マンデラの教育
南アフリカの指導者、マンデラが亡くなった。27年間の獄中生活から、その人間性を失わずに社会復帰を果たし、国を白人黒人共存の社会へと導いていった。アパルトヘイトという白人の黒人に対する恐怖心が、武力による差別制度と化し、長い間この国を白人優越の社会として世界に知らしめてきた。ニューヨークに住んでいた頃、南アフリカ出身の白人と知り合ったことはあるが、黒人と出会ったことはない。黒人は国外にすら出られる環境ではなく、私も白人の話だけを聞いて南アフリカという国を想像していた。
話は変わるが、アメリカでも黒人への人種差別は1960年代頃までは、当たり前のように行われていて、キング牧師の行った公民権運動の後、長い年月がたってやっと表面的な差別はなくなってきた。しかし2013年現在、本当に人種差別がなくなったかというとそうでもない。例えばマンハッタンを例にとると、黒人と白人の住む地域は相変わらず別々である。ただ昔と違うのは、白人が黒人を避けているだけではなく、黒人も白人の住む地域には住みたいと思っていない。大学の寮でさえ、白人と黒人のルームメートは組み合わせとして避けているようである。
日本は、そして日本人は、黄色人種といわれるのを嫌う。たかが白、黒、黄色、赤(ネイティブアメリカンなど)と色分けしているのに過ぎないが、黄色と呼ばれるより、日本人と呼ばれたがる。そして白い仲間に入りたがる。今でも自分の子供の結婚相手に黒人を歓迎しないファミリーはたくさんいる。
マンデラの話にもどる。彼は投獄されてしばらくの間、白人を憎んでいた。しかし獄中で白人とコミュニケーションのできる言語を独学で学び、相手が何を考えているかを聞き出す事で、なぜ黒人が嫌いなのかを理解しようとした。その結果、ある答えにたどり着いた。それは教育だった。白人が黒人を憎む、あるいは恐れることを学校が教えていた。白人と黒人は肉体的にも、能力的にも優越がることを学校が教えていた。白人は黒人とは違う生活をし、黒人はそれをまねてはいけないことを学校が教えていた。さらにそれがなぜそうなのかを学校は教えなかった。白人と黒人がもしかしたら共存できることを学校は教えなかった。
マンデラは言っている。もし世界を変えたかったら、それは教育にしかできないことだということを知るべきであると。人間は生まれたときから憎しみを持っては生まれてこないし、恐怖心をもっては生まれてこない。教育だけが人をして右へ行くか、左へ行くかを決めるツールである。
私たちも、日本を変えたいと思うなら、もう一度子供の教育と真剣に向き合っていきたい。
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