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ILH代表黒部のブログ

ニューヨーク便り

ニューヨークに出張した。今回の目的は現地で外国人保育士(英語ではprovider、あるいはcare giverというが、日本語のニュアンスとはちょっと違って,子供のお世話をするという意味合いが強い)と、幼稚園の先生(これは一般にeducatorと言われていて教育者となる)の面接をすること、そして提携先の幼稚園で一日過ごす事、そして今年起動を始めた『ママ笑社」に使える情報収集をすることだった。ランゲージ・ハウスでは来年度に向けて、確実な日本人保育士と外国人保育士のコラボレーション、これには日本で英語講師をしている外国人ではなく、海外の幼稚園で実際に現場で働いている先生を求めている。募集をいろいろな方法で行っているが、最低2年の契約をしたいと思うと、中々人材は見つからない。また日本の子供たちに自分の経験とスキルを通してグローバルな教育をしたいという熱い思いがないと長続きはしない。これらの条件を満たすキャンディデートに出会うのは、宝くじに当たるぐらい難しいこととは思いつつ、あきれめられない。教育はほぼ先生のスキルで決まると思うとなおさらである。今回面接した若手外国人達は、それぞれに日本にあこがれ、日本で働きたいと思っているが、教育者にはまだまだ修行が必要と思わせる者がほとんどで、彼らとは5年後に再会したいと思いつつ契約にはいたらなかった。
幼稚園はRoosevelt Island Pre school という、1.5才から6才まで、つまりキンダーガーデンまでの教育をする幼稚園である。3、4歳児のクラスルームは朝からにぎやかで、思い思いのプレイテーブルで好きな遊びが始まる。1クラスには15人の園児、そして主任教師とアシスタント2人、計3名のプロバイダーが担当する。主任教師はそれぞれのコーナーをくまなく行ききしながら子供たちの様子を見ると同時に、それぞれのコーナーを活用しての幼児教育を行っている。例えば積み木コーナーでは、教師自らクレーン車の真似をして積み木を拾い上げ、それを元あったところへ片付けていく、子供たちも教師の発声するクレーン車さながらの物まねに興味深々、片付け終わるまでに一度も「早く片付けなさい。これをしまいなさい。」などという指示がない。日本の保育士が一日のうち半分以上を、立ちながら仕事をしているのに比べて、それぞれのコーナーに腰を下ろし、子供たちと向き合う姿勢が新鮮だった。子供たちは三々五々教師の膝にきては何やら話しをしていき、また自分の遊びにもどる。教師は子供たち一人一人と丁寧に話している。アシスタントも、それぞれのプレイテーブルで子供たちと会話することを大切にしているようで、その間、ものを片付けたり、次のプログラムへの準備などの慌ただしさがない。いったいどうやってスケジュールが流れているのか不思議なぐらいである。
この園では、9時から12時までhalf dayのプログラムに参加する子供たちと、お弁当を食べてお昼ねをして3時まで遊ぶfull dayとがあるが、圧倒的にhalf dayが多い。理由は料金が高いことと、働く親にとっては3時終了は中途半端で預けにくいこともあるらしい。ニューヨークの働く親たちのほとんどは専属のベビーシッターを雇っていて、大半が掃除、選択、子供への料理などのハウスキーピングもかねている。したがって日本のような保育園はあまり存在しない。地方都市に行くと、いわるゆDay Careといわれる保育所があるが、質のほどはピンキリで、日本の保育園システムのほうが安定また品質もいいように思う。
さて、この幼稚園でバイリンガル教育を専門に研究している教師に出会った。彼女は長年保育士として仕事をしたあと大学に戻り、現在バイリンガル教育の研究をしながらPHD(博士)を目指している。園にもフランス人の子供たちが3名、日本人2名、ブルガリア人1名、アルゼンチン人1名とネイティブの子供達、計15人が英語で過ごしている。最近このフランス人3名が英語に対して、回答拒否を起こしているとか、逆に日本人はお母さんが迎えに来ても日本語で話すことを拒むらしい。ランゲージ・ハウスと同じく、この園でも、英語を一つのコミュニケーションツールとして子供たちの将来に役立つ事を目指し、またニューヨークという社会へとけ込める基盤を作っているが、最近はスペイン語の人口が非常に増加するなか、英語とスペイン語両方を教える学校が増えているという。バイリンガルではない、トライリンガルなアプローチである。私は自分の学校がバイリンガル教育を確率させるための模索を続けているなか、世界は3カ国語を要求するようになる。将来というより、近い現実で日本人ものんびりと構えてはいられなくなる。
空港へ向う帰り、中国系タクシーの運転手の話はまさに現実を象徴しているようでずしりと私に響いて来た。
「僕は高校の時にアメリカに来て大学を卒業しました。英語ができれば仕事にありつける、国際都市ニューヨークで一旗揚げたいと思っていました。ところがみんな英語だけじゃなくてスペイン語、ベトナム語、ブラジル語を話し、英語が話せても、英語で考えられないとまっとうな仕事にはつけないことが解りました。今僕には子供が3人、5年たったら中国に帰る予定です。昔の中国には世界がなかったけれど、今の中国、日本もそうです。それぞれの国の中に世界があります。つまりグローバル社会ということです。なら、こんな物価の高いニューヨークにいるより、子供たちは故郷中国で仕事を見つけて欲しいと思っています。彼らは英語、スペイン語、中国語を話します。無敵ですよ。」
さて、我々日本人はこんな考え方をする中国人に将来本当に対抗できるだろうか。私は思いっきり心配な気持ちで運転手の話を聞いていた。

