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ILH代表黒部のブログ

運動会と競争心

運動会と競争心

運動会の季節、どこの園でも朝からビックショーにむけての練習に余念がない。
最近の運動会は保護者へのショー的要素が強く、ショーを完成させるために保育士も園児もかなりの努力を強いられる。もちろん運動会当日、一心にダンスを踊っている我が子を見ると感激もひとしおなのだが、ここでちょっと考えたいことがある。
アメリカでは運動会と呼ばれるものがない。せいぜいキッズオリンピックといっていろいろな競争をさせる。ポテトバックレース、ウエイターレース、障害物競走、リレーなどなど、勝ち負けがはっきりしている競技が多い。したがってリハーサルなどはなく、すべて打っ付け本番だった。アジアの国で見た運動会も同じで、競争に勝つと果物やなにやらわけのわからないガラクタをいっぱいもらえて、勝った子供の家族は自慢げに賞品を見せびらかしていた。
日本も昔の運動会はもう少し肝いりだったかと思う。幼稚園児が騎馬戦をやっているところもあったし、ハードル競争をさせるところもあった。お買い物競争も出遅れると何も残っていないという現実があり、泣き出す子供を見たこともある。そういえば最近では負けて泣く子が少なくなった。悔し泣きは子供に大きな成長を与えると思うのだが。
日本の若者が草食になったとか、日本は元気が足りないと言っているが、大きくなってからたくましく、打たれ強くなれといってももう遅い。小さい頃から、勝つこと、負けることを体験させ、その中で泣いたり笑ったり、運動会もそれを実践するいい機会かと思うのだが。お遊戯もいいが、これに没頭していると日本の子供たちはだめになることだけは確かだと思う。

お月見と英語の本

お月見の季節、幼稚部でも月見団子を作って日本の美しい風習を外国人講師達と共有した。
外国ではアジアの国以外はお月見は行わないし、ましてやお月様とウサギの話などするとびっくりされる。それにおもちも存在しないから、ウサギが月で?をつく?What is that?ということになる。でもこの話の由来を説明すると、日本人の美意識と、想像力に感心する。
昨年、アメリカコロラド州から二人の女の子が10日ほどランゲージ・ハウスに泊まっていたとき、彼女達の日本での最大の目的は月を眺めながら日本酒をたしなむことだった。若い子達なのでまさか日本酒を飲ませてくださいとも言えなかったのだろう。自分たちで安酒を買い、チョコレートパンを酒の肴に、デッキにいすを持ち出し月を眺めていた。その顔はなんとも幸せそのもので、普通なら料理にしか使わないようなお酒でも、美味しいといってぐいぐいとやっていた。なんでもアメリカで月を眺めるのはキャンプの時ぐらいで、それが別に丸くても、三日月でも、月は月、人類が月面着陸していらい、月の表面はたいしてきれいでもないのがわかってしまったので、眺めていてもクレーターのイメージの方が強いのだそうだ。
さて、お月見になると子供たちに読んでやりたい本がある。Kitten’s First Full Moon by Kevin Henkens である。海外児童文学賞をとった英語の本で、挿絵は白黒だが、物語がシンプルで子供たちに解りやすい。ある晩三毛猫が空を見上げていたらミルクボールが空に浮かんでいた。美味しそうなので、下を出してなめてみたが、ミルクではなくて虫が口に飛び込んだ。三毛猫はその小さなボールが地上におりてこないかと待って、待って、待ち抜いたが、とうとう我慢できなくなって月めがけてジャンプした。ところが手応えなし。そこで自分でそのボールを捕まえようと、月をめざして野原を走り抜けていった。いくら走っても月との距離は狭まらない。そこで木に登ってみたがそれでも捕まえられない。と、木の下の行けに大きなミルク色の光、これだと思って池に飛び込みが結果は散々。あきらめて家に帰ると、キッチンには本物のミルクが用意されていた。ああ、やっぱりお家が一番。
この単純な話のなかで、子供たちが大人には理解できないようものを追いかけたり、探したりしていく様子を、三毛猫に見立ててストーリーが展開されているので、聞いている子供たちは、まるで自分と二重写しになったような気がするのかもしれない。英語も簡単な表現を使っているので、3〜4回読めば、子供たちは暗記してしまうかもしれない。
秋の夜長、子供に夜更かしは勧めないが、本はお勧めの一冊である。

