み物は水と決まっているらしい。甘い飲料水は舌の感覚を鈍らせるという、美食の国らしい考え方だ。タイ人はあまり頭をなでるとうれしくない顔をする。肩がそれにかわるらしい。イエメン人はラマダン(断食週間)の間、大人は唾を飲み込むことさえ御法度とされ、子供もあまり外に連れ出さない。なのでこの間のプレーデーとは控えめになる。ブラジル人やアルゼンチン人は夕食がやたらと遅く、子連れで夕食に招かねると早くて9時、遅いと10時ぐらいから食事が始まる。子供達はもちろんソファーで寝てしまう。こちらもデザートが終わると夜中の2時頃になるのできつい。
プレーグループや幼稚園時代のママ友は一生の付き合いができる。子供達が大学を卒業し、社会人になっても、これからの人生のこと、健康のこと、そして母親としての自分たちのことと話題はつきない。ちなみに日本にも愛すべきママ友たちがいる。三女が幼稚園に通っているときに役員のくじに当たり、一年間園での仕事をともにした仲間である。年に二回妙蓮寺の焼き鳥屋で飲み会をする。たわいのない話をしながらも日本語で会話のできるママ友がいることを感謝している。
カテゴリ: お知らせ