• お問合せ
  • facebook
  • twitter
  • youtube
  • entry
ILH代表黒部のブログ

ランゲージ・ハウス幼稚部のプリンシパル その?

コミュニケーション力

先日あるテレビ番組で、2020年から本格的に導入される公立小学校での英語教育に関してネガティブな意見が交わされていた。日本語もままならない子供達に英語を教えても意味がない、外国人講師は道徳を無視して言葉だけ教える、日本人教師の負担が益々増える、英語よりも数学を教えたほうがいいなどと
考えられる限りの英語教育デメリットを論じていた。私はそんな番組を見ながら、一部の日本人が英語に抱く意識は戦時中と変わっていないのではないかと不安になった。島国ジャパンの弱さは海の外の現実を見ようとせずに、守りとその排除だけを考える。アメリカは戦時中により多くの兵士に日本語を学ばせて敵を知ることで戦略を練り勝利した。同じように、将来日本人が生き延びていくには、コミュニケーションツールとしての英語を最大限に活用し、時には武器として、時には自己をPRするツールとして、英語を第二の言葉とすることが必然となる社会に適応することだと考える。コミュニケーション力は幼児期に育むことによって一生揺るがないものとなると思う。それを育む環境はバイリンガルの方がいい。3ヶ国語の環境でも子供は順応する現実を海外で見ている。コミュニケーション力は適応能力と深く関係しているので子供たちがあらゆる人種とのコミュニケーションに適応できる柔軟性が、語学力そのものを伸ばす要因にもなる。私がニューヨークに住んでいたころ、毎週のようにホームパティーをしては呼んだり呼ばれたりしていた。必然子供たちもゲストに挨拶したり、時には一緒に遊んでもらったりという中で世界中の人たちと違和感なくコミュニェーションできる能力が育まれたと思っている。そして今、それは仕事のあらゆる場面でプラスに働いている。今考えると時には外国人との付き合いが面倒なこともあったが、ニューヨークで楽しく生きるためには、あえて家族をグローバな環境に置くことで道がひらけたと思っている。
 さて、ランゲージ・ハウスの幼稚部でどのようにコミュニケーション力を育むのかと言うと、二つの学習に分けられる。一つは毎日行われるアカデミックな英語学習、もう一つは生活の中で行われるバイリンガルな環境順応学習である。英語学習に幼児が集中できるのはマックスで30分、年少ならば20分である。短時間学習を毎日行い、英語の基本を身につける。環境学習は前回紹介したLEADER BOARDに基づき、園内に12種類のタスクを設定し、それぞれのタスクに外国人、または日本人保育士がつくことによって園児たちの言葉は使い分けられる。これを3年間継続した成果が「コミュニケーションツールとしての英語」を自分のものにできるというランゲージ・ハウスのプロンシパルにつながる。開園して6年目に入るが、今大きな手応えを感じている。

