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ILH代表黒部のブログ

黒部さん家の教育事情 6/18

日本にもママとベイビーのサークルがあるように、NYにもベイビークラブがあった。親子でリトミックをしたり、遊んだりと日本のそれとあまり変わらないが、クラスの後に始まるママ達のおしゃべりの内容は政治、経済、教育と多方面に及んでいた。特に政治の話になると熱くなるママが多く、選挙前などは民主党、共和党とグループが別れてしまうほどだった。この政治意識は子供の教育にも影響していた。例えば民主党(現オバマ大統領の党)は社会福祉や教育に手厚い保護を公約している。逆に共和党はビジネスを活性化させ国民全体に仕事がゆきわたることで社会の安定化を公約している。これをママは子供達にこう教える。「ここに一つのパンがあります。みんなはこのパンを今食べたいか、それとも、このパンは食べられないけどパンの焼き方を教えてもらって、毎日パンがたべられるようにしますか。」つまり前者が民主党、後者が共和党の考え方なのだ。これを日本に置き換えてみると、共産党あたりがパンを与え、自民党はその作り方を教えるのかというと、そうはっきりとした線引きはできない。ともかく、このようにしてママ達の会話は続く。なのでかなり英語も鍛えられる。私も政治に興味がないわけではないので、この高度な会話についていく為に自宅学習までしてしまった。
ベイビーサークルの話にもどる。インターナショナルベイビーサークルとはこのことを言うのかと思うほど、世界中のママに出会った。それぞれに国民性なのか、子育てやしつけ、教育に特徴があった。フランス人は自国愛が強く、子供にはかたくなにフランス語のみを使う。子供が英語で答えるとNon! parle France!と手厳しい。イギリス人も同じでクイーンズイングリッシュに徹するので、子供がwhat?とかでたずねようものならExcuse me, I beg your pardon?といってwhatを無視、アメリカ英語を無視する。東欧系はママもちょっと地味な感じだが、子供がなんらかの理由で無視されると烈火のごとく反発してくる。アジア系はこと学習のことになると大変熱心で、他人の子供と比べたがる。この辺は日本人も一緒で、数を100まで言えるかどうかで、自分の子供が言えないとわかると、自宅で特訓もいとわない。アフリカ系もプライドが高く、特にNYに来ているアフリカ系の子弟は親が外交官だったりが多いのでなおさらである。誕生日なども派手で
アフリカンキングの世界そのものである。ただなんといってもダントツに教育熱心なのはユダヤのママ達である。ユダヤ民族を絶やさずというのがこの人たちの使命であるから、子供の教育も肝いりである。また子育てはお金なしには不可能という意識がはっきりしているから、赤ちゃんが誕生すると大学を卒業するまでの教育企画書が作られる。
私が3人目の子供を出産したときに、あるユダヤの友人から教育資金はどのように捻出するのかと聞かれ答えられなかった。彼らにとって出産とは、きちっとした事業計画のもとに行われるもので、そこで資金難などが予想されれば子供は作らない。学校を選ぶのも、コストパフォーマンスのすぐれた学校をいくつか選択し、大学に至っては奨学金獲得作戦までもが含まれる。実際、このようなしっかりとした計画のもとに子供の教育が行われているので、NYのトップスクールはほとんどがユダヤの子弟で占められる。ユダヤママの子育て理念ははっきりとしている。1、子供を誉めちぎる。2、教育にお金を惜しまない。3、子供にいい影響を及ぼす友のみを選択する。4、ユダヤ教を生涯の宗教としてあがめる事を教える。ただこれらが行き過ぎるとユダヤ以外のママ達から反感をかう事になる。事実行き過ぎる事が多いのでユダヤママとは一線をひくママも多い。私としては強い信念と計画性をもって子育てをしているユダヤママを尊敬している。事実自分もユダヤママのように計画性のある子育てをしていれば、大学の学資でローンを組んだりすることもなかったかと反省しているのだが。(つづく)