11月、食育について話しましょう。

ハローウイーンも終わり、次はThanks givingというのはアメリカのお話で、日本の11月はもっと多様性に富んでいる。
ワイン好きならボジョレーヌボーの季節、ゴルフ好きなら毎週ゴルフ三昧(私はゴルフはしない)旅行好きなら三連休を利用してのファミリー旅行と様々だが、今回は食欲の秋にちなんで食のお話。
最近日本の幼稚園、保育園では食育に熱心である。確かに食の本質を知り、健康的な食生活を作っていくことにつながる教育で、幼い頃に培われれば大人になっても食に関する意識が高くなると思う。、、、がしかしである。ある幼稚園で食育の時間を覗いてみたが、なんともたいくつでおもしろくなかった。あんな食育を教えられていては食そのものがつまらないものになってしまうのではと心配になった。食事はそもそも楽しく食べるとうことが前提だと思うから、これは栄養がどの、これは身体にいい悪いと考えながらでは食べた気がしない。だが、「はい、ではみなさん、今日のお夕飯の時にピーマンさんのグリーンと、トマトさんの赤が身体の中に入ると、どんな活躍をしてくれるか思い出してみてね。」と先生に言われれば、やはり食を味わう以前に、頭で食事をすることになってしまいそうである。
フランスやイタリアではどうしているかというと、食育などといういかめしい名前でのクラスはない。それよりも小さいときからの食習慣が物を言う。例えばイタリアのベビーフッドである。カルボナーラや、リゾットがめちゃめちゃ美味しい、といっても瓶に入ったベイビーフッドで、大人でも楽しめる味。フランスのアティーチョークとハムのクリーム仕立ても最高、デザートまであって、フラン(プリンのようなもの)に至っては大人用を上回っていることもある。反対にアメリカのベイビーフッドは一度食べたら人生で二度と味わいたくないほどにまずい。徹底的にまずい。また色もよくない。昔私の子供がトマトマカロニのベイビーフッドを見て、「これゲロゲロみたいだね。」と言っていたが、確かにである。日本も最近美味しいベイビーフッドが出回っているが、まだまだフランス、イタリアには二馬身ほど遅れている。
赤ちゃんの時から、美味しく、また品質の高いものを食べ続けて大人になった人と、まずくて品質の悪いものを食べ続けた人とでは、その人が家庭を持って子供を育てるときの食事に大きな違いが表れる。
日本は今コンビ二弁当や、お惣菜やのおかずが食卓に並ぶ割合が増えていると思う。両親共働きでは仕方ない部分もあるが、昔に比べ家庭での食育はおろそかになっている。マナーもしかりで、親がテーブルに肘をついて食べれば、子供もそうなる。親がテレビを見ながら食べていればそのようにもなる。親が携帯を見ながら食べればこれも正しいこととして習慣となってしまう。
食育にもどる。幼稚園が子供たちに食の知識を与えることはいいことである。がしかし、それ以前に食事は楽しいく人と会話をしながら、一定のマナーに従っていただくことを教えることも大切である。食とは、五感で食べるとは小説家でグルメの池上氏が言っていたが、頭ではけして食べない。

