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ILH代表黒部のブログ

ランゲージ?ハウスの目指す教育  (1)

今朝日新聞で「世界は日本は」というサブタイトルで、世界の新しい教育に関する記事が連載されている。1月5日付けの記事で、「望む学校 市民が作る」という記事があった。デンマークでは、子供を通わせたい学校がない場合、親たちが「フリースクール」を自由に作れる。公立と同等の学力をつけることが求められるらしいが、運営費の7割を政府が助成するので、授業料も公立校とさほど変わらないという。

私の住んでいたアメリカでも「チャータースクール」というのがあった。既存の教育にとらわれず、授業の時間やカリキュラムを自由につくれる。出資はその教育内容に賛同する親や、企業などからの寄付金が主になる。また「ホームスクール」といって、カリキュラムを親が自由に組み立て、住んでいる町から許可を得る。インターネットを使って、公立校からの授業をオンラインでも受けられる。以前は交通機関のない僻地で、学校に行くまでに何時間もかかる子供たちがホームスクールを受けていた。今でも、オーストラリアなどでは、アイスクリーム一つ買うにも車で40分以上走らなければならないような田舎に住んでいる子供たちの多くは、地理的な理由からのホームスクールが一般的である。ところが今、フリースクールを選択する理由は、地理的要因から、親や子供のディマンズが要因となっている。子供や親が既存の学校に満足できなかったり、また共同生活になじめない子供たちの親がホームスクールを選択する。
日本でも不登校になった子供たちのためのフリースクールはあるが、公的には認められていない。

ただ、である。私自信はフリースクールに諸手を上げて賛成できない。
なぜか、それはアメリカ在住時代にたくさん自分勝手な子をみてきたからである。
ランゲージ?ハウス幼稚部の教育方針の柱である「自分力」これは自分だけの力
や、個人行動から生まれるものではなく、他人との共同生活の中で培われるものであり、本人が自覚していっくものである。もちろんフリースクールを選択したすべての子供たちが自分勝手なわけではないが、行きたいときにトイレにいき、コーヒーマグ片手にノートをとる。起き抜けの髪の毛もじゃもじゃ姿でも、パソコンを前にした授業なら受け入れてくれる。好きなことはするけど嫌いなことはしない。こんな環境で育った子供たちが社会に出たときに受ける衝撃は大きい。現実の社会はフリースクール出身者にきびしい。すべての人が自分と同じ趣味ではない、好きなときにすきなことばかりはさせてくれない。フリースクールでアカデミックな知識は養えても、社会人としての社会性は人間社会で生きていく限り必要不可欠と考える。(つづく)