東京オリンピックと英語教育

東京オリンピックの開催が決まり、日本中が沸き立っている。サーフィンに例えるならRide on!というところだろう。
このBig wave に乗って日本の英語教育も大きく変わって欲しいと思っている。先月横浜市長選のおり、林市長と会話を交わした。「市長、日本で一番英語教育水準の高い街横浜を目指してください。」「あら、小学校ではかなり改善が進んでいると思いますけど。」「市長、現場をご存じない。あれで子供たちが英語を話せるようになったら、私は逆立ちしながら横浜中を歩きます。」「では、あなたの案を持って来て下さい。」話はそこまでだったが、私は本気で市長に具体案を提出するつもりである。
1964年、東京でオリンピックが開かれたとき、私は小学生だった。ちょっとませていたので親戚のお姉さんからビートルズの歌を聞かされ、一体何を歌っているのか知りたい一心で英語に取り組んだ。小学校で英語を教えてなど全くなく、中学でI have a penというのが当時の英語事情だった。海外はあこがれの空の下、学生の間ではMade in U.S.Aがなんと言ってもブランドであった。商店の看板もほとんどが日本語で書かれている時代だったから、英語の看板を見るとワクワクした。ちなみに当時沖縄はアメリカであった。車は左側通行、看板はすべて英語の那覇の街は日本から一番近いアメリカだった。つまり、英語は自分をよその国に連れて行ってくれるツールみたいなもので、街に英語が溢れていないぶん、私たちは英語に対していつもにハングリーだった。英語を見つければ食らいついた時代である。
話を英語教育にもどす。現在小学校で行われている英語教育(とよべるとは思えないが)の現状を、少なくとも横浜市は改善し、7年先のオリンピックを目標に、英語教育改正を行うべきである。今10才の子は17才になる。立派にボランティアができる年齢である。英語のボランティアは、海外などで教育を受けた子弟たちの仕事とされていたが、このオリンピックを機会に国産を送り出すべきである。また、現在オリンピック強化選手と言われる子供たちも、選手村で外国選手と情報交換できるツールとしての英語をぜひ身につけて欲しい。
英語教育は民間の仕事とするには限度がある。また対象も限られてくる。国際都市と宣言する横浜は、行政が率先して英語教育を推進することをしなければならない。今はまだ箱の中が空っぽの国際都市横浜。オリンピックの波にうまく乗って欲しい。

外国人講師とのミーティング

ランゲージ・ハウスでは、毎月木曜日に外国人講師達とミーティングを行う。内容はオリジナルプログラムの企画から、ダンス、ミュージックトレーニングと様々だが、ちょっと変わったところとしては英語で教育勅語を理解してもらうこともある。教育勅語というと戦前の軍国主義的な教育と混同してしまう日本人も多い中、これを外国人に?ということなのだが、以外とすんなりと理解してくれる。だいたい教育勅語の中身は、親孝行しましょう、兄弟仲良くしましょう、近所の方々と助け合いましょう、年寄りの話は聞きましょうとか、日常生活の中で当たり前に行われるべき事柄が書いてある。日本が戦争に負け、アメリカから教育システムの改革を余儀なくされ、良きも悪しきも日本のオリジナル教育思想は黒く塗られてしまった。その後日本の文化を勉強せずに教壇にたった一部の教師達が、戦後の教育は100%だめ、これを少しでも入れ直したら日本はまた軍国主義になってしまうという、まるで子供が考えるような論理で教育勅語も葬られてしまった。私も小学校から大学まで教育勅語を見たことも、内容を読んだことも無かった。つい最近になって85歳になる母から、「教育事業をするなら、いやでも一度は読みなさい。」といわれ読んだところ、別にこれで軍国主義になることでもないし、逆に日本人が忘れてしまったしつけの基本がここにあるかもしれないと思った。たまたま勅語の英語版があったので、まずはランゲージ・ハウスで働く外国人講師にも、理解はしてもらえなくても、とりあえず読んでもらおうと思った。ところが、日本人以上にすんなりと理解し、またクラスでもこの基本を実践したいという外国人達の意見だった。彼らは時として日本人の子供たちが、先生と接するときにとる態度が悪いという。基本のあいさつができない、人の顔をみないであいさつする、いきなりなぐってくる、自分の物と他人の物のを区別しない、親に対してありがとうと言わない、等など、一般的にみて日本の子供たちのマナーレベルは低いという。またそれ以上に、そんな子供たちの言動に対して、何も言わない親が多いとも言う。ある外国人講師は、もし自分の母親なら完璧にお尻をたたかれているような状況であっても、日本の親たちは「だめね、本当に。」ぐらいで、こころから子供の態度や言葉を直そうとしていない、その場所のしのぎの対応だと耳の痛いことを言っている。
外国人に日本の子供のことをとやかく言われる筋合いはないと思う方もいるかと思う。ただ辛口で現実を指摘してくれる人もそうはいない世の中、一度子供との向き合い方を考える機会を夫婦でもったらどうだろうか。