黒部さん家の教育回顧録

黒部家の教育は幼稚園ではなくベビーシッターからスタートした。といってもナニーのようなプロのシッター兼家庭教師がいたわけではない。アメリカでは12歳以上のティーンエイジャーにアルバイトで子守りをたのめる。長女を出産して2週間目からベビーシッターを頼んでオペラを見に行ったが、この時も16歳の子にシッターをお願いした。今考えるとちょっと無謀だったかもしれないが。
 なぜ、ベビーシッターから教育がスタートしたかというと、子供達が彼らから学んだ事がたくさんあった。特にしつけ。例えば汚い言葉を使ったときにはシッターが石けんを持ってきて、本気で口の中に押し込むふりをする。これは実に効果のあるしつけで、子供達にとって、自分の言った言葉がどれくらい汚いものなのかを、身を以て体験、反省する機会となる。またある時はおままごとをしながら、本物のお金を使って子供達に買い物ごっこをさせる。当時一番下が3歳だったが、1セント玉を握ってPenny, Pennyと言いながら買い物に夢中になっていた。学校ごっこも子供達にとっては最高の楽しみで、生徒がベビーシッター、先生が子供達、壁に模造紙を貼って黒板の代わりにしての学校もどきである。生徒役のシッターはわざと本を読めない振りをして、”Can you read this book please!”と先生役の子供達にお願いすると、子供達は一生懸命に本を読もうとする。なんといっても先生なのだから。
 海外での子育て中、日本からau pairオーペアーを採用した。ヨーロッパで発達した住み込み条件付きベビーシッターである。条件とは住むところと食べるもの、そしてお小遣い(給料ではなく)を提供するかわりに、ただでシッターをしてもらうというシステムである。主人の国連勤務が幸いして、シッターにビザを与えることができた。アメリカには他にも民間のオーペアーエージェントがあり、国内はもとより、ヨーロッパなどからオーペアーガールを希望する若者は多い。黒部家も計4名のオーペアーを日本から受け入れた。目的は子供達の日本語上達のためだった。ただ初代は高校を卒業したての女の子で、英語もからっきしだめ、元気だけが取り柄という、私にとっては子供が一人増えたようなものだったが、今でもその子とは当時を振り返りながらのおつきあいをしている。子供達と一番よく遊んでくれたのは宮崎県出身の大学生で、特にスポーツには秀でていた。当時ローラーブレイドが大人気で、この青年はこのブ
レイドでマンハッタンからJFK飛行場のある車で40分の距離を、1時間ほどで完走するという特技?を持っていた。次男は彼のローラーブレイド教育をしっかりとうけ、4歳で滑り台からローラーブレイドを履いて滑り降りる事と、セントラルパークを15分で横切る事を学んだ。もちろん擦り傷は絶えなかったが。
 残念ながら、こんなにおもしろく遊んでくれる、それも子供達のためになるシッターはそうめったにいるものではないと思うが、おかげで黒部家の子供達の幼年時代はFantastic! であったことに間違いはない。教育とは学校だけではないということを実践した数年間であった。(つづく)