年の初めに

2014年が明けた。いつもと同じ朝を迎えるだけなのに、ほとんどの日本人が、自分にとって特別の朝を意識する年に一度の朝だ。日本人の新年に対する思い入れは、世界でもダントツに強い。昨日の大掃除は朝早くからてんやわんやで、午前零時までにいろいろなことを済まさないといけない。というか忙しくないといけないらしい。新年に食べなくてはいけないおせちの支度、神様が新年にやってくる時によくわかるように家々にはお飾りが付けられ、新年の挨拶である年賀状は元旦に届くように準備する。除夜の鐘がなる前に蕎麦を食べ、近くにお寺があれば除夜の鐘を突きに出かける。とにかく12月31日に、こんなに忙しく、しなくてはならないことのある文化は、世界広といえども、日本をおいて他にはない。ところが最近この文化に変化が起こっている。まずおせちは作るものではなく買うものになった。10月のハロウイーンが終ころから、おせちの予約広告が目につくようになった。外国人などがその広告を見ると「ターキーのすぐ後にNew Yearのお弁当を考える日本人は宇宙人よりすごい!」とびっくりする。確かにおせちとクリスマスケーキの広告が寄り添ってコンビニの店頭に出てくると、新しい意味での日本文化を感じる。大掃除も忙しいのはダスキンぐらいかもしれない。私が子供の頃、母方の実家が寺だったせいか、大晦日になると仏壇の小物をホリッシュとかいう液体で磨く手伝いをさせられた。磨いてもなかなか奇麗にならないし、お小遣いを貰えるわけでもなかった。が、数日後にはお正月、つまりお年玉の額を見越しての手伝いだったので簡単に職場放棄できなかった。 自分自身の身支度を整えるのも、お正月を迎えるに大切な儀式だった。小学生の頃、近所の友達が新日本髪とやらを結うのが羨ましく、私も母親にせがむのだが、「お家のお手伝いをしたらね。」とあしらわれる。私は家の手伝いをするより、よそで働いた方がましと思っていたので、小学校6年の時に近所の八百屋に頼み込んでアルバイトをさせてもらった。今考えると、雇う側も迷惑千万だったと思う。しかし寺の孫に頼まれては断る訳にもいかなかったのだろう。「美子ちゃんはすき焼きの具係おねがい。」ということになった。白滝と焼き豆腐、ネギの販売を担当した。白滝は今のようなビニールパックではなく、樽の中の冷たい水にふよふよ浮いているようなやつで、手を入れると全身が縮み上がるように冷たくなる。焼き豆腐も同じ。ネギは泥ネギの束から、お客が買い求める本数だけ抜き出す、なので手は真っ黒になった。さて、八百屋の話はさておいて、アルバイトが終わって美容院に駆け込む。その時分は大晦日というと新日本髪を結いにくる女性たちで満員だった。でも簪を付けてもらい、スプレーでカチカチとした髪になると、明日はお正月というやる気満々の気分になるから不思議である。着物は二の次、とにかく新日本髪がお正月そのものだった。除夜の鐘を日本髪でつくと、なんとなく気分がよかった。今は全身ユニクロである。地球温暖化になっているのにである。
さて、ここで改めて日本の大晦日とお正月の今を考えてみたい。生活が便利になったせいか、大晦日は昔ほどの忙しさはなくなったが、作ることの騒がしさがなくなった分、買うことの忙しさに翻弄されている。お正月はというと、1日から大売り出しを始める店が出現しているせいか、いつもの日常とかわらないお正月があってしらけてしまう。1日から買い物に出かけないと一年に乗りおくれてしまいそうな、だからカルタ、百人一首、羽根つき、花札、福笑い、書き初め、凧揚げなどといった日本文化を象徴する日本のお正月などやっていられないのだ

2014年、ランゲージ?ハウスの目標は、日本人のためになる英語教育である。
日本人が自国の文化に誇りを持ち、それを美しいものとして海外に紹介し、同時にグローバル社会で悠々と泳いでいける、そのための語学力を養うことである。世界を見回すと、新年には親たちが子供たちに国の伝統を伝える儀式や風習が色濃く残っている国がたくさんある。これらの国の教育水準は高く、世界で活躍する若者も多い。日本はというと、コマーシャリズムに流された新年のスケジュールや儀式を適当にこなしているかに見える。今私たちはもう一度原点に戻って、日本の大人が誇りを持って子供たちに伝承できることを考えたい。せめてお正月の3日間、子供たちが自分の親を誇りに思う何かを探し、実践してみたい。

