黒部さん家の教育回顧録2015.April
2015年度の入園式も無事に終わり、新しい園児さんたちが制服に着られながら(大きすぎて着ているよりは着られている感じです)登園を始めました。保育士、外国人講師達そしてバックオフィスも気持ち新たに仕事を初めています。今年は保育、英語学習共々新しいメソッドが加わり、より時間を効果的に使い、中身の濃い保育や学習にしようというプランが動き始めています。3月はこのプランの作成のため各保育士、外国人講師とミーティングの連続でしたが、ランゲージ?ハウスの幼稚部理念である自分力、語学力、日本人力がバランスよくカリキュラムに反映されるようにするためにはなんども話し合い、確認し合い、そして実行する姿勢ががなによりも大切だと考えます。すべてのことは計画してやってみなくてはわからない、plan, do, checkを基本にスタッフ一同頑張って新年度に向かいます。
ということでしばらくお休みしていたブログを再開します。
前回出て来たマンハッタンにある英会話学校のところからお話を始めます。
この学校はいわゆるNPOが運営している外国人のための英会話学校で、先生達もほとんどがボランティア講師だった。
場所が国連から近い1番街の52丁目にあったせいか、各国の領事夫人、そのベビーシッター、駐在員妻、国連職員妻などが多く、後はロシアからのアーティストだったり、ブラジルからのダンサーだったりとまさにニューヨークが人種の坩堝であることを垣間みるには最高の学校だった。そのころの私の英語といったらひどいもので、まず聞き取りができない。というのに悪い癖で、相手の言っていることがさも分かったかのようにうなずいてしまう。なので会話は一方的に続くのだった。相手が聞いていようといまいと話を続ける外国人は多く、リスニングの練習にはなる、が、相手も英語ができない人達でそれぞれの国の訛があるものだから、半分理解できれば大満足というところだろう。例えばスペイン語訛の英語でscheduleを発音するとエスケデュールとなる。これを理解するのには1ヶ月ほどかかるし、オーストラリア人がbabyと発音するとバイビーになる。No8もナンバーアイトである。日本人もWorkとwalkが非常に紛らわしのでよく外国人から指摘を受けるが、みな本気になって直そうともしないので、この他民族の中での英会話教室のおかげで、今では殆どの国の訛をまねできるほどになった。
さて、当時子供もいない自由主婦でふらふらしていた時期だったので、この学校には毎日通った。語学学習は継続なりを地でいったのだ。というと聞こえはいいが、クイーンズに住んでいて友達もいないし、マンハッタンに出ていくのは毎日でも苦にならなかった。学校には私のような常連が何人かいてすぐ友達になった。中には外交官夫人も何人かいた。オーストリア、ギリシャ、韓国の婦人達が常連だった。外交官夫人といっても英会話が不得意なのがたくさんいて、私のもつ外交官夫人のイメージが一掃された。
私がここで出会った最高の人はフランス人のビビアンだった。フランス南西部、フォアグラで有名なペリゴール地方から来ていた。ご主人はフランス国鉄のコンピュータ技師である。ビビアンの話す英語もかなりフランス語アクセントが強く、また凄い早口だったのでよっぽど集中して聞かないと話の内容がわからない。でも書かせると非常に分かりやすい英語なので、やはりラテン語は日本語より英語に近いということを理解した。ところでビビアンと本当に友達になった理由は英会話学校ではなく、マンハッタンにある公共スイミングプールに行ったことから始まった。(つづく)
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