英語を小学校の正式教科にする?という記事

7月27日朝日新聞の読者とつくる欄で、英語を小学校の正式教科にする?という記事があった。
小学生英語は11年度から5、6年生で週1コマになった。がしかし、正式教科ではないので成績評価もない。これを先頃、政府の教育再生実行会議がコマ数の引き上げと、開始年齢の引き下げを提言した。あくまでも提言で、具体的に何がどう実行されるのかが解らないのが行政。では小学校の英語学習現場はどうなっているのだろうか。
私も直接現場を見ている訳ではないので、ここは小学生を持つ保護者の方々からの話をまとめてみた。
○ 週1回では何にもならない。英語塾に通っている子との格差が増すだけ。
○ きちんとした年間プログラムの中で英語を教えられる教員が確保できていない。
○ 外国人は以前お客様で、国際理解クラスは直接英語学習には結びつかない。
○ ちょっと話せる子供は先生に逆ににらまれる。
など、など、あまりうれしい話は聞かない。私も以前横浜市教育委員会に体育の時間に英語を導入しませんかと持ちかけて、スポーツ課に回された。少なくとも体育の時間に英語を導入すれば、居眠りして講義を聞く生徒が減るかもしれないと思っただけなのだが。その時に感じたのは、行政の方々にとって、横浜市の小学生が英語を話せるようになろうとなかろうと大した問題ではないということだった。本当に子供たちの将来を思うのであれば、6、3、3の英語学習プランが自然とできそうなものだが、英語学習の内容は1960年代とさほど変わっていないのが現状である。(変わったと思う人はテキストブックの色彩と紙質トリックに影響されたのかもしれない。)
 今回の教育再生実行会議も、現状をしっかりと見据えて、長期プランをたてなければ、アジアで一番英語のだめな国日本が簡単に出来上がってしまう。こうなってはグローバル化に対応した教育などというにはほど遠い環境で、いつまでたっても日本人がグローバル社会の中で貧乏くじを引き続けることになる。本気になって日本の英語教育を考え、実行してくれる政治家はでてきてくれるのだろうか。
 

