グローバルということ、そして子供たち
私の子供たちが通っていた幼稚園はNYCにある民間経営のところで、3歳児〜5歳児まで、各クラス15名ほどの小規模な園だった。今年からこの園とランゲージ・ハウスとは国際園児文化交流を始めている。将来的にはお互いの保育士さんの交流を考えているが、アメリカの雇用条件と日本のとではかなり違うので、実現するにはいくつかのハードルを超える必要がある。ただ園児同士の文化交流は現実化していて、この7月にランゲージ・ハウスの園児が製作した、七夕アートを送る。
さて、このNYの園、園児の60%は英語を母国語としない国から来ている。また保育士も、私の覚えている限りでは、アフリカ人、ベルギー人、フィンランド人など、若干その国のアクセントが英語に反映されるようなこともあるほどの国際色豊かな人材が集まっていた。ただそれぞれの国で保育士としての経験を積んでいる人たちなので、いったん保育に入るといわゆる保育のつぼをしっかり心得ている保育の達人ばかりだった。また異なる文化的な背景から、園児達は日常でも世界のあらゆる文化に触れることができ、毎月かならずどこかの国のお祭りや、宗教行事までも客観的に紹介していた。
NYに出張に行くと、それぞれに成長し、各区分野で活躍している卒園児達とあって話すこともあるが、園で学んだり、経験したりしたことが社会人になっても生きているという話を聞くと、いかに幼児期に受けた影響が、後々まで子供たちの社会生活に影響するかということである。アフリカ人の先生があるとき民族衣装で現れ、英語ではなくスワヒリ語でおはようと声かけしたり、ベルギー人の先生がフランス語の歌を教えたり、フィンランド人の先生はフィンランド体操を教えたりしたそのことが、異文化を受け入れ理解する力につながり、言葉を超えて子供達が成長する環境を作っていたのだと考える。アップル社に勤務している卒園児の一人がこんなことを言っていた。「うちの会社にはハーバード大学から来た奴が掃いて捨てるほどいるけど、アメリカで生まれ育って、アメリカから出たことも無く、ハンバーガーが世界で一番うまい物だと言いながら、それ以外のものは卑しいものだと信じているようなやつは、ほとんどが入社1年で首になるか、辞めていく。グローバルなものを作るには、まず相手を理解し受け入れること、でもこれを大人になってからやれって言われても無理かもしれない。グローバルな環境で育ったやつは自分がここでどう泳いでいくかをちゃんと知っているよ。」
日本でもグローバルという言葉はよく使われるが、この意味を国際的とか、海外とかで関連づける人が多い。これが日本をグローバル教育後進国にしている最大の問題かもしれない。
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