黒部さん家の教育回顧録 2

 ニューヨークでの出来事

 今回は黒部家の教育事情ではなく、このニューヨーク出張中に体験したBAT
MITVAHを通して、ユダヤ人家族の子供に対する教育のあり方を書く事にする。ユダヤ人社会では、男女共々13歳になると昔日本で行われていた元服式に近いバットミツバ、バアミツバ(男女で呼び方が違う)が行われる。その昔砂漠の民であったユダヤ人達が子孫繁栄のためにと始められた宗教的な儀式である。ユダヤ人にとって結婚式よりも重要とされるこの儀式には、親戚縁者から友人まで、多いときには何百人というゲストが招かれ盛大なお祝いが行われる。私はビジネス仲間の娘のバアミツバに招待された。場所はマンハッタンのイースト55丁目にあるユダヤ寺院だった。自由の女神がフランスからやってくる前からその場所にあるという由緒ある建物の中はまるでキリスト教の教会で、強いて言えばイエスがいるかいないかの違いである。イエス様の変わりに
祭壇の前には大きな扉があり、その中にはトーラーといわれる大きな巻物になった教典が入っている。つまり旧約聖書である。
儀式はユダヤの繁栄を高らかに歌うギターの生演奏から始まる。フォークシンガーのような女性がリードしながら、参列しているゲスト全員が歌う。歌詞がヘブライ語なので私は口パクだったが、他のゲストは大声で歌っていた。日本人の成人式で親や親戚が大声で日本社会の繁栄を祈った歌を歌うかと考えると
複雑な気持ちだった。歌が終わると、主役である娘の一人が祖父母と両親に感謝する手紙を読み上げる。読み終えると祖父母と両親が祭壇の前に進み出て娘と抱き合いキスをする。双子なのでこれを二度繰り返すと、全員で祭壇の前の大きな扉の前にたち、ゲストも全員規律した中で、その扉が厳かに開けられる。中にはユダヤの教えを書いた教典が入っているが、かなり大きな巻物になっている。これを広げると、今度は一人ずつ、教典をヘブライ語で読み始める。というより歌っている感じなのでが、イスラム教のコーランに近い響きを持っている。現在世界で戦争を起こしているこの世界の3代宗教(仏教も含めれば4代宗教だが)、元はと言えば一つ所から産まれたという説も間違ってはいないかもしれない。読み上げるトーンが哀愁を帯びているせいか、祖父母達は感涙し、両親も興奮している。これは日本の結婚式にも見られる光景だが、結婚式には宗教色が無いのに比べ、こちらは宗教である。式は一時間半かけて行われ、最後にゲストのために用意された昼食会となる。日本もおなじみのドーナツ型のパンベーゲルはユダヤのパンで、これにチャイブ入り(長ネギ)クリームチーズとスモークサーモンを挟んで食べるのが伝統的で他には甘いマカロニグラタンと、今では日本のディーン&デルーカでも売られているチョコレートクロワッサンのようなお菓子が出されている。
 さて、ユダヤ人の教育熱心は世界的に有名だが、私はこれをニューヨークでしっかりと体験させてもらった。ユダヤ人の教育は宗教に基本が置かれている。家族を大切にすることはユダヤ人であることに誇りを持つと同時に、ユダヤ社会を存続させ、発展させることを意味する。そのために子供達は有名校を目指す。幼稚園から有名校を目指す。ただワスプ(白人のエスタブリッシュメントたち)やマイノリティー(黒人やヒスパニック)とは交わろうとしないので、教育熱心なユダヤ人の集まる学校ができ、進学校となる。アイビーリーグ(アメリカ6大学)のようなところに入りたければユダヤ人の多く集まる学校へ行けともいわれるぐらいである。ユダヤ人の母親は強い。子供の為ならなんでもする親はたくさんいるが、ユダヤ人の母親にはかなわない。「うちの子は出来が悪くて」というのが一般的日本人の台詞なら、「家の子供ぐらい優秀な子は他にはいませんわ。」というのがユダヤの母である。アメリカ人でも、ユダヤ人なら週末はヘブライ語の学校に通わせる。これをしないと成人式に教典を読む事ができないのと、結婚式に宣誓ができない。塾通い、習い事も盛んである。日本人と違うのは習い事を達成させること。つまりピアノでもバレエでも中途半端に習わせることはしない。将来ピアニストにならなくとも始めたらリストでも弾けるぐらいに育てる。
 私の友人はおじいさんの時代にヨーロッパから移民して害虫駆除の仕事を始めたという。誰もしたくない仕事を選択したわけである。父親の時代にオフィイスなど、コマーシャルスペースでの害虫駆除に特化した事業をはじめ会社を大きくした。友人である息子は三代目で、子供が4人いる。全員が私立の学校に通っていて、13歳の娘達は年間¥300百万以上もする私立校に通っている。彼らをしてユダヤエスタブリッシュメントというが、こんな家族がニューヨークにはうじゃうじゃといる。日本では二代目、三代目でお家がつぶれる今日この頃であるが、ユダヤの家族が繁栄を続ける一番の理由は、家族の伝統に根付く宗教的な生活と、教育にお金を惜しまないこと、そしてなによりも子供達の将来設計がしっかりできていることだと思う。今一度日本の家族の繁栄を考え直してもいいのではないかと思っている。