ランゲージ・ハウス幼稚部のプリンシパル その1

ランゲージ・ハウス幼稚部のプリンシパル その1

ランゲージ・ハウス幼稚部には3つの主軸がある。自分力、コムニケーション力としての語学、日本人力である。まず自分力から説明する。バイリンガル教育を実践している園では、日本語と英語の環境の中で自分力をつけることを目標としている。これは日本人保育士と外国人講師が交互にしつけをすればいいというものではなく、しっかりとしたシステムの中で、子供達は自然とバイリンガルの力がつくようでなければならない。なぜなら幼児期という脳の発育がめざましい時期には遊びも大切である。遊びの中で多くのことを体験し、それを自分の糧としていく。バイリンガル教育のシステムは学習している時だけではなく、遊んでいる時や、集団生活をしている中でも機能しなくてはならない。
 そのシステムを説明する。ランゲージ・ハウス幼稚部ではLEADER BOARDという12種類の仕事が園児たちに割り振られている。配置は縦割りで行う。年長と年少、あるいは年中と年少、そして日本人保育士と外国人講師がそれぞれのタスクを管理する。例えばお魚の餌やり、トイレの掃除、ライブラリーの整理、ラジオ体操のリーダー、お砂場の片付け、プラントの水やりなど、園児たちが無理なくタスクを追行できるような仕事を選んである。園児はタスクを管理している先生がどの言語を話すかで、使う言葉を切り替える。例えばお魚の餌やりの管理担当が外国人であれば、Can I feed fish? 日本人であれば「お魚に餌をやってもいい?」となる。これが1〜2週間のルーティーンで仕事とパートナーが変わる。Morning routineも自分力開発の大切な時間である。園児たちは自分のユニフォームをハンガーにかけ、靴を揃えてボックスに入れ、自分の名前をボードに記入し、外国人講師と日本人保育士にそれぞれの言葉で朝の挨拶をする。
 もう一つはSHOW AND TELLというプログラムである。これは自分が大切にしているものや、自慢したいものを友達の前で説明する。ただし英語である。
園児たちは自分が相手にわかってもらいたいことを一生懸命説明しようとするその意識が自分力につながっていく。
 自分力はなんでもかんでも自分でやるということではない。時には友達や先生に助けられ、失敗し、できない!とヤッケぱちになりながらも、少しづつ自分でできることを増やしていくプログラムでもある。それが将来大きな自分力として、生きる力となる。

グローバル化の進展の中での英語力の重要性

以下は平成26年に文科省有識者会議で審議された、 グローバル化の進展の中での英語力の重要性である。
国民一人一人にとって、異文化理解や異文化コミュニケーションは益々重要になる。英語力の向上は日本の将来に不可欠であり、日本がアジアの中で英語力のトップクラスを目指す。
東京オリンピックを迎える2020年はもとより、学校で学ぶ全児童が卒業後に社会で活躍するであろう2050年頃には、我が国には多文化、多言語、他民族の人達が協調、競争する社会となる。
さて、以上のような文科省からの指針を受けて、2020年から小学3年生から英語は必修、5年生からは教科科目となる。必修はその学習内容を各学校独自に決めることができるが、教科となると文科省認定を受けた英語テキスト導入され成績がつけられる。
ただもっと重要なのは、その先にある中学、高校、大学入試試験での英語力のあり方が、上記した文科省の指針によって変わってくることである。具体的には2020年からセンター試験で英語が大幅に変わる。今までのようなYES,NO形式で必要だった細かい知識より、全体を読んで概要を掴む出題が増える。東大を例にとると、四分の一がリスニング、四分の三が長文読解力で、その長文が驚くほど長いといわれている。また受験英語と実用英語の差がなくなり、リスニング、スピーキングはもとより、英語に対する強い興味が勝敗を決めるといっても過言では無い。
実は韓国では1997年から英語の必修化が始まり、受験英語イコール実用英語を具体的に実践した結果、若者の英語力の伸びはアジアの中でもずば抜けている。
小学校英語の話に戻る。今後私立中学では英語のできる子を積極的に入学させたいという情報がある。何故なら英語に強い子が、次のステップである高校、大学受験に勝利しやすいという青写真をみているからである。ただここでいう英語に強いというのは、英語ができるということではなく、自分にとって英語は大切だという意識を持って学習に取り組める子である。
ランゲージ・ハウスでの生活そのものが、英語に対する意識を高めることにフォーカスしているが、小学校入学しても環境や意識の中に英語をしっかりと位置付けるのは親の役目と考える。
具体的な方法として、1日30分親子で本を読む時間をつくる。簡単な英語の本で十分なので、何度も繰り返し読む。英語絵日記を作る。子供に絵を描かせ説明させ、親が英語の説明、あるいは関連する単語を入れる。それを一緒に読む。PCで英語のゲーム、特に単語なゲームなど楽しめるものを選択する。英語の映画を字幕なしで鑑賞する。以上簡単なことだが、忙しい保護者の方には塾の方がよっぽど助かるとおもわれるかもしれない、がしかし、この方法は塾よりも何倍もの効果があり、お金もかからない。そして何より親子の絆が深まる方法である。