Halloweenと100円ショップ

今年もHalloweenの季節がやってきました。日本も早いところでは9月頃からHalloween商品が並び始めている。特に100円ショップでのディスプレーは毎年大きくなっていて、今では本場アメリカを上回る勢いだ。ただ私には100円ショップでのおびただしいHalloween商品を見るたびに、ちょっと寂しい気持ちになる。クリスマスのケーキがコンビニで大量販売されるのと一緒である。もともとHalloweenはケルト人に由来する宗教的色合いの強い、秋の収穫と悪霊払いを目的に始められたお祭りである。これがアメリカに渡って宗教色は薄れたが、それでも幼稚園や小学校ではHalloweenの由来についてのレクチャーがあったり、教会でもそれにちなんだ法話がされたりする。子供たちもTrick and Treatといいながらお菓子を貰いにいくのと交換に、それぞれのお家でもよその子供たちにお菓子を用意しておくことをわすれない。また高齢者のお家では、子供たちの訪問を楽しみにしていて、家の外回りを飾り、ドアノブにHalloweenのデザインをほどこし、ピンポンするとおじいちゃんやおばあちゃんが大きなバスケットを抱えて出てくる。なんともほのぼのとした光景である。
さて、日本もアメリカの伝統に近いHalloweenを行っているところもあるが、ほとんどは100円ショップで購入した髪飾りや、マント、魔法のスティックなどで、とりあえずそれを子供たちに着せて携帯写真、お菓子はパンプキンのついているものならとりあえずOKといのが現状ではないだろうか。この100円ショップのコスチューム、非常によく出来ているのが、まったく個性がないので、これを着た子供たちの写真を撮ると、どの子も同じに見えてしまう、つまりコスチュームに着せられた子供たちという印象である。
今年ランゲージ・ハウスの幼稚部の保護者の方々にお願いした。幼稚部でのHalloween partyには、どの家族もオリジナルを着てくること、である。簡単なものではパパの古くなったネクタイを利用してパイレッツオブカリビーンのジョニーディップになれるし、小さなベイビーだったら、ママのハワイアンドレスを改造してリトルマーメイドでもいい。時間がなかったら黒いビニール袋を勝って頭が入るようにして、ブラックキャットでも十分だ。私も5人の子供たちを仮装させるのは大変だったが、長女はアクセサリーを首からたっぷり下げさせてジプシー、次女はオレンジ色のTシャツを着せて、中にクッションを詰めてリトルパンプキン、長男はパパのネクタイとスーツでサラリーマン、次男は浴衣を着せてお化粧して侍の息子、三女は黄色い毛糸帽子に黒いビニールテープをつけてハニービーとなった。どれも各安、かつ速攻にできたコスチューム、必要なのは創造力だけ。
Halloweenの思い出は写真がものをいう。せめて今年のHalloweenは、子供たちにとっては個性のある、そして将来、「そう、この時のHalloweenはパパとママが一生懸命コスチュームを作ってやったのよ。大変だったわ。」と言えるものにしたい。「そう、この時も100金から買って来ちゃったわ」よりは子育てのクオリティーが増すと思うのだが。