Holiday season

みんなそれぞれにクリスマスを過ごされたかと思います。子供たちもサンタさんから無事にプレゼントが届けられたでしょうか。万が一手違いでクリスマスを過ぎてしまっても「サンタさんは、サンタランドから日本にくる途中で道に迷ちゃたみたいなの。それで一日送れちゃったけど許してあげようね。」ということにしましょう。
さて、日本ではクリスマスが終わると、仕事納め、そしてお正月の準備に忙しくなりますが、海外ではクリスマスから新年まではスローに時間が流れます。
正確にはThanks givingが終わるとholiday seasonの始まりとなります。11月の終わりから1月1日までは、街も華やいだ雰囲気で、そこら中でパティーが開かれています。私が記憶する華やいだクリスマスとは、パークアベニューに住むファミリーが開くクリスマスパティーでしょうか。パークアベンニューに面したアパート、といってもワンフロアー6部屋以上あるような間取りです。クリスマスディコレーション専門の業者に各部屋の飾り付けをさせるので子供部屋などはおとぎの国に紛れ込んだみたいです。パティーの広間は派手に飾り付けされ、ホストとホステスは入り口でお客さんを迎えます。時々招待状にBlack&Whiteと記されているときは、男性はボウタイ(蝶ネクタイ)女性はイブニングドレス着用となります。ここで服装に遠慮して地味につくろうと、逆にパティーから浮いてしまいます。食事はディーン&デルカなどから、サービウボーイ付きのケイタリングが届きます。シャンパンは銀製のパンチボールに何本も冷やされています。こんなパティーでの会話はというと、子供の学校関係なら子供や先生の話、仕事関係ならたわいもない趣味や休暇の話です。今年一年の反省とか来年の豊富などというような固い話はほとんどしません。カジュアルに飲んで食べて、カクテルなら1時間、ビュッフェスタイルなら2時間程度でおいとまします。例外として、ユダヤ人ファミリーに招かれたときは、クリスマスではなく、ユダヤ教のHANNUKAを祝うので、これはその儀式にしたがって最後まで参加するのが礼儀のようです。ニューヨークに限っていうと、クリスマスには目に見えないルールみたいなものがあって、日本の忘年会のように1年をねぎらうというより、とにかくクリスマスになりました。乾杯しましょうといったニュアンスが強いかもしれません。ほとんどのビジネスが1月2日からスタートするので、大晦日は友達とのどんちゃん騒ぎが多く、有名なタイムズスクエアーのカウントダウンでも見られるようにシャンペンを抜き、ラッパ飲み。あるいは一晩中ダンスをしまくるか、友人宅で同じくシャンパンをがぶ飲みするかです。元日はおせち料理もないので、朝ゆっくり起きて、翌日からの仕事に備える。これが海外での大晦日です。長かったホリデーシーズンもこれで終了です。すでにクリスマスが終わるとシラける人たちがほとんどなので、日本人はクリスマス、大晦日、正月とシラける暇はない、なんとコンビニでは恵方巻きの宣伝もクリスマスケーキと並んでいました。これが日本文化になっているかと思います。なんでもあれの日本混合文化は疲れますが、これが生活の潤滑油になっているかもしれません。
ところでみなさん、今年はどんな年でしたか。

タイ事情
先々週、ビルディングメインテナンスサービスの企業から依頼で、久しぶりに通訳の仕事を受けた。場所はタイ、バンコック、引き続く日本企業の進出にそなえて、現地にあるビルメインテナンス企業との技術人材、ひいては共同出資による現地法人設立を目的とする。私は法律のことはまったくの度素人だが、人と人、とくに日本人と外国人をつなぎ合わせるスキルは持ちあわせているらしいので、サラリーマンをしていた頃から、会社の提携業務にはよく引き出され、私も日本のPRをかねて必要以上に頑張ってしまう。

私が滞在した3日間、丁度現地では政治集会、デモが行われているときで、外務省通達では、あまり行かない方がいい外国のカテゴリーに入っていた。夜中に降り立った空港も警備が厳しく、ホテルから迎えに来たタクシーの運転手も現政権に対する不満を興奮しながら話していた。ビルを指差しては「あれもこれも汚職ビルだよ。」「首相はチーティング(ごまかし)ばかりする。」と言っていた。

確かにタイの政情不安定は街を歩いていてもよくわかる。まず物価がおそろしくあがった。それと平行して乞食が増えた。以前道で出会うのは托鉢のお坊さんだったが、今回は乞食の姿が目についた。裏町の屋台は相変わらずの安売りをしているが、表通りにあるショッピングモールの商品は、日本人の私でもためらってしまうほどに値段が高い。例えばGAPなどは明らかに日本より高い。いったい誰が買うのか知らないが、スカイトレイン(公共交通電車)に乗って
くる一般庶民のものではないのは確かである。