黒部さん家の教育事情 1

黒部さん家の教育事情

ニューヨークに住んでいた頃ジャーナリストをしていた。特に教育関係は日系新聞とのタイアップでいくつかの取材記事を担当していた。今でも忘れられない取材の一つに公立学校の給食風景がある。ニューヨーク市の公立学校は一部をのぞいて程度のほどはよくない。ママたちの会話でも「PS6はいいけど、13には行かせられないわ。」とか「やっぱり息子を私立に送りたいから働きにでることにしたわ。」とかがよく聞かれる。そんな公立学校なので、校長というのがお役所の役人みたいで、なんというのか権力とかマスコミに弱い。私の取材した学校もピカピカの背広にちょっと黄ばんだようなワイシャツを着て、胸のポケットから真っ赤なハンカチがのぞいているような、校長先生というよりマフィアの子分といった風情の校長だった。一応学校の説明を聞いた後、私のリクエストで給食風景を取材することになった。アメリカの小学校は給食、カフェテリアフッド、自前のお弁当に分かれる。給食と言っても日本のように栄養バランスの取れた野菜満載のものではなく、肉、ポテト、ライス、ピザ、など油と炭水化物が多い。最近になってこんな給食が体に悪いということが分かって着たらしく、必ず野菜サラダを食べる事を義務づけているというが、このサラダにしろレタス、キュウリ、トマトと簡単なもので、これだけ食べて野菜というならおめでたいというような代物である。
さて、この日のメニューはフライドチキン。ところがこれを食べる道具がスプークと呼ばれる、スプーンの先がフォークみたいに割れているもので、これを使ってチキンを食べようとすると、フォークの部分がうまく肉にささらないので、チキンがすべって皿から床に転げ落ちる。私が数えただけでも10羽のチキンが床に着地、ぶざまな姿をさらしていた。そしてそれ以上に私が驚いたことは、校長がマイクロホンをにぎりしめ、チキンが床に転がる度に「シット、シット」とわめいていたことである。本人はマイクに声が通っているということを忘れているらしく、「シット」が部屋中にこだましている。が校長は気がついていない。生徒たちも校長先生が「シット」と平気で言っているのだから「オーシット」と後に続く。これがそのうち大合唱になって教室は大混乱となる。中にはわざとチキンを落とす生徒もいてこれも「シット」床に落ちたチキンをスプークで拾おうとするとまたもチキンが転がって「シット」もうめちゃくちゃである。このシット、日本語に直すと「くそ」とか「くそったれ!」とかになる。ただこれを学校の校長がマイクに向かってどなってしまうとどうなるか。
ニューヨークの親たちが公立に子供を送りたくない理由の一つがここにあるかもしれない。(つづく)