感性と運動のバランス

前回感性についての話しをしたが、今回はそれと平行して大切な運動力のお話し。但し運動能力ではなく運動力について。運動能力は各自能力の差がある。しかし運動力は毎日の決まったプログラムの実践で誰でもが鍛えらるものだ。幼児園児もしかり、運動力は鍛えることができる。よく「うちの子は運動神経が鈍くって、」とか、「何々ちゃんの運動神経はスゴイね」など運動会のシーズンになると聞かれる話題、でもよその子と比べられてる子供たちはいい迷惑なのだ。運動神経の良し悪しは生まれた時に大体決まているからだ。それをあたかも運動嫌いや内向的だからと決めつけてしまう。ときにはパパのせいにされることもあるから体育会組ではないパパ達がいいとばっちりを受けることもある。
さて、運動力である。ランゲージ・ハウス幼稚部では毎日朝の体操、軽いジョギング、ジャンプロープ、とお決まりの運動メニューがある。今年の4月から7ヶ月目、運動嫌いだった子供たちに笑顔がもどった。というのはできるようになったからだ。人間出来ないことをやらされて笑顔になれる訳がない。でもチョットでもできるようになると、知らないうちにウウフと笑顔になる。パパのゴルフもそんな時があるかと思うんのだが。運動力は毎日の継続で必ず伸びていく。語学力と一緒だ。そして何よりもほめてやること、他人と比べないこと。
アメリカの有名大学スタンフォードの入学審査にスポーツに関する欄がある。これはスポーツにどれくらい秀でていたかではなく、自分の好きなスポーツにどれくらい情熱をつぎ込んでいたかが問われる。私の友人が二人の子供を同校に送ったが、一人は兄はサーフィン、妹はヨガだった。日本でこんなことを書いても面接時の質問対象とはならないが、スタンフォードではサーフィンの滑りを良くするワックスにまで話題が及んだという。
我が子の運動神経が今一と思っている親はたくさんいると思う。この私も長男が運動音痴で運動会は見るに耐えなかった。でも主人とキャチボールをしている時のうれしそうな顔は今も忘れない。今はシェフとして活躍しているが、調理場での姿を見る限り、運動音痴には見えない。きっとキャッチボールで鍛えられた運動力が活かされているのかもしれない。感性と運動力がマッチングするとスーパーメニューが生まれる。感性を鍛え、運動力を高める、これは塾に行っても教えてくれない人生の大切なスキルである。

幼児期の感性の大切さ

昔、私の母が弟を週末音楽教室に通わせていた。まだヤマハが音楽教室を開いていないころの話で、小学校の先生が地元の子供たちの感性を養おうという思いから、自宅で始められたマリンバと打楽器の教室がそれだった。ピアノ教室はそこそこはやり始めていた頃だったが、この先生は小学校の鼓笛隊演奏にマリンバを取り入れていた。名前を秋山先生という。実は東京オリンピックの鼓笛隊を指揮した先生で、鼓笛隊では日本でも有名な先生だった。私も小学校で先生の鼓笛隊に参加した一人だが、とにかくリズムに厳しかった。日本の子供たちのリズム感が失われたのは、軍隊が行進を始めてからだという。私は軍隊行進そのものが鼓笛隊と似ていると思っていたのですぐには先生の言葉が飲み込めなかったが、小太鼓を担当している生徒達のスティックが太鼓の上で振動して、美しいビブラート音になるときに足を上げるのがもっとも美しい行進になるらしい。タン、タカタカ、タタッター、タン、タカタカ、タタッターと両足ぶみをしながらリズムを取っていくと、確かにビブラート音が聞こえて来て足取りが軽くなるから不思議だった。そんな鼓笛隊指導から、もっと子供たちに生の音楽をといって始めた教室だった。母を始め、たくさんの保護者が毎週末先生の自宅に通っていた。
各自に好きな打楽器や、上級生にはマリンバを打たせるのであるが、そこには必ずストーリーがあった。例えば「ペルシャの市場にて」というクラシック曲がある。シルクロードをらくだで旅する小隊の動きや、市場の様子などを音楽で表現する。もちろんペルシャの市場のことは何も知らない子供たちなので、先生はそのお話から始める。面白いし、まるで知らない世界を旅しているようだと母が話していた。子供たちもピアノの練習のように通わされている、やらせれているという意識がないせいか、先生の指示に従って自分が理解した物語を楽器で表現しようとする。先生曰く、どの音も一生で一度出せるか出せないかの音だという。
この音楽教室に通っていた子供たちの多くは大人になってクリエイティブな仕事についている。感性を鍛えられた成果を仕事に活かしているから幸せである。昔日本にも感性を大切にする文化があった。ところがいつ頃からか感性をやしなったところで飯は食えないという風潮が広まり、感性より技術を鍛えよということになった。しかし技術もあるレベルに到達すると、感性なくしては先に進めない。あるボルト屋のおじさんが「感性がないとこの特別なボルトは削れない」と言っていたテレビ番組があった。
感性は幼児期に大いに発達する。劇場に連れて行ったり、美術館に行ったり、自然の中を歩いたり、時にはレストランで美味しいものを食べるのもいい。無駄なこととは考えず、この先行投資が子供の大きな未来につながることを覚えていて欲しい。