私が思うに、タイはアンバランスなグローバル社会が進行している。これはタイに限らずアジアの国々に言えることだが、ある一部の富裕層のみがグローバル社会の市場原理を甘受でき、それ以外の人々は、グローバル化した町並みだけを眺めて暮らす一般の人たちだ。これらの人たちにとってはグローバル社会なんていうのは生活の足しにもならない、まったく異次元社会である。ただ、ある光景を見たときに、近い将来、この異次元を現実として受け止める人たちが多くなるのだと思った。それは学校である。タイにはインターナショナルスクールが多いが、一般の学校も英語にはかなりの力を入れている。私が見たのは町外れにある、一見塾のような学校だった。ところが生徒は英語で話している。タイアクセントのある非常にわかりにくい英語だが、あきらかに英語である。小学生と思われるグループだったが、10年後、20年後、日本人と国際社会で戦ったときに、その勝敗はあきらかであるような、ふとそんな気持ちにさせる光景だった。未だにアジアを後進国だと思っている日本人がたくさんいる現実、一度ノックアウトされないと現実は見えてこないかもしれない。

マンデラの教育

南アフリカの指導者、マンデラが亡くなった。27年間の獄中生活から、その人間性を失わずに社会復帰を果たし、国を白人黒人共存の社会へと導いていった。アパルトヘイトという白人の黒人に対する恐怖心が、武力による差別制度と化し、長い間この国を白人優越の社会として世界に知らしめてきた。ニューヨークに住んでいた頃、南アフリカ出身の白人と知り合ったことはあるが、黒人と出会ったことはない。黒人は国外にすら出られる環境ではなく、私も白人の話だけを聞いて南アフリカという国を想像していた。
 話は変わるが、アメリカでも黒人への人種差別は1960年代頃までは、当たり前のように行われていて、キング牧師の行った公民権運動の後、長い年月がたってやっと表面的な差別はなくなってきた。しかし2013年現在、本当に人種差別がなくなったかというとそうでもない。例えばマンハッタンを例にとると、黒人と白人の住む地域は相変わらず別々である。ただ昔と違うのは、白人が黒人を避けているだけではなく、黒人も白人の住む地域には住みたいと思っていない。大学の寮でさえ、白人と黒人のルームメートは組み合わせとして避けているようである。
 日本は、そして日本人は、黄色人種といわれるのを嫌う。たかが白、黒、黄色、赤(ネイティブアメリカンなど)と色分けしているのに過ぎないが、黄色と呼ばれるより、日本人と呼ばれたがる。そして白い仲間に入りたがる。今でも自分の子供の結婚相手に黒人を歓迎しないファミリーはたくさんいる。
 マンデラの話にもどる。彼は投獄されてしばらくの間、白人を憎んでいた。しかし獄中で白人とコミュニケーションのできる言語を独学で学び、相手が何を考えているかを聞き出す事で、なぜ黒人が嫌いなのかを理解しようとした。その結果、ある答えにたどり着いた。それは教育だった。白人が黒人を憎む、あるいは恐れることを学校が教えていた。白人と黒人は肉体的にも、能力的にも優越がることを学校が教えていた。白人は黒人とは違う生活をし、黒人はそれをまねてはいけないことを学校が教えていた。さらにそれがなぜそうなのかを学校は教えなかった。白人と黒人がもしかしたら共存できることを学校は教えなかった。
 マンデラは言っている。もし世界を変えたかったら、それは教育にしかできないことだということを知るべきであると。人間は生まれたときから憎しみを持っては生まれてこないし、恐怖心をもっては生まれてこない。教育だけが人をして右へ行くか、左へ行くかを決めるツールである。
 私たちも、日本を変えたいと思うなら、もう一度子供の教育と真剣に向き合っていきたい。