2014年度入園式

2014年度の入園式が本日執り行われました。2012年の創園時は2名だった園児さんが、13年度に14名、そして今日、総園児41名で新しい年のスタートを切りました。今日の入園式でお話させていただいたこと、ブログを読んでくださるみなさんともシェアしたいと思います。同時にもう一度自分自身にも問いただすことで、ランゲージハウス幼稚部の進む方向を確かめたいと思います。
 入園式で最初にお話したことは、今日からランゲージハウスの子供達として迎え入れる園児さん達に対する絶対的な愛情です。ランゲージハウスのミッションはグローバル社会に強く生きる「自分力」とその一つのツールとしての「語学力」を鍛えることです。ただそれを行うにあたって大前提となるのが「愛情」です。愛情なくして教育は始まりません。これは親の愛情なくして家庭でのしつけが始まらないのと同じです。ランゲージハウスという「家」で今後多くの時間を過ごす子供達にまず必要なものはスタッフの愛情です。一人一人の子供達に向けて、この子を良くしたい、この子にこうなってもらいたい、これを見てもらいたい、これを食べてもらいたい、これを聞いてもらいたい、これに触ってもらいたい、こららすべてが愛情です。またご両親には、お家で子供達と過ごす時間が短くなる分、愛情のクオリティーを上げてほしいと思います。学校と家庭、この二つの世界で受ける愛情の密度が濃ければ、子供達は安心し、人の話を聞き、自分の言葉を口にし、集団生活の中でいろいろなことを学んでいくことができます。
 この愛情を持って次に挑むものが「自分力」への挑戦です。30年前は英語が話せるということが能力とされてきましたが、今は英語を活かせる能力が求められています。例えば最近シンガポールで行われた「グローバル社会の教育を考える」というシンポジウムでは、課題解決能力と対人関係構築能力がグローバル社会を大きくリードしていくだろうと発表されています。つまり英語が話せることは当たり前の前提として、このような能力が問われているのです。
 私は将来ランゲージハウスの卒園児が一国の首相や世界をまたにかける外交官、あるいは特殊技術を開発する研究者など、世界で活躍する時が必ず来ると信じています。この将来のために、けして早すぎるとは思わない教育を提供していくのがランゲージハウスの役割かと思っています。世の中は日々変化しています。幼稚園は子供達が楽しく遊ぶ所というのは不変ですが、それだけでは完結しきれない部分も今の幼稚園機能には必要だと考えています。時代に適応した役割を幼稚園が担う為に、私たちスタッフ一同、深い愛情と、将来の変化に対応できる柔軟性をもって明日からの教育をスタートさせたいと思います。

2014年、新学期スタート

2014年、新学期、新学年がスタートします。2012年開園当初2名だった園児が、2013年度に14名、2014年度には40名になりました。
この2年間、日本の英語教育の危機、グローバル社会への対応、海外の幼児教育のことなど、英語リトミックや子育て支援事業を通して、日本の若いパパやママに問いかけ、理解を求めてきました。ここにきて少しづつですが英語教育や日本人としてのアイデンティティーを持つ事に理解をしめしてくれるご両親が増えたように感じています。今回の入園面接の際にも、海外駐在経験や、ご自分の留学経験、また日本での職場のグローバル化などから、将来ご自分のお子さんがグローバル社会にどう適応していけるかを真剣に考えているご両親が想像以上に多かったのも、それを裏付ける一つです。またランゲージ?ハウス幼稚部が一般的なインターナショナルスクールではなく、日本人の礼節も重んじる「しつけ」にもフォーカスしていることに共感していただいた方々も多かったように感じています。多様化する社会にあって、幼稚園は楽しい遊びの場という基本の基本がそのまま幼稚園の理念となる時代は過去のものになりつつあります。子供達の自然な感覚や、共同生活の中で培われる様々な体験、遊びの中からの発見、創造力の発達など、幼児期に育まれる様々な要素をしっかりととらえつつ、将来自分の夢は必ずかなえられるのだという強い意識を持つ子供達を育てていきたいと思っています。「自分力」「語学力」「日本力」を実際の社会で生かすことは自分の夢を実現させることでもあります。ランゲージ?ハウスのミッションは世界と日本がつなげる限り不変であると信じています。