アメリカの大統領選と「グローバル」の意味。

アメリカの大統領選と「グローバル」の意味。

アメリカではトランプ氏とヒラリー氏の熱い選挙戦が繰り広げられている。すでに戦いは勝ち負け本位の相手を罵るゲームへと移行しているようにも思います。アメリカ国人はそんなショーを楽しんでさえいるようです。
ところで、先日の日経新聞に「アメリカは反グローバル化に向かう」と言った記事があったので取り上げてみたくなった。ランゲージ・ハウス幼稚部でもグローバル社会に強い子供達を育てるというコンセプトを大切にしている。ところがこの新聞記事を鵜呑みにすると、グローバル化は今後衰退するのではないか、イギリスもEU離脱を決めグローバル化とは反対の方向に進んでいるのではないかというようにグローバル化の将来を疑問視し、ならば今英語はやらなくてもというような考えになってしまう。しかしこれは非常に危険なことで、結果日本は完全に世界から置いてきぼりにされると危惧しています。
そもそもグローバル化をわかりやすく説明すると、国と国との隔たりや障壁が小さくなり、人や物の動きが活発になることで、経済活動、ひいては人々の生活を活性化することです。グローバル化は政治経済だけでなく、文化など人間生活におけるあらゆる側面で影響をうけることになります。もちろんポジティブな効果ばかりでなく、ネガティブな影響もありますが、どう考えてもても一度グローバル化した世界が大きく後退することはないように思います。
では、なぜアメリカが反グローバル化に向かっているのか、いえいえ、向かってなどいません。日本のメディアは両候補がTTPに断固反対している側面だけを取り上げていますが、アメリカのメディアはそのような捉え方はしていません。
なぜならアメリカ国そのものがグローバルな国なのですから、そんな国がグローバルに逆行したら国そのものが潰れてしまいます。日本の新聞ももっとアメリカの国を考察してから記事を書いてほしいと思います。
日本は多くの技術でグローバルな社会に貢献しています。しかし交渉の段階で多くの損もしています。なぜならば自分の言葉で交渉することができないからです。例えば特別な部品を作っている会社の社長が商品を売るために海外の企業と交渉を始めたとします。通訳は社長さんの言葉をそのまま訳しますが、社長さんの情熱や理念は伝わりません。これが伝わればもっと有利な交渉ができるのです。私も日本企業の海外事業部で仕事をしていましたが、社長の熱い思いを相手に伝えることの難しさを何度も経験しました。
これからの子供達にグローバル社会のパスポートを与えるには、打たれ強さとぶれない自分力、そしてコミュニケーションツールとしての英語です。このツールの基本は幼児期です。英語のコミュニケーションをどのようにとったらいいのかは感性の発育期である幼児期です。英語は話せるだけ、書けるだけ、読めるだけでは使えません。その時々の状況にあったコミュニケーションを取れる能力、これがこれからの英語に求められます。
グローバル化に逆行したらスマホは私たちには手の出ないほどの高額なものになります。いろいろな国の技術が結集してユーザーが購入しやすいものになっています。スマホもこれからもっと変化していくでしょう。ラインなどのSNSも進化していきます。これを作る人、使う人、売る人、買う人は今の子供達です。グローバル化はもっと進化します。これに食うか食われるかは本人の人間性です。ランゲージ・ハウスに携わった子供達は100年先も力強く生き残るそんな
現実は必ずくると信じています。