ニューヨーク便り

ニューヨークに出張した。今回の目的は現地で外国人保育士(英語ではprovider、あるいはcare giverというが、日本語のニュアンスとはちょっと違って,子供のお世話をするという意味合いが強い)と、幼稚園の先生(これは一般にeducatorと言われていて教育者となる)の面接をすること、そして提携先の幼稚園で一日過ごす事、そして今年起動を始めた『ママ笑社」に使える情報収集をすることだった。ランゲージ・ハウスでは来年度に向けて、確実な日本人保育士と外国人保育士のコラボレーション、これには日本で英語講師をしている外国人ではなく、海外の幼稚園で実際に現場で働いている先生を求めている。募集をいろいろな方法で行っているが、最低2年の契約をしたいと思うと、中々人材は見つからない。また日本の子供たちに自分の経験とスキルを通してグローバルな教育をしたいという熱い思いがないと長続きはしない。これらの条件を満たすキャンディデートに出会うのは、宝くじに当たるぐらい難しいこととは思いつつ、あきれめられない。教育はほぼ先生のスキルで決まると思うとなおさらである。今回面接した若手外国人達は、それぞれに日本にあこがれ、日本で働きたいと思っているが、教育者にはまだまだ修行が必要と思わせる者がほとんどで、彼らとは5年後に再会したいと思いつつ契約にはいたらなかった。
幼稚園はRoosevelt Island Pre school という、1.5才から6才まで、つまりキンダーガーデンまでの教育をする幼稚園である。3、4歳児のクラスルームは朝からにぎやかで、思い思いのプレイテーブルで好きな遊びが始まる。1クラスには15人の園児、そして主任教師とアシスタント2人、計3名のプロバイダーが担当する。主任教師はそれぞれのコーナーをくまなく行ききしながら子供たちの様子を見ると同時に、それぞれのコーナーを活用しての幼児教育を行っている。例えば積み木コーナーでは、教師自らクレーン車の真似をして積み木を拾い上げ、それを元あったところへ片付けていく、子供たちも教師の発声するクレーン車さながらの物まねに興味深々、片付け終わるまでに一度も「早く片付けなさい。これをしまいなさい。」などという指示がない。日本の保育士が一日のうち半分以上を、立ちながら仕事をしているのに比べて、それぞれのコーナーに腰を下ろし、子供たちと向き合う姿勢が新鮮だった。子供たちは三々五々教師の膝にきては何やら話しをしていき、また自分の遊びにもどる。教師は子供たち一人一人と丁寧に話している。アシスタントも、それぞれのプレイテーブルで子供たちと会話することを大切にしているようで、その間、ものを片付けたり、次のプログラムへの準備などの慌ただしさがない。いったいどうやってスケジュールが流れているのか不思議なぐらいである。
この園では、9時から12時までhalf dayのプログラムに参加する子供たちと、お弁当を食べてお昼ねをして3時まで遊ぶfull dayとがあるが、圧倒的にhalf dayが多い。理由は料金が高いことと、働く親にとっては3時終了は中途半端で預けにくいこともあるらしい。ニューヨークの働く親たちのほとんどは専属のベビーシッターを雇っていて、大半が掃除、選択、子供への料理などのハウスキーピングもかねている。したがって日本のような保育園はあまり存在しない。地方都市に行くと、いわるゆDay Careといわれる保育所があるが、質のほどはピンキリで、日本の保育園システムのほうが安定また品質もいいように思う。
さて、この幼稚園でバイリンガル教育を専門に研究している教師に出会った。彼女は長年保育士として仕事をしたあと大学に戻り、現在バイリンガル教育の研究をしながらPHD(博士)を目指している。園にもフランス人の子供たちが3名、日本人2名、ブルガリア人1名、アルゼンチン人1名とネイティブの子供達、計15人が英語で過ごしている。最近このフランス人3名が英語に対して、回答拒否を起こしているとか、逆に日本人はお母さんが迎えに来ても日本語で話すことを拒むらしい。ランゲージ・ハウスと同じく、この園でも、英語を一つのコミュニケーションツールとして子供たちの将来に役立つ事を目指し、またニューヨークという社会へとけ込める基盤を作っているが、最近はスペイン語の人口が非常に増加するなか、英語とスペイン語両方を教える学校が増えているという。バイリンガルではない、トライリンガルなアプローチである。私は自分の学校がバイリンガル教育を確率させるための模索を続けているなか、世界は3カ国語を要求するようになる。将来というより、近い現実で日本人ものんびりと構えてはいられなくなる。
空港へ向う帰り、中国系タクシーの運転手の話はまさに現実を象徴しているようでずしりと私に響いて来た。
「僕は高校の時にアメリカに来て大学を卒業しました。英語ができれば仕事にありつける、国際都市ニューヨークで一旗揚げたいと思っていました。ところがみんな英語だけじゃなくてスペイン語、ベトナム語、ブラジル語を話し、英語が話せても、英語で考えられないとまっとうな仕事にはつけないことが解りました。今僕には子供が3人、5年たったら中国に帰る予定です。昔の中国には世界がなかったけれど、今の中国、日本もそうです。それぞれの国の中に世界があります。つまりグローバル社会ということです。なら、こんな物価の高いニューヨークにいるより、子供たちは故郷中国で仕事を見つけて欲しいと思っています。彼らは英語、スペイン語、中国語を話します。無敵ですよ。」
さて、我々日本人はこんな考え方をする中国人に将来本当に対抗できるだろうか。私は思いっきり心配な気持ちで運転手の話を聞いていた。