運動会と競争心

運動会と競争心

運動会の季節、どこの園でも朝からビックショーにむけての練習に余念がない。
最近の運動会は保護者へのショー的要素が強く、ショーを完成させるために保育士も園児もかなりの努力を強いられる。もちろん運動会当日、一心にダンスを踊っている我が子を見ると感激もひとしおなのだが、ここでちょっと考えたいことがある。
アメリカでは運動会と呼ばれるものがない。せいぜいキッズオリンピックといっていろいろな競争をさせる。ポテトバックレース、ウエイターレース、障害物競走、リレーなどなど、勝ち負けがはっきりしている競技が多い。したがってリハーサルなどはなく、すべて打っ付け本番だった。アジアの国で見た運動会も同じで、競争に勝つと果物やなにやらわけのわからないガラクタをいっぱいもらえて、勝った子供の家族は自慢げに賞品を見せびらかしていた。
日本も昔の運動会はもう少し肝いりだったかと思う。幼稚園児が騎馬戦をやっているところもあったし、ハードル競争をさせるところもあった。お買い物競争も出遅れると何も残っていないという現実があり、泣き出す子供を見たこともある。そういえば最近では負けて泣く子が少なくなった。悔し泣きは子供に大きな成長を与えると思うのだが。
日本の若者が草食になったとか、日本は元気が足りないと言っているが、大きくなってからたくましく、打たれ強くなれといってももう遅い。小さい頃から、勝つこと、負けることを体験させ、その中で泣いたり笑ったり、運動会もそれを実践するいい機会かと思うのだが。お遊戯もいいが、これに没頭していると日本の子供たちはだめになることだけは確かだと思う。

お月見と英語の本

お月見の季節、幼稚部でも月見団子を作って日本の美しい風習を外国人講師達と共有した。
外国ではアジアの国以外はお月見は行わないし、ましてやお月様とウサギの話などするとびっくりされる。それにおもちも存在しないから、ウサギが月で?をつく?What is that?ということになる。でもこの話の由来を説明すると、日本人の美意識と、想像力に感心する。
昨年、アメリカコロラド州から二人の女の子が10日ほどランゲージ・ハウスに泊まっていたとき、彼女達の日本での最大の目的は月を眺めながら日本酒をたしなむことだった。若い子達なのでまさか日本酒を飲ませてくださいとも言えなかったのだろう。自分たちで安酒を買い、チョコレートパンを酒の肴に、デッキにいすを持ち出し月を眺めていた。その顔はなんとも幸せそのもので、普通なら料理にしか使わないようなお酒でも、美味しいといってぐいぐいとやっていた。なんでもアメリカで月を眺めるのはキャンプの時ぐらいで、それが別に丸くても、三日月でも、月は月、人類が月面着陸していらい、月の表面はたいしてきれいでもないのがわかってしまったので、眺めていてもクレーターのイメージの方が強いのだそうだ。
さて、お月見になると子供たちに読んでやりたい本がある。Kitten’s First Full Moon by Kevin Henkens である。海外児童文学賞をとった英語の本で、挿絵は白黒だが、物語がシンプルで子供たちに解りやすい。ある晩三毛猫が空を見上げていたらミルクボールが空に浮かんでいた。美味しそうなので、下を出してなめてみたが、ミルクではなくて虫が口に飛び込んだ。三毛猫はその小さなボールが地上におりてこないかと待って、待って、待ち抜いたが、とうとう我慢できなくなって月めがけてジャンプした。ところが手応えなし。そこで自分でそのボールを捕まえようと、月をめざして野原を走り抜けていった。いくら走っても月との距離は狭まらない。そこで木に登ってみたがそれでも捕まえられない。と、木の下の行けに大きなミルク色の光、これだと思って池に飛び込みが結果は散々。あきらめて家に帰ると、キッチンには本物のミルクが用意されていた。ああ、やっぱりお家が一番。
この単純な話のなかで、子供たちが大人には理解できないようものを追いかけたり、探したりしていく様子を、三毛猫に見立ててストーリーが展開されているので、聞いている子供たちは、まるで自分と二重写しになったような気がするのかもしれない。英語も簡単な表現を使っているので、3〜4回読めば、子供たちは暗記してしまうかもしれない。
秋の夜長、子供に夜更かしは勧めないが、本はお勧めの一冊である。