キューバの街角から

キューバの街角から。
 社会主義の人々の生活を見てみたいと思ってキューバに来た。革命で有名なカストロは存命で95歳になるという。ただ町中で見かける写真は、そのほとんどがチェ・ゲバラのもので、そこには「私たちはあなたの革命精神を忘れない。」と書いてある。学校でも朝礼の時間には「私たちキューバの若者は、あなたの革命精神を受け継いできます。」というようなフレーズを唱える。偶像崇拝が禁止されているキューバでは、キリスト像よりゲバラ像がその変わりを果たしているようにも見える。
日本で過去の人に礼を唱えると、軍国主義打とか、教育の押しつけとかで反論する人が多いが、ここキューバでは素直にゲバラ精神を受け入れていて、道徳のような形で教育にも活用されているところが頼もしい。
キューバでは大学までの教育は無料である。街には茶色いズボンやミニスカートを履き、白いシャツに赤いスカーフをまいた学生が目に付く。これは小学生らしいが、とても行儀がいい。美術館で課外学習に来ていた生徒達に出会ったが、生徒もさることながら、引率する教師もしっかりしていた。
なにがしっかりしていたかというと、生徒達が教師をリスペクトしていて、話を良く聞く。教師の口から一度も「静かにしなさい。」とか「並びなさい。」「おしゃべりはしない。」などといった、日本でよく教師から聞かれる言葉はほとんど耳にしなかった。教師の外見はボブ・マレー風だが、絵画の前で説明を始めると、生徒はそれに聞き入っていて、教師から質問があると、静かに手を上げて質問に答えていた。街中でも多くの学生を見かけたが、どの学生も礼儀正しいという印象が強い。またそれ以上に教師達にプロ意識を感じた。教師という職業は、この国では優遇されている。将来を担う子供達を教育する重要な仕事という地位がしっかりとしている。以前ハバナ大学で教鞭をとっていた73歳の女性の話では、教師の給料、恩給などは他の職業より優遇されているという。
 この国にはマクドナルドも、KFCも、スタバも無い。そのせいか、以前アメリカで見たキューバ人と、ここでのキューバ人とは違った人種にさえ見える。社会主義国は物が少ない。商店には物がないといっても過言ではないが、2009年あたりから商業の自由化が始まり、個人商店も少しづつ増えてはいる。
ただ、アメリカのショッピングモールのようなところが全くないので、マテリアルガールやボーイは少ない。携帯電話もあるにはあるが、どこかの国のようにバスや電車を待つときにメールに釘付けになるような光景はない。逆に他人同士の会話がまだ多く存在する。色とりどりのTシャツやドレスをきた人たちがバス停に並び、おしゃべりをしている。日本で見られない微笑ましい光景でもある。大声で喚き立てる者もいなければ、物乞いもいない。立ち食いもいなければ、ぐずる子供もいない。みな今自分のいる状況を理解し、受け入れているようで、すがすがしささえ感じる光景である。
 以前、西サモア島を訪れたときに感じた、アメリカの無い文化、つまりアメリカンサモアとの大きな違いを街の若者に感じたことがある。おなじような感覚をここキューバでも感じている。キューバという国がアメリカと今は無いソ連という大国の狭間で味わった屈辱が、キューバ危機から50年たった今でも若者に受け継がれているように感じるのは、教育を無償にし、文盲率0%にした、この国の教育が果たした役割が大きいと思う。どの村にも学校があり、街の子供達と同じ制服で登校している。アメリカからの経済封鎖を受けても、砂糖という心細い輸出物資と観光事業で食いつないできたキューバが、グローバル化した世界を相手にどう対応していくか、その一つのキーになるものは明らかに教育ではないかと考える。将来を担う子供達に教えるというパッションを持ち、社会にリスペクトされている教師がこの国にいる限り、キューバの将来は暗くはないと考える。

英語の効用

先週久しぶりに大学の先輩がランゲージに遊びに来た。一人は国際機関で働き、もう一人はメーカーの海外事業部長として働いている。本来なら定年間近というところだが、語学力を武器に会社では重宝がられ、いまだに現役で頑張っている。
我々の学んだ外国語学部英語課というところはおもしろいところで、クラスが男女