11月、食育について話しましょう。

ハローウイーンも終わり、次はThanks givingというのはアメリカのお話で、日本の11月はもっと多様性に富んでいる。
ワイン好きならボジョレーヌボーの季節、ゴルフ好きなら毎週ゴルフ三昧(私はゴルフはしない)旅行好きなら三連休を利用してのファミリー旅行と様々だが、今回は食欲の秋にちなんで食のお話。
最近日本の幼稚園、保育園では食育に熱心である。確かに食の本質を知り、健康的な食生活を作っていくことにつながる教育で、幼い頃に培われれば大人になっても食に関する意識が高くなると思う。、、、がしかしである。ある幼稚園で食育の時間を覗いてみたが、なんともたいくつでおもしろくなかった。あんな食育を教えられていては食そのものがつまらないものになってしまうのではと心配になった。食事はそもそも楽しく食べるとうことが前提だと思うから、これは栄養がどの、これは身体にいい悪いと考えながらでは食べた気がしない。だが、「はい、ではみなさん、今日のお夕飯の時にピーマンさんのグリーンと、トマトさんの赤が身体の中に入ると、どんな活躍をしてくれるか思い出してみてね。」と先生に言われれば、やはり食を味わう以前に、頭で食事をすることになってしまいそうである。
フランスやイタリアではどうしているかというと、食育などといういかめしい名前でのクラスはない。それよりも小さいときからの食習慣が物を言う。例えばイタリアのベビーフッドである。カルボナーラや、リゾットがめちゃめちゃ美味しい、といっても瓶に入ったベイビーフッドで、大人でも楽しめる味。フランスのアティーチョークとハムのクリーム仕立ても最高、デザートまであって、フラン(プリンのようなもの)に至っては大人用を上回っていることもある。反対にアメリカのベイビーフッドは一度食べたら人生で二度と味わいたくないほどにまずい。徹底的にまずい。また色もよくない。昔私の子供がトマトマカロニのベイビーフッドを見て、「これゲロゲロみたいだね。」と言っていたが、確かにである。日本も最近美味しいベイビーフッドが出回っているが、まだまだフランス、イタリアには二馬身ほど遅れている。
赤ちゃんの時から、美味しく、また品質の高いものを食べ続けて大人になった人と、まずくて品質の悪いものを食べ続けた人とでは、その人が家庭を持って子供を育てるときの食事に大きな違いが表れる。
日本は今コンビ二弁当や、お惣菜やのおかずが食卓に並ぶ割合が増えていると思う。両親共働きでは仕方ない部分もあるが、昔に比べ家庭での食育はおろそかになっている。マナーもしかりで、親がテーブルに肘をついて食べれば、子供もそうなる。親がテレビを見ながら食べていればそのようにもなる。親が携帯を見ながら食べればこれも正しいこととして習慣となってしまう。
食育にもどる。幼稚園が子供たちに食の知識を与えることはいいことである。がしかし、それ以前に食事は楽しいく人と会話をしながら、一定のマナーに従っていただくことを教えることも大切である。食とは、五感で食べるとは小説家でグルメの池上氏が言っていたが、頭ではけして食べない。