東京オリンピックと英語教育

東京オリンピックの開催が決まり、日本中が沸き立っている。サーフィンに例えるならRide on!というところだろう。
このBig wave に乗って日本の英語教育も大きく変わって欲しいと思っている。先月横浜市長選のおり、林市長と会話を交わした。「市長、日本で一番英語教育水準の高い街横浜を目指してください。」「あら、小学校ではかなり改善が進んでいると思いますけど。」「市長、現場をご存じない。あれで子供たちが英語を話せるようになったら、私は逆立ちしながら横浜中を歩きます。」「では、あなたの案を持って来て下さい。」話はそこまでだったが、私は本気で市長に具体案を提出するつもりである。
1964年、東京でオリンピックが開かれたとき、私は小学生だった。ちょっとませていたので親戚のお姉さんからビートルズの歌を聞かされ、一体何を歌っているのか知りたい一心で英語に取り組んだ。小学校で英語を教えてなど全くなく、中学でI have a penというのが当時の英語事情だった。海外はあこがれの空の下、学生の間ではMade in U.S.Aがなんと言ってもブランドであった。商店の看板もほとんどが日本語で書かれている時代だったから、英語の看板を見るとワクワクした。ちなみに当時沖縄はアメリカであった。車は左側通行、看板はすべて英語の那覇の街は日本から一番近いアメリカだった。つまり、英語は自分をよその国に連れて行ってくれるツールみたいなもので、街に英語が溢れていないぶん、私たちは英語に対していつもにハングリーだった。英語を見つければ食らいついた時代である。
話を英語教育にもどす。現在小学校で行われている英語教育(とよべるとは思えないが)の現状を、少なくとも横浜市は改善し、7年先のオリンピックを目標に、英語教育改正を行うべきである。今10才の子は17才になる。立派にボランティアができる年齢である。英語のボランティアは、海外などで教育を受けた子弟たちの仕事とされていたが、このオリンピックを機会に国産を送り出すべきである。また、現在オリンピック強化選手と言われる子供たちも、選手村で外国選手と情報交換できるツールとしての英語をぜひ身につけて欲しい。
英語教育は民間の仕事とするには限度がある。また対象も限られてくる。国際都市と宣言する横浜は、行政が率先して英語教育を推進することをしなければならない。今はまだ箱の中が空っぽの国際都市横浜。オリンピックの波にうまく乗って欲しい。