スタンリーのお弁当箱

と言っても、幼稚部にスタンリー君がいるわけではない、映画の話である。インドでは未だに5,000万人の若年労働者がいると言われている。その現実をお弁当箱を通して社会批判している映画が東京で上映されている。この映画を撮影するにあたって、キャストの子供達は一日も学校を休むこと無く、成績も落とすこと無く、また多くの保護者からの協力のもとで製作された社会性のある映画である。
 スタンリーはムンバイにあるキリスト教の学校に通う小学生。子供たちは比較的裕福な家庭から来ている中、スタンリーは事故で両親を亡くし、レストランを経営している叔父のところで生活している。叔父はスタンリーを食い減らしとしてあつかい、店の裏方の仕事をさせ、寝床は調理台の上に布団を敷いただけのひどい環境の中にスタンリーを置いている。でもスタンリーには天性の明るさと子供らしい素直さがあり、クラスの人気者として、また学習の面でも優秀な生徒として先生達からも注目されている。ただ一人の教師がスタンリーを目の敵にしている。この学校はキリストの教えに基づいて、昼のお弁当を誰にでも分け与える。その中で一人だけお弁当を持参しない教師がいる。またスタンリーもお弁当を持参しない、というか持参できない一人で、いつもクラスメイトからお弁当を分けてもらっている。教師はこれが気に食わない。クラスには金持ちの子弟がいて、いつもフルコースのお弁当を持参する。教師はそのお弁当を頂くのが人生最高の楽しみとばかりに、お昼時間になると子供達の前に表れては、そのほとんどを平らげる。ところがある日教師がお昼時間に送れてくると、そのフルコースはすべて食べられていた。教師はスタンリーがお弁当を持参していないことを知っているので、人の食い物を盗み食いする最低な人間としてスタンリーをなじる。子供達は教師には逆らえないので黙っているが、次の日から場所を移動しながら、教師にお弁当を取られないような作戦に出る。でもある日とうとう居場所を発見され、スタンリーは教師からお弁当を持参できない限り学校には来るなと言われる。スタンリーは友達に両親は今デリーに出張しているのでお弁当が作れないとうそをつくが、本当は彼のお弁当を作ってくれる親はいない。スタンリーに同情を寄せているレストランの料理人は、その日にあまった料理をお弁当箱につめ、冷蔵庫に隠してスタンリーが朝、こっそりそれを学校に持っていけるようにする。スタンリーはそれを学校に持っていくと、僕のママが作ったといって自慢げにクラスメイトや先生に振る舞う。スタンリーを追い出した教師は、子供達が校長に真実を告げたことで首になり学校を去っていく。
 映画はインドのミッションスクールの日常を淡々と映し出し、同時に、お弁当を通してインド社会の不合理を鮮明に描き出している。日本の幼稚園では、いわゆるキャラ弁とよばれる、まるで絵に描いたような美しくかわいいお弁当が主流になっているが、この映画に出てくるお弁当の中身は、一切れのサンドイッチ、バナナフライ、パン二切れ、ビスケット、豆のカレー、フライドライスと本当に質素でシンプルなものばかり、でもどれも美味しそうで、それを食べる子供達の顔はどれも輝いている。しかし、インドにはスタンリーのようにお弁当を持ってこられない子供達はたくさんいる。スタンリーは学校に通えているのでまだ恵まれている。学校にも行けずお昼も食べられず過酷な労働を強いられる若年労働者の実態は想像を絶するものがあると思う。ここで少し考えたいのは、日本のお弁当。スーパーではお弁当専用のあらゆる冷凍食品があり、それを引き立てるお飾りものも反乱している。ママ達は毎朝子供達のためと一生懸命お弁当作りに励む訳だが、時として、見栄え優先で味がおろそかになってはいないか、作る義務優先で愛情がおろそかになっていないかと考えることもある。愛情とは、美しいお弁当を作ることも一つだが、昨晩の残り物を入れて一言「これ昨日のおかずだけど残すともったいないから最後まで食べようね、」と教える愛情のことである。インドのお弁当映画から教えられた
子供が一生忘れることの無い本当のお弁当とは、考えてみたい。