Halloweenと100円ショップ

今年もHalloweenの季節がやってきました。日本も早いところでは9月頃からHalloween商品が並び始めている。特に100円ショップでのディスプレーは毎年大きくなっていて、今では本場アメリカを上回る勢いだ。ただ私には100円ショップでのおびただしいHalloween商品を見るたびに、ちょっと寂しい気持ちになる。クリスマスのケーキがコンビニで大量販売されるのと一緒である。もともとHalloweenはケルト人に由来する宗教的色合いの強い、秋の収穫と悪霊払いを目的に始められたお祭りである。これがアメリカに渡って宗教色は薄れたが、それでも幼稚園や小学校ではHalloweenの由来についてのレクチャーがあったり、教会でもそれにちなんだ法話がされたりする。子供たちもTrick and Treatといいながらお菓子を貰いにいくのと交換に、それぞれのお家でもよその子供たちにお菓子を用意しておくことをわすれない。また高齢者のお家では、子供たちの訪問を楽しみにしていて、家の外回りを飾り、ドアノブにHalloweenのデザインをほどこし、ピンポンするとおじいちゃんやおばあちゃんが大きなバスケットを抱えて出てくる。なんともほのぼのとした光景である。
さて、日本もアメリカの伝統に近いHalloweenを行っているところもあるが、ほとんどは100円ショップで購入した髪飾りや、マント、魔法のスティックなどで、とりあえずそれを子供たちに着せて携帯写真、お菓子はパンプキンのついているものならとりあえずOKといのが現状ではないだろうか。この100円ショップのコスチューム、非常によく出来ているのが、まったく個性がないので、これを着た子供たちの写真を撮ると、どの子も同じに見えてしまう、つまりコスチュームに着せられた子供たちという印象である。
今年ランゲージ・ハウスの幼稚部の保護者の方々にお願いした。幼稚部でのHalloween partyには、どの家族もオリジナルを着てくること、である。簡単なものではパパの古くなったネクタイを利用してパイレッツオブカリビーンのジョニーディップになれるし、小さなベイビーだったら、ママのハワイアンドレスを改造してリトルマーメイドでもいい。時間がなかったら黒いビニール袋を勝って頭が入るようにして、ブラックキャットでも十分だ。私も5人の子供たちを仮装させるのは大変だったが、長女はアクセサリーを首からたっぷり下げさせてジプシー、次女はオレンジ色のTシャツを着せて、中にクッションを詰めてリトルパンプキン、長男はパパのネクタイとスーツでサラリーマン、次男は浴衣を着せてお化粧して侍の息子、三女は黄色い毛糸帽子に黒いビニールテープをつけてハニービーとなった。どれも各安、かつ速攻にできたコスチューム、必要なのは創造力だけ。
Halloweenの思い出は写真がものをいう。せめて今年のHalloweenは、子供たちにとっては個性のある、そして将来、「そう、この時のHalloweenはパパとママが一生懸命コスチュームを作ってやったのよ。大変だったわ。」と言えるものにしたい。「そう、この時も100金から買って来ちゃったわ」よりは子育てのクオリティーが増すと思うのだが。

