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ILH代表黒部のブログ

黒部家の教育回顧録

黒部家の教育回顧録
お盆休みが明け夏休みも後半戦に入ってきた。ランゲージのサマーキャンプも週明けからどっと人数が増え、いつも通りの賑やかさが戻ってきた。ママには後2週間の辛抱、公立の小学校はは25日からスタートするとか、逆にお盆休みの帰省で忙しかったファミリーは、この1週間を使って子供とじっくり向き合う時間を作ってほしいと思う。
さて、前回の話の中にフランス人のビビアンが出てきた。彼女はフォアグラで有名なフランスの南西部ペリゴール地方の出身で、お祖母さんはこのフォアグラ作りの名人だった。お祖父さんもトリフィユ探しの名人で、その鼻の良さはナショナルジェオグラフィックスにも取り上げられ大きな顔写真が載った。ビビアンがNYに来たのはフランス国鉄に勤めるご主人の仕事の関係だった。マンハッタンのイースト72丁目の高級アパートに社宅があり、セントラルパークは目の前にあった。当時私達はクイーンズというマンハッタンから地下鉄で30分もかかる郊外に住んでいたので、こどもが生まれてからというもの、ビビのアパートは私の子育てにはなくてはならない場所になっていた。おまけにビビが同じビルに子供好きの隣人を見つけてくれて、ベビーシッターをよくお願いした。この隣人もフランス人だった。兎に角フランス人というのは必要最小限の英語力しか話さない。相手もフランス語が話せて当たり前だと思っている。ベイビーにも一緒でひたすらフランス語で子守をする。生後1ヶ月からフランス語を叩き込まれると、当然かもしれないが小学校の頃いはふつうにフランス語が話せていた。
長女は小学校4年生までUNIS(United Nations International School)に通っていた。国連職員の子弟が多く通っていたが、別に国連直結の学校ではない。ただプログラムは非常にインターナショナルで、フランス語、中国語などの国連公用語はキンダガーデンの授業でも教えられていた。音楽の先生もアフリカ出身の非常にリズム感のいい先生で、世界中のあらゆるジャンルの音楽を子供達に教えていて、ニューヨークという場所柄、時には著名なアーティストもゲストであらわれたりしていた。私がパフォーミングアーツを取り入れた授業に出会ったのもここUNISだった。ただ世界中から人種の違う子供達が集まっているということは、その保護者も非常にインターナショナルな集まりだった。夫婦うで国籍が違うのは当たり前ぐらいな話で、おじいちゃん、おばあちゃんの出身国も違ったりする。学年末に行われるポットラックパティーは、まるでインターナショナルフッドフェアーのようだった。
しかしマンハッタンに数ある私立学校の中でのUNISのランクは決して高くなかった。理由は英語力だった。世界中から子供達が集まっているので無理もないことだが、英語カリキュラムそのものが弱いという指摘もあった。低学年はまだしも、高校のSAT(Scholastic Assesement Test)という大学能力評価試験の総合スコアーが低かった。日本では留学というとTOEFLが一般だが、アメリカの大学に入りたかったらまずはSATスコアーが優先する。ハーバード大学を目指すなら2400点はまず常識とされる。
(続く。次回はSATに関しては詳しくお話しします。)

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