グローバルということ、そして子供たち

私の子供たちが通っていた幼稚園はNYCにある民間経営のところで、3歳児〜5歳児まで、各クラス15名ほどの小規模な園だった。今年からこの園とランゲージ・ハウスとは国際園児文化交流を始めている。将来的にはお互いの保育士さんの交流を考えているが、アメリカの雇用条件と日本のとではかなり違うので、実現するにはいくつかのハードルを超える必要がある。ただ園児同士の文化交流は現実化していて、この7月にランゲージ・ハウスの園児が製作した、七夕アートを送る。
さて、このNYの園、園児の60%は英語を母国語としない国から来ている。また保育士も、私の覚えている限りでは、アフリカ人、ベルギー人、フィンランド人など、若干その国のアクセントが英語に反映されるようなこともあるほどの国際色豊かな人材が集まっていた。ただそれぞれの国で保育士としての経験を積んでいる人たちなので、いったん保育に入るといわゆる保育のつぼをしっかり心得ている保育の達人ばかりだった。また異なる文化的な背景から、園児達は日常でも世界のあらゆる文化に触れることができ、毎月かならずどこかの国のお祭りや、宗教行事までも客観的に紹介していた。
NYに出張に行くと、それぞれに成長し、各区分野で活躍している卒園児達とあって話すこともあるが、園で学んだり、経験したりしたことが社会人になっても生きているという話を聞くと、いかに幼児期に受けた影響が、後々まで子供たちの社会生活に影響するかということである。アフリカ人の先生があるとき民族衣装で現れ、英語ではなくスワヒリ語でおはようと声かけしたり、ベルギー人の先生がフランス語の歌を教えたり、フィンランド人の先生はフィンランド体操を教えたりしたそのことが、異文化を受け入れ理解する力につながり、言葉を超えて子供達が成長する環境を作っていたのだと考える。アップル社に勤務している卒園児の一人がこんなことを言っていた。「うちの会社にはハーバード大学から来た奴が掃いて捨てるほどいるけど、アメリカで生まれ育って、アメリカから出たことも無く、ハンバーガーが世界で一番うまい物だと言いながら、それ以外のものは卑しいものだと信じているようなやつは、ほとんどが入社1年で首になるか、辞めていく。グローバルなものを作るには、まず相手を理解し受け入れること、でもこれを大人になってからやれって言われても無理かもしれない。グローバルな環境で育ったやつは自分がここでどう泳いでいくかをちゃんと知っているよ。」
日本でもグローバルという言葉はよく使われるが、この意味を国際的とか、海外とかで関連づける人が多い。これが日本をグローバル教育後進国にしている最大の問題かもしれない。

「海賊と呼ばれた男」の時代と英語教育

2013年度の本屋大賞で1位になった百田尚樹著書「海賊と呼ばれた男」が売れている。日本の石油ビジネスのパイオニアとして時代を生き抜いた主人公と、その会社(本書では国岡商店となっている)が、敗戦後、日本の石油エネルギーを押さえ込もうとした巨大国際石油資本と戦い、日本の経済再生に向けて頑張った男達の、実話に基づく話である。
舞台は昭和22年から28年、対戦に破れた日本はアメリカのGHQによってすべてが統制されていた時代である。この時代、日本人は敗戦痛手から立ち直れないなか、国の舵取りはすべてGHQにゆだねられていたと言っても過言ではない。石油市場も資本力を持たない日本の石油会社と、アメリカの大手石油会社が提携することで、将来、日本の石油市場は外資が支配する設計図が描かれていた。そんな中、国岡商店の代表以下、社員が一丸となって外資の日本市場乗っ取りに立ち向かう。本書の中では、英語で外国人と交渉する場面がいくつも出てくるが、この交渉をなんとか成功させたい、相手に日本の現状と将来のあり方を伝えたい、なんとか理解してほしいという思いがストーリーの中からとても良く伝わってくる。昭和22年頃は英会話学校と言えば、それこそGHQにコネを作るしかなく、それぞれ必死の思いでGHQの外国人達に食いついて覚えた英語は、今私たちが「英会話」と呼んでいる物に比べるとずっと比重が重いものに思えてならない。まさに生きるための「英会話」だったのだろう。戦後60年以上たった今、本来なら日本人はもっと英会話ができて当然なのだが現状はどうだろう。英会話学校も英語教材も街に溢れているが、豊かになったのは日本人の英会話ではなく、学習を売る人々だはないだろうか。戦時中に日本は敵国の言語英語をシャットアウトした。戦争に負けて日本語の一部を捨てた。今私たちは日本の将来に向けてどんな選択をしなければならないのか、特に子供を持つ親には真剣に考えてもらいたい課題である。