感性と運動のバランス

前回感性についての話しをしたが、今回はそれと平行して大切な運動力のお話し。但し運動能力ではなく運動力について。運動能力は各自能力の差がある。しかし運動力は毎日の決まったプログラムの実践で誰でもが鍛えらるものだ。幼児園児もしかり、運動力は鍛えることができる。よく「うちの子は運動神経が鈍くって、」とか、「何々ちゃんの運動神経はスゴイね」など運動会のシーズンになると聞かれる話題、でもよその子と比べられてる子供たちはいい迷惑なのだ。運動神経の良し悪しは生まれた時に大体決まているからだ。それをあたかも運動嫌いや内向的だからと決めつけてしまう。ときにはパパのせいにされることもあるから体育会組ではないパパ達がいいとばっちりを受けることもある。
さて、運動力である。ランゲージ・ハウス幼稚部では毎日朝の体操、軽いジョギング、ジャンプロープ、とお決まりの運動メニューがある。今年の4月から7ヶ月目、運動嫌いだった子供たちに笑顔がもどった。というのはできるようになったからだ。人間出来ないことをやらされて笑顔になれる訳がない。でもチョットでもできるようになると、知らないうちにウウフと笑顔になる。パパのゴルフもそんな時があるかと思うんのだが。運動力は毎日の継続で必ず伸びていく。語学力と一緒だ。そして何よりもほめてやること、他人と比べないこと。
アメリカの有名大学スタンフォードの入学審査にスポーツに関する欄がある。これはスポーツにどれくらい秀でていたかではなく、自分の好きなスポーツにどれくらい情熱をつぎ込んでいたかが問われる。私の友人が二人の子供を同校に送ったが、一人は兄はサーフィン、妹はヨガだった。日本でこんなことを書いても面接時の質問対象とはならないが、スタンフォードではサーフィンの滑りを良くするワックスにまで話題が及んだという。
我が子の運動神経が今一と思っている親はたくさんいると思う。この私も長男が運動音痴で運動会は見るに耐えなかった。でも主人とキャチボールをしている時のうれしそうな顔は今も忘れない。今はシェフとして活躍しているが、調理場での姿を見る限り、運動音痴には見えない。きっとキャッチボールで鍛えられた運動力が活かされているのかもしれない。感性と運動力がマッチングするとスーパーメニューが生まれる。感性を鍛え、運動力を高める、これは塾に行っても教えてくれない人生の大切なスキルである。

幼児期の感性の大切さ

昔、私の母が弟を週末音楽教室に通わせていた。まだヤマハが音楽教室を開いていないころの話で、小学校の先生が地元の子供たちの感性を養おうという思いから、自宅で始められたマリンバと打楽器の教室がそれだった。ピアノ教室はそこそこはやり始めていた頃だったが、この先生は小学校の鼓笛隊演奏にマリンバを取り入れていた。名前を秋山先生という。実は東京オリンピックの鼓笛隊を指揮した先生で、鼓笛隊では日本でも有名な先生だった。私も小学校で先生の鼓笛隊に参加した一人だが、とにかくリズムに厳しかった。日本の子供たちのリズム感が失われたのは、軍隊が行進を始めてからだという。私は軍隊行進そのものが鼓笛隊と似ていると思っていたのですぐには先生の言葉が飲み込めなかったが、小太鼓を担当している生徒達のスティックが太鼓の上で振動して、美しいビブラート音になるときに足を上げるのがもっとも美しい行進になるらしい。タン、タカタカ、タタッター、タン、タカタカ、タタッターと両足ぶみをしながらリズムを取っていくと、確かにビブラート音が聞こえて来て足取りが軽くなるから不思議だった。そんな鼓笛隊指導から、もっと子供たちに生の音楽をといって始めた教室だった。母を始め、たくさんの保護者が毎週末先生の自宅に通っていた。
各自に好きな打楽器や、上級生にはマリンバを打たせるのであるが、そこには必ずストーリーがあった。例えば「ペルシャの市場にて」というクラシック曲がある。シルクロードをらくだで旅する小隊の動きや、市場の様子などを音楽で表現する。もちろんペルシャの市場のことは何も知らない子供たちなので、先生はそのお話から始める。面白いし、まるで知らない世界を旅しているようだと母が話していた。子供たちもピアノの練習のように通わされている、やらせれているという意識がないせいか、先生の指示に従って自分が理解した物語を楽器で表現しようとする。先生曰く、どの音も一生で一度出せるか出せないかの音だという。
この音楽教室に通っていた子供たちの多くは大人になってクリエイティブな仕事についている。感性を鍛えられた成果を仕事に活かしているから幸せである。昔日本にも感性を大切にする文化があった。ところがいつ頃からか感性をやしなったところで飯は食えないという風潮が広まり、感性より技術を鍛えよということになった。しかし技術もあるレベルに到達すると、感性なくしては先に進めない。あるボルト屋のおじさんが「感性がないとこの特別なボルトは削れない」と言っていたテレビ番組があった。
感性は幼児期に大いに発達する。劇場に連れて行ったり、美術館に行ったり、自然の中を歩いたり、時にはレストランで美味しいものを食べるのもいい。無駄なこととは考えず、この先行投資が子供の大きな未来につながることを覚えていて欲しい。

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