黒部さん家の教育回顧録

黒部さん家の教育回顧録 2016・9・14

久々に回顧録を再開する。
前回はニューヨークにある進学校ホーレスマンスクールの話を始めた。国連学校に通っていた長女の転校にチャレンジしたのは、日本人教育ママが、どうせ高いお金を払うのならそれを取り返すぐらい教育水準の高い学校に転校させろという一言で決めた。と言っても編入試験がある。また現在通っている学校の成績も反映する。通っていた国連学校での成績は悪くはなかったが、体験クラスに参加し、生徒達の英語力の違いに唖然とした。ただその時は親の私が無我夢中で、とにかく転入させたいという強い思いでいっぱいだった。そんな思いが通じたのか、娘は補欠30番目だったが、しつこいほど毎日電話をかけなんとか難関を突破した。この詳細は下記に書く。
Horace Mann schoolは1887年の創立で、幼稚園から高校まで一貫した教育システムがある。ホーレスマン幼稚園とランゲージハウス幼稚部とは、現在園児の文化交流を行っている。場所はブロンクスにあってマンハッタンからは地下鉄で20分ぐらいかかる。私が最初にホーレスマンを見学したのは雪の降る寒い冬だった。地下鉄の駅周辺は殺風景で、学校まで10分ほどの坂道には何もない。学校は22000坪ほどの敷地に小学校から高校までの施設と、だだっ広いグランドがある。私が最初に訪問したのはadmissionと呼ばれる編入受付事務所。ここでは編入受付が随時行われていた。なぜならこの学校、授業やテストの厳しさから落第も尋常な数ではなく、学校も将来性のある生徒を確保するのに忙しい。しかし通常の入試試験は50倍の競争率なので、私の娘のように編入を狙ってくる人数も尋常ではない。ホーレスマンに入れればバーバードも夢ではないという親たちがたくさんいるのがニューヨークである。実際卒業生の3割はハーバードに入る。
娘はクラスを体験したあとエッセーを書かされ、面接を受けた。合否は後日ということだったが、一週間たってもなんの連絡もなかった。せめてYESかNOだけでも分かれば気持ち的にもすっきりする。がしかし10日たっても連絡がない。しびれを切らした私は電話をした。答えは補欠だから待てという。どのくらいの確率で入れるのかという質問には” Sorry, we don’t know”という返事。それじゃあ後どのくらい待てばいいのかも” Sorry we don’t know”だった。私はこの学校を勧めてくれた友人に相談したところ、娘の営業マンであれと言われた。つまり商品を売り込むためには毎日、相手がしつこいと思うほどに電話を入れろということだった。私はこの忠告を真面目に受け止め、その日から毎日午後2時を見計らってAdmissionに電話をした。相手側は毎日Sorry we do not know yetの連続でこちらもへこたれそうになったが、諦めてはいられない。私の中には娘をホーレスマンに入れるという方程式しかなかった。2月27日の午後再度電話を入れた。” Hi this is Tara’s mother, I would like to ask my big request”  ”What is your request?” と学校側。 ”if you could kindly give my daughter a present on her birthday, it is actually today” と私、続けて” please give her a chance to study at your school”と聞いた。Admissionnoの担当者はしばらく無言であったが、Waitといって電話を置くと、しばらくして ”Your daughter is in”という返事であった。信じられないような、しかしこの瞬間を待っていた現実との間でYES!と自分に呟いた。

ランゲージ・ハウスから巣立った留学生たち

先月から、以前ランゲージ・ハウスにホームステイしてた留学生たちが、それぞれの仕事で活躍し来日している。中には将来この子はどうなるのかと心配させた学生もいたが、皆大きく成長し頼もしい限りだ。
NYCから帰国した時の悩みの一つが、いかに三女の英語を伸ばしていくかだった。当時3歳だった三女は近所の幼稚園に入った。ところが一ヶ月もすると英語などはまったく知らぬ存ぜぬとなり、他の兄姉たちが英語で話しかけても日本語で答えるくらい日本語環境に順応していた。そんな夏、NYに里帰りし、アメリカの幼稚園の友達と話すと、ちゃんと英語で答えている。そんな三女を見ていて「なんとかせねば。」と思うことしきりであった。インターナショナル幼稚園に通わせるのがベストとは思いつつ、すでに他の兄姉がインターナショナルスクールに通っていて家庭の経済は逼迫していた。かといって週に一度英語塾に通わせたところで成果が得られないのは目に見えている。
そこで考えたのがホストファミリーだった。母校である上智大学に留学生課というのがあり、話を聞きに行った。色々説明してくれたが私はすでに自分勝手に決断していたので、その日のうちに書類にサインしてホストファミリーとなった。
最初の学生は旧東ドイツから来たカティアという学生だった。バイアスロンのオリンピック強化選手だったと聞いていたので、さぞかしいかついゲルマンの女性かと思っていたら、ハイジの物語に出てくるような可憐な女の子だった。
学校の方針で、留学生には日本人学生のボランティアが同行するので、駅まで迎えに行かなくてもいいという。ランゲージ・ハウスは丘の上にあるので、どうやって荷物を運ぶのかと思案していたら、真っ赤な顔をしながら重い荷物を二つも押してきた。ボランティアの学生いわく、普通は別便で学校からおくるのだが、本人がその料金を節約したいというので、二人で頑張って妙蓮寺駅から歩いてきたというのであった。カティアは別の面でもドイツ人の節約根性を教えてくれた。例えば硬くなったパンを水洗いしトーストして食べるとか、チーズを保存するときのラッピングはできるだけ空気を抜く、ポテトの皮でカウンターを掃除するとかは私の子供たちにも良い影響を与えていた。ただ問題は根っからの真面目少女だったので、留学生全員が通過しなくてはならない日本語レベルのプレイス面とテストで不本意な点数をとったことで落ち込み、その後週末はどこも行かずに部屋に綴込みって日本語の勉強をするという、ホストファミリーにとっては心配の種となった。(つづく)

