私の不登校経験
5月の連休も終わり、親も子供もいつものように仕事や学校に通う?はずなのだが、そうでき
ない子供達が増えている。これは子供だけに限らず、親にも同じ現象がおきるこの頃である。
いつ頃からか、社会にはストレスの要因が増え続け、社会と真摯に向かい合えば向かい合うほ
ど、ストレスが増え続けるというおかしな世の中になっている。5月は特にメンタルな問題を
抱える人たちが増えるときである。漢方の先生曰く、5月は肝の頚脈が乱れるのだそうだ。
学校に行きたくないという子供達が増えるのもこの時期である。社会ではこのような子供達
を「不登校児」としてくくっているが、不登校にも色々あり、原因も星の数ほどにある。実は
私も「不登校児」の走りだった。
中学1年生の時、担任の先生が突然嫌いになった。嫌いというより生理的に受け付けなくなっ
た。毎日顔を見るたびに吐きそうになった。彼は担任で科学の教師でもあった。どうしてそう
なったかは今でもわからない。ただ先生の顔を見ると具合が悪くなるので学校に行かないこと
に決めた。親は私のわがままとも言える態度を見ていても、無理に学校に行けとは言わなかっ
たが、ある日とうとうこの担任が家にやってきた。母はこともあろうに「どうぞお上がりにな
ってください。」と丁寧に対応していた。私が不登校を始めてから1週間ほど経っていて、家
では勉強もせず、今では何をしていたかも思い出せない。ただその先生がいる限り学校には行
けないと思っていた。私は太々しい態度で担任とは目も合わせず、そっぽを向いて座った。母
がそんな私を見て「すみません、態度が悪くて。親の躾がなっていないもので。」と言ってい
たが、母の躾は厳しく、これ以上躾をしてもらったら、次は家出でもしようかと思うほどに、
しっかり躾がなっていた。担任は言った「どうして学校に来ないの。僕が嫌いだから?」私は
先生の声すら気持ち悪いと思っていたので早く家から出ていってほしいと思った。「はい、先
生のことは嫌いです。とても嫌いです。だから早く帰ってください。」私はそれだけいうと席
をたった。なんというのか、この担任が自分に近づけば近づくほど、もう無理!という精神状
態になった。この歳にありがちな不可解な生理現象とでもいうのがそれかもしれない。
それから数週間私の「不登校」は続いた。そんなある日父に呼ばれた。父は広島弁でこう言
った。「もううちにはお前を養うお金はないけん、出ていきんしゃい」
確かに当時父は勤めていた会社を辞めて、個人事業を立ち上げようとしてた。ただ生活は苦し
く、母は何枚もの着物を質屋に持っていったと後で聞かされた。それまで何も言わなかった父
からの一言はきつかった。続けて父は言った。「今来ている服もわしがこうたもんじゃけん、
全部とらげて(整理して)いきんしゃい。」
その数日後、私は学校に戻った。とても自分1人で暮らしていけるところはないし、祖父母の
ところに行けば年寄りを心配させるだけで何もできない。父の言葉から何もできない自分が恥
ずかしいというか、突っ張って家でぶらぶらしている自分が情けないというか、無力な自分を
発見してしまったというか、担任には会いたくなかったが、NO CHOICEで学校に戻らなけれ
ば食べることができなくなると直感した。
実は私の不登校は就職をしても続くのだが、いわゆる「不登社」というか、会社に行きたく
ない病である。与えられた業務が恐ろしく暇で、毎日が無意味だった。そこそこに知られたシ
ンクタンク企業で、勤務場所は赤坂御所のすぐ裏手にあった。意見華やかに見える赤坂とは裏
腹に、地下鉄を降りてから歩く繁華街の朝は、お酒のびんが転がっていたり、どこかにアルコ
ールの匂いが残っていたりと、バー、居酒屋、クラブなどの夜の匂いがまだ残る街だった。こ
んなところを歩いて会社に行き、つまらない作業をする毎日って何?と考えるようになると、
何回も仮病を使っては会社を休んだ。何をしていたかというと海に行ってヨットに乗ったりと
、ハイキングに行ったりと、日曜日にすることを平日にしていた。社会人としては恥ずべき行
い?をしていたのだった。これがどうにも止まらないというか、欠勤ということにギルティー
を感じるでもなく、体調不良と言っては、翌日日焼けした顔で出社するのだから、上司も呆れ
ていたと思う。ところが、上司は私のことを見抜いていた。「久保さん、この会社は君に合わ
ないから他を探したほうがいい。だけど君はどの会社に行っても不完全燃焼しそうだから、自
分で好きなことを探して、それに向かったほうがいい。」これが現実となるまでには、それか
ら何年もかかるのだが、不登校や不登社がなければ、もしかして今の自分はなかったかもしれ
ないと思う。私の話は一つの出来事であり、不登校の問題を抱えている方々の役には立たない
かもしれないが、人生を少し長い目で見ると、学校や会社が全てではなく、それよりも好きな
ことを見つけることが、何よりも幸せな人生を作ることになるのではないかと思っている。今
直面している問題は当人より、周りの人たちにとってはもっときついことだと思うのだが、問
題が全ての生活を支配してしまうことはないと自分にいい聞かせてほしい。ちょっと地図を広
げてみると、世の中には本当にたくさんの道があることに気づくはずである。