ランゲージ?ハウスの目指す教育 (1)
今朝日新聞で「世界は日本は」というサブタイトルで、世界の新しい教育に関する記事が連載されている。1月5日付けの記事で、「望む学校 市民が作る」という記事があった。デンマークでは、子供を通わせたい学校がない場合、親たちが「フリースクール」を自由に作れる。公立と同等の学力をつけることが求められるらしいが、運営費の7割を政府が助成するので、授業料も公立校とさほど変わらないという。
私の住んでいたアメリカでも「チャータースクール」というのがあった。既存の教育にとらわれず、授業の時間やカリキュラムを自由につくれる。出資はその教育内容に賛同する親や、企業などからの寄付金が主になる。また「ホームスクール」といって、カリキュラムを親が自由に組み立て、住んでいる町から許可を得る。インターネットを使って、公立校からの授業をオンラインでも受けられる。以前は交通機関のない僻地で、学校に行くまでに何時間もかかる子供たちがホームスクールを受けていた。今でも、オーストラリアなどでは、アイスクリーム一つ買うにも車で40分以上走らなければならないような田舎に住んでいる子供たちの多くは、地理的な理由からのホームスクールが一般的である。ところが今、フリースクールを選択する理由は、地理的要因から、親や子供のディマンズが要因となっている。子供や親が既存の学校に満足できなかったり、また共同生活になじめない子供たちの親がホームスクールを選択する。
日本でも不登校になった子供たちのためのフリースクールはあるが、公的には認められていない。
ただ、である。私自信はフリースクールに諸手を上げて賛成できない。
なぜか、それはアメリカ在住時代にたくさん自分勝手な子をみてきたからである。
ランゲージ?ハウス幼稚部の教育方針の柱である「自分力」これは自分だけの力
や、個人行動から生まれるものではなく、他人との共同生活の中で培われるものであり、本人が自覚していっくものである。もちろんフリースクールを選択したすべての子供たちが自分勝手なわけではないが、行きたいときにトイレにいき、コーヒーマグ片手にノートをとる。起き抜けの髪の毛もじゃもじゃ姿でも、パソコンを前にした授業なら受け入れてくれる。好きなことはするけど嫌いなことはしない。こんな環境で育った子供たちが社会に出たときに受ける衝撃は大きい。現実の社会はフリースクール出身者にきびしい。すべての人が自分と同じ趣味ではない、好きなときにすきなことばかりはさせてくれない。フリースクールでアカデミックな知識は養えても、社会人としての社会性は人間社会で生きていく限り必要不可欠と考える。(つづく)
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