卒園、入園、そして初心にもどることの大切さ。

卒園と入園、そして初心に戻るということの大切さ

幼稚園で過ごす3年間の思い出は、大人になっても時にして懐かしい味として蘇ってくるものです。昔、幼稚園で「クシコスの郵便馬車」という曲を全園児で合奏した時に、汗だくになって指揮棒を振っていた園長先生のことを昨日のことのように思い出します。とても恰幅の良い女性の先生でチラリとも笑わずに、「ウンパパパパ、シャラリ、ターリターリターリタララ」と大汗をかきながら無表情で指揮棒を振っていたのですが、きっと熱心な教育者だったのだと思います。その熱心さがあったからこそ、50年以上たっても記憶の中に蘇ってくるのですから大したもんです。
私たちランゲージ・ハウスも一緒です。私たちスタッフは、卒園式、そして入園式のたびに初心に戻り、この3年間の出来事を真摯に振り返り、受け止め、新たな熱心さで前進していくことが大切です。
ランゲージ・ハウス幼稚部はバイリンガル教育を柱に、自分力と英語力、そして日本人力を育むことを3つの理念としています。しかし理念が立派であっても、そこで子供たちと向き合う保育士や外国人講師、また子供たちを取り巻く環境が、その理念からかけはなれたものでは想像だけの学校に終わってしまいます。ランゲージ・ハウスという家には、日本人保育士と外国人講師が仲良く働き、日本語と英語が楽しそうに壁面や本箱を飾り、日本人スタッフと外国人スタッフが日本のお弁当を一緒に食べたり、外国人講師が焼いてきたクッキーを日本人スタッフがおいしそうに食べていたりといった環境こそが、子供たちの感性を伸ばし、異文化が共存する中で、異なる人種が一緒に生活をし、英語を使ってコミュニケーションをとるというグローバルな生活の実践が将来なによりもものをいいます。
ところで、今一度考えてみたいことがあります。幼稚園とはなんでしょう。ということです。私の考えは、生活の基本を作ってあげるところ、そしてこれからの世の中を見据え、そこにたどり着くために必要な力の基礎を作るところだと思っています。英語を学ぶ前に、まず人間としてきちっと生活することを教える場が幼稚園です。ただ今は昔と違って生活の場はどんどんグローバル化しています。そんな社会の変化に対応しながら、力つよい活力に満ちた、語学に強い子供たちを育むのが私たちの使命です。
よくランゲージ・ハウスはユニークだと言われますが、これからの世の中はユニークさが生きる糧を与えてくれると思います。誰も彼もが同じ世の中は衰退します。学校も同じだと思います。個々のユニークさがものすごいエネルギーとなって生き生きとして社会を作っていく、学校も同じかと思います。この目標に向かって今期もランゲージは前進していきたいと思います。

