令和を考える
平成から令和に年号が変わってお豆腐のパッケージにまで令和マークが付いているのにびっくりしたが、日本人の可愛いところだと外国人に言われ納得した。
令和に変わる前には昭和から平成のドキュメンタリーが数々放映された。その中で私の注意を引いたのは前皇后美智子妃殿下の英語だった。震災の時に宮内庁からたくさん絵本が寄付された。また難民救済事業の一つとして海外にも送られた。美智子妃殿下のスピーチは子供達の教育にとっていかに「本を読む」ことが大切であるかを話していた。話の内容はともかく、私が驚いたのはその品格ある英語だった。台本を見て棒読みしているのではなく、クリアーな英語で聞きやすく、理解しやすかった。美智子妃殿下は聖心女子学院在学中に英語を学ばれたようだが、宮中で英会話レッスンを受けたといえ、コミュニケーション力100%の英語力があると判断する。それに比べ日本の政治家はどうだろう。台本丸出しで、その台本も本人が書いてはいないので説得力に欠ける。自分の言葉ではないのだ。反対に外交官で英語ができすぎるとそれをひけらかすあまり英語が一人歩きしてしまい会話が追いつかない。この二つの欠点が全くなく、また説得力のある英語を話す美智子妃殿下のような外交官や政治家が日本でも生まれてほしいと思う。
さて、令和の英語教育はどうなるのだろう。短視眼的には大きな変化はないと思うが、長期的に捉えると英語コミュニケーション能力の必要さを自覚する若年層が増えてくると思う。一つには外国人が日本の労働市場に入ってくると英語ができない日本人にアドバンテージがない。例えばコンビニの販売員も日本語だけより多様化した顧客に対応できるマルチリンガルを採用する。交番のお巡りさんは日本人でないと仕事にはつけないが、英語ができることで中央の部署に配置される。(すでに現実)タクシーの運転手さんも英語ができると新車に配置されるなどなど、英語ができることで損をすることはない社会になってきている。ところが現実はどうだろう。小学生、中学生、高校生、そして大学生の保護者がどのくらい英語教育を真摯に捉えているかを考えると寂しいものを感じる。エクスキューズとしては「塾があるから」「サッカーがあるから」「ピアノがあるから」というのだが、それはそれ、英語は英語である。サッカー選手になりたければ幼年期からの英語教育を継続する。万が一選手にはなれなくてもインターナショナルなアスリートの世界で仕事が見つかる。塾は良い学校に入るためのものだと理解しているが、良い学校の入試はもっともっと英語に比重が置かれるようになることは大学入試制度の変革が明らかだ。ピアノは趣味の範囲から出ることのできる人は一握りであるが、英語を通してより広く深くピアノを知ることができる。習字でさえ英語ができれば外国人に教えることもできる。というように「英語ができるとプラスがくる」という意識を持って学習に当たれば人生はもっと広く楽しいものになる、簡単すぎるこの現実をゲットするのはあなた次第である。
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