2020年への目標 ?バイリンガルスクールとインターナショナルスクール
ランゲージ・ハウスは開園してまだ6年目の幼稚園である。開園当初は2名の園児でスタートした。たかが6年前であるが、その頃はバイリンガル保育と言ってもピンとこない保護者が多く、ほとんどの方が英語のみのインターナショナルスクールと思って見学し、そのほとんどが願書を取りに来なかった。それから6年、世の中には客観的に日本の将来、そして子供たちの将来に先駆けてどのような教育が必要かを考える保護者が明らかに増えてきた。
私は5人の子供のうち3人をインターナショナルスクールに送った。ニューヨークから帰国した時、長女と次女は中学生、長男が6年生、次男が4年生、三女が幼稚園だった。長女と次女はまるでインターナショナルスクールに行くことが当たり前のように思えての選択だった。今考えるともう少し私と主人に経済観念があり、将来設計をしっかりしていればこの選択はなかったと思う。要するに考えが甘かったのである。ニューヨークに20年も住んで今更日本の学校などには行けないというおかしな観念があった。帰国子女はインターナショナルスクールが当たり前というような風潮もあった。まさにお金もないのにブランドバックを買ってしまったような学校選択の現実は、大いに我が家の経済を逼迫し、親に借金、銀行に借金を抱える始末になった。そして「誰もいなくなった」という映画のタイトルのように、日本には3人とも住まなくなった。そしてそれから数年、親は教育ローンの返済に追われ、残りの2人には日本の公立校へ送るのがやっとだった。ところが今振り返るとこれは大変有意義な選択というより、NO CHOICEからの副産物であった。。なぜならインターナショナルスクールに行かせることができなかった親のギルティーな気持ちもあって、日本での生活の中で色々な国の人達と接する環境を作り、また日本にくる外国人とのキャンプやら共同イベントやらに積極的に参加させた。同時に日本語は日本の学校でしっかり叩き込み、英語の成績が悪くても何も言わないが、国語の成績が悪いと説教した。ただ日本の学習塾だけは行かせても本人が嫌いだったので効果は全くなかった。なので効果のないものにお金は払わないとして
以後塾は頼らないという方針を貫いた。これも結果的には他人に頼らず自分の力の範囲内で自分の行きたい学校を選択する力を育むことができたと思っている。そして今子供達5人はそれぞれ自分の選んだ仕事で活躍しているが、ふと考えるのはインターナショナルスクールに通常の3倍の学費を費やした投資還元ができているのかという疑問である。(続く)
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