黒部さん家の教育回顧録

黒部さん家の教育回顧録

アメリカでは転校が日常茶飯事に行われる。理由は非常に明確で、コストパフォーマンスが良くない学校から、パフォーマンスの良い学校に変わるということである。私立の授業料が法外なので、どの親も授業料に見合わないパフォーマンスの学校にお金は払えませんというスタンスなのだ。
国連学校は他の私立に比べると若干授業料は安めだったが、ある時日本人の友人がこう言った。「学校は一生に小学校を何度も繰り返すことはできないのだから、良い学校に入れないと時間もお金も損したような気持ちになるの。」この友人は息子の友達のママで、彼女自身もコロンビア大学を出て、野村総研ニューヨーク支社で働くバリバリのキャリアウーマンだった。息子と彼女の娘は同じ幼稚園に通っていたが、小学校から別々になった。私の息子はというと、勉強のほうはさほどでもないが、運動に強い少人数制の男子校に通っていた。しかし彼女から学校での授業内容を聞くたびに、確かに良い学校と言われるところは先生のサポートからして違うとはうすうす感じていた。日本にも一流、二流というのがあるが、アメリカはもっとはっきりしている。一流と言われる学校には、給料が安くても良い教師が集まると言われている。同じ時間を学校で過ごすのなら良質な教師のいる学校のほうがいいに決まっている。とたどり着いた結論はこうだった。そのころ長女は高学年になろうとしていた。本人は国連学校を楽しんでいたが、あまりこだわってもいなかったようなので、ちょっと力試しに他の学校を受けてみないと切り出した。
ホーレスマンへは学校での成績表と、担任からのリファレンス、そして筆記試験があった。この学校は幼稚園から狭き門で、50倍の競争率と言われている。特にユダヤ系のファミリーが多く、高校卒業後はハーバード大学やイエールなどのアイビーリーグにほとんどが進学する。そのせいなのかどうかはわからないが、この学校はユダヤ人が多いことでも有名である。(つづく)

黒部さん家の教育回顧録 2016

黒部さん家の教育回顧録

国連学校の話をする。といっても国連が経営しているわけではなく、アメリカニューヨーク州マンハッタンにある一私立学校である。ただ何故か国連職員や外交官の子弟が多く、先生達も様々な国から来ている。
私たちの子供達も上の2人の女の子が低学年を過ごした。国連学校を選んだのはアパートに住む主人の同僚達の殆ど子供を送っていたこと、他の私立に比べ学費が安かったことがある。国連学校の長所は、世界中の子供達が集まっていること、先生も、音楽はアフリカ人、体育はロシア人という具合にかなり国際色豊かである。短所はといえば英語のレベルが高くないことと、高学年になればなるほどアカデミックなレベルが低くなることだった。
私の娘達は小学校一年生で入学した。担任は長女がベネズエラ人、次女がミャンマー人だったと記憶している。国連学校ではフランス語が必須となっていて、これはベルギー人が担当していたと思う。フランス語を話せるアメリカ人がベルギー訛りのフランス語は田舎臭いとか言って馬鹿にしていたのを思い出す。
私と主人にとっては国連学校での保護者体験は非常に有意義だった。世界中から一癖も二癖もある親達が集まっているのだから保護者会などはちょっとしたショーを見ているようだった。
ある日の保護者会はこうだった。
「ところで校長先生、あなたはさっきから国連学校が生徒達にできることばかり語っていますが、できることが多すぎて説明に時間がかかり過ぎます。逆に出来ないことを端的に話して下さい。」
「私の息子は学校のカフェテリアは不味いものばかりだっと言っています。私は学費だけでなく、息子の食費も払っているので、それに見合ったものを出してもらわないと困ります。」
「うちは夫婦ともフランス語で話します。ただ最近息子のフランス語がセネガル訛りです。
フランス語の先生は何人ですか。」
で、これに対する答えは決まってこうだった。
「平和を愛する心があれば全て解決されます。お互いシェアーする気持ちがあれば問題は起こりません。」当時の校長先生はインド人だったが、ちょっとした新興宗教さながらの演説で、
なになに、平和が有れば子供の問題は解決するのかと、うっかり信じてしまいそうになる。
ある保護者は「校長先生、ここは教会ではありません。学校です。」
といった具合で、なんとも微笑ましいというか、ノンビリというか、しかし子供達の学年が上がってくるとそうも言っていられない。平和だけでは解決できないことがたくさん出てくる。そのひとつが英語力だった。日本でもおこなわれるような全国学力試験のようなものがアメリカにある。学校単位でうけるのだが、国連学校のスコアーが今ひとつ振るわない。授業も緊張感に欠ける。子供達を見ていても国連がそのまま来てしまったような、平和というか緊張感がない。そんな現実が見えてくるといてもたっても居られずに転校を考え始めた。