ロサンゼルスの幼稚園

5月末から6月始めにかけてロサンゼルスの幼稚園を視察した。今後ランゲージ・ハウスが海外から外国人保育士を受け入れるという計画があり、その一つとしてタイプの異なった幼稚園を訪問した。アメリカでは、日本でいう年少、年中を受けいれるPreschoolと、年長から7歳ぐらいでを受け入れるKindergartenに分けられる。日本と同じように公立と私立があるが、私立幼稚園の月謝は日本に比べるとかなり高い。人件費は日本とさほど変わらないが、園がかけなけらばいけない保険が高く、またもろもろの税金も高いというのが理由らしい。そこで私立の幼稚園は延長保育のモーニング版を取り入れているところが多く、朝7:00から夕方18:00までという、日本の保育園のようなサービスをしている。ただし有料である。
 アメリカの幼稚園に入るとアメリカを感じる。まるで1週間かたづけていない子供部屋みたいな部屋で、子供たちが思い思いに遊んでいる。保育士もアート感覚の鋭いのが多いようで、自転車の車輪を利用したシャンデリア、木の枝を利用したアートスペース、ヒッピーが着ているような布を木につけてファンタジー感覚いっぱいの屋外空間など、私も一日ぐらいこんな空間で遊びたいと思うような工夫がそこかしこに見られる。日本の幼稚園に比べて時間がもっとたくさんあってゆっくり流れている、そこに子供たちと保育士が生活しているという表現が一番近いだろうか。
 学習面では、子供たちの感性を育むプログラムに多くの時間が取られているが、『本を読む」習慣を育む時間はどの園でも重要とされている。まずは本を自分の手にとってみる、本をさわってみる、開いてみる、見てみる、何が書いてあるのか保育士に聞いてみるといった、自発的に本に親しんでいく試みがなされている。私がニューヨークで子育てをしていたころも本や読書にかかわるいろいろなイベントがたくさんあった。学校が出版元とジョイントし、新刊発表会を学校で行い、保護者が本を購入し、それを学校の図書室に寄付するといったことはかなり一般的に行われていた。また幼いころから図書館で本を借りるシステムを学習し、買う前に図書館を利用する習慣をつけるといったこともよく行われていた。
 この週末、家族で図書館でまったりと過ごすのも梅雨時の素敵なファミリータイムになるかもしれない。

幼児英語 3

さて、具体的に幼児英語にどのように取り組んだらいいのだろうか。ちまたにはあらゆる種類の幼児英語教材が溢れているが、どれを買っても「うちの子供が英語を話せるようになった。」という話は聞かない。それどころか、どれを買っても1ヶ月で部屋の隅に押しやられたという話の方が多い。親というのは不思議なもので、英語教材の色が華やかで、イラストがかわいかったりすると、なんとなくこれで英語を覚えるようになるんじゃないかしらと?という錯覚に陥る。現に私も子育て中は、そんなカラフルな商品につれられてどれほど無駄使いをしただろうか。ところが子供たちの通っていた幼稚園では、そんなカラフルで素敵な教材など一つもなく、教室で目についたのは、簡単な遊び用具とたくさんの本だった。学習は本で始まり、本で終わるという人もいる。英語教材もしかりで、シンプルな英語本がなによりも効果的な教材となることを意識してほしい。
 お家でできる具体的で簡単な幼児英語学習方法は、なによりも『本」である。出産して間もないベイビーとテレビを見て時間を過ごすより、ママは本を開く習慣をつけることを勧める。もちろん生まれたてのベイビーに本など読めるはずは無いが、ママのゆったりと本と接する時間をベイビーはちゃんと感じることができる。ベイビーを抱いてショッピングに翻弄するのと、ゆっくりとお家で本を開くのと、どうちらが優雅な時間を捉えているのかは個人の判断だが、ベイビーとの読書時間ほど人生で優雅な時間はないと私は思っている。2歳ぐらいからは、簡単な英語の絵本がいいかもしれない。
それを何度も開いては、ママやパパがゆっくりと読んで聞かせる。発音はどは気にしなくていい。しばらくすると子供の口から英語が飛び出すはずである。3歳になったら、もう少しストリー性のある本を選択する。それとそれぞれの子供の興味も違ってくるので、できれば一緒に本屋で英語の本を選んでみるのもいいかもしれない。これも同じく、2〜3ヶ月かかって何度も何度も繰り返し繰り返し読み続ける。ストリー性のある本は、ママやパパの英会話にも効果があるの。幼児英語の基礎はお家での親子の取り組みがモノを言う。さて、ここまでをどのくらいのママやパパが実践できるか。まずはやってみることです!

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