外国人講師とのミーティング

ランゲージ・ハウスでは、毎月木曜日に外国人講師達とミーティングを行う。内容はオリジナルプログラムの企画から、ダンス、ミュージックトレーニングと様々だが、ちょっと変わったところとしては英語で教育勅語を理解してもらうこともある。教育勅語というと戦前の軍国主義的な教育と混同してしまう日本人も多い中、これを外国人に?ということなのだが、以外とすんなりと理解してくれる。だいたい教育勅語の中身は、親孝行しましょう、兄弟仲良くしましょう、近所の方々と助け合いましょう、年寄りの話は聞きましょうとか、日常生活の中で当たり前に行われるべき事柄が書いてある。日本が戦争に負け、アメリカから教育システムの改革を余儀なくされ、良きも悪しきも日本のオリジナル教育思想は黒く塗られてしまった。その後日本の文化を勉強せずに教壇にたった一部の教師達が、戦後の教育は100%だめ、これを少しでも入れ直したら日本はまた軍国主義になってしまうという、まるで子供が考えるような論理で教育勅語も葬られてしまった。私も小学校から大学まで教育勅語を見たことも、内容を読んだことも無かった。つい最近になって85歳になる母から、「教育事業をするなら、いやでも一度は読みなさい。」といわれ読んだところ、別にこれで軍国主義になることでもないし、逆に日本人が忘れてしまったしつけの基本がここにあるかもしれないと思った。たまたま勅語の英語版があったので、まずはランゲージ・ハウスで働く外国人講師にも、理解はしてもらえなくても、とりあえず読んでもらおうと思った。ところが、日本人以上にすんなりと理解し、またクラスでもこの基本を実践したいという外国人達の意見だった。彼らは時として日本人の子供たちが、先生と接するときにとる態度が悪いという。基本のあいさつができない、人の顔をみないであいさつする、いきなりなぐってくる、自分の物と他人の物のを区別しない、親に対してありがとうと言わない、等など、一般的にみて日本の子供たちのマナーレベルは低いという。またそれ以上に、そんな子供たちの言動に対して、何も言わない親が多いとも言う。ある外国人講師は、もし自分の母親なら完璧にお尻をたたかれているような状況であっても、日本の親たちは「だめね、本当に。」ぐらいで、こころから子供の態度や言葉を直そうとしていない、その場所のしのぎの対応だと耳の痛いことを言っている。
外国人に日本の子供のことをとやかく言われる筋合いはないと思う方もいるかと思う。ただ辛口で現実を指摘してくれる人もそうはいない世の中、一度子供との向き合い方を考える機会を夫婦でもったらどうだろうか。

英語を小学校の正式教科にする?という記事

7月27日朝日新聞の読者とつくる欄で、英語を小学校の正式教科にする?という記事があった。
小学生英語は11年度から5、6年生で週1コマになった。がしかし、正式教科ではないので成績評価もない。これを先頃、政府の教育再生実行会議がコマ数の引き上げと、開始年齢の引き下げを提言した。あくまでも提言で、具体的に何がどう実行されるのかが解らないのが行政。では小学校の英語学習現場はどうなっているのだろうか。
私も直接現場を見ている訳ではないので、ここは小学生を持つ保護者の方々からの話をまとめてみた。
○ 週1回では何にもならない。英語塾に通っている子との格差が増すだけ。
○ きちんとした年間プログラムの中で英語を教えられる教員が確保できていない。
○ 外国人は以前お客様で、国際理解クラスは直接英語学習には結びつかない。
○ ちょっと話せる子供は先生に逆ににらまれる。
など、など、あまりうれしい話は聞かない。私も以前横浜市教育委員会に体育の時間に英語を導入しませんかと持ちかけて、スポーツ課に回された。少なくとも体育の時間に英語を導入すれば、居眠りして講義を聞く生徒が減るかもしれないと思っただけなのだが。その時に感じたのは、行政の方々にとって、横浜市の小学生が英語を話せるようになろうとなかろうと大した問題ではないということだった。本当に子供たちの将来を思うのであれば、6、3、3の英語学習プランが自然とできそうなものだが、英語学習の内容は1960年代とさほど変わっていないのが現状である。(変わったと思う人はテキストブックの色彩と紙質トリックに影響されたのかもしれない。)
 今回の教育再生実行会議も、現状をしっかりと見据えて、長期プランをたてなければ、アジアで一番英語のだめな国日本が簡単に出来上がってしまう。こうなってはグローバル化に対応した教育などというにはほど遠い環境で、いつまでたっても日本人がグローバル社会の中で貧乏くじを引き続けることになる。本気になって日本の英語教育を考え、実行してくれる政治家はでてきてくれるのだろうか。
 

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