新年 明けまして おめでとう ございます

年の初めに思う英語教育
2016年がスタートしました。どんな年になるかより、どんな年にしたいかを考えてスタートしたいと思います。
1年はあっという間です。光陰矢の如しとは間違いない現実で、今は光陰というよりはフラッシュという感じです。
さてランゲージ・ハウスの2016年をどうしたいかを話します。ブログで言ってしまうと、より一層現実しないといけないような使命を感じるので新年向きです。
教育を食い物にしてはならないという教えはいつの時代でも真実です。ただ最近はビジネス色の強い教育事業が竹の子状態になっているような気もします。確かに施設費を始め、人件費やその他もろもろの経費を考えるとビジネスにならないとやっていけないのが現実ですが、その場繕い的な教育事業は 日本の子供達を不幸にします。残念ながら日本の子供達をとりまく英語教育環境で英語が話せるようになるかというと、答えはNOです。塾や幼児英語教室も、教えるということに情熱を感じている教師が少なすぎます。この一番の理由が、外国人で英語が話せれば誰でも英語塾の先生になれてしまうという現実があります。ネイティブなら一日にして主任になってしまうことすらあります。十分なトレーニングないまま子供達に英語を教えると、一ヶ月も経たないうちに化けの皮が剥がれます。子供達が飽きてしまうのです。子供は大人より教師の本質を見抜きます。逆に多少英語にアクセントがあっても情熱を持って子どもと向き合う教師は一ヶ月経った頃から生徒が増え始めることもあります。子どもとはその位敏感です。でもこんな情熱教師でないと子供達に英語教育を植え込むことはできないと思っています。
日本の幼児英語教育の成果が上がらないひとつの理由は、教師をふくめ、教育を提供する側に長期的なプランと、計画を進めていくプリンシパルがないからだと思います。英語塾に通っている殆どの子供達は、my name is……, I am xxxyears old,は言えますが、その後が続かない、聞けば2-3年塾に通っている子が多く、側にいる親は、申し訳なさそうな顔で子供を見ているばかりです。確かに週一回1時間ぐらいの学習ではこの位が精々かとは思いますが、このような子供達が増えれば増えるほど、日本の幼児英語は後退していくと思います。以前アジアの国々の英語教育事情を書きましたが、あれは脅かしではなく現実なのですから、今すぐにでも英語教育の方向性を変えない限り、将来英語が理由で職にありつけない人が増えるのは回避できないと思います。
前置きが長くなりましたが、2016年ランゲージ・ハウスが幼児英語で取り組むことは以下の通りです。
1, 楽しく英語を学ぶという事を現実のものにするためには、目標値が必要です。
年間、月間、週に何をどこまで達成させるかを明確にする。
2, 多少シビアーな学習部分も取り入れ、そのための講師トレーニングを徹底させる。
3, やらせ英語、つまり子供が内容や、意味を理解せずに、口パクリピートで覚えさせることをしない。
4,ランゲージ・ハウスに行けば必ず英語が話せるようになるというスタンダードを構築する。
非常に難しい目標ですが、必ず方法はあると思います。
5、保護者の方々に日本が英語後発国だという危機感を持ってもらい、英語は習い事範疇ではなく、必須科目であることを理解して貰う。
6、人間的、かつアカデミックに質のいい外国人講師を増やす。
そして私は、引き続き横浜市の公立小学校に1年生から毎日30分の英語授業、あるいは何らかの形での英語教育が毎日導入されるように、各関係機関への運動を続けて行きたいと思います。もし行政を動かすことができない場合、後はランゲージ・ハウス小学部を作るしかないと
少しだけ考え始めている今日この頃です。

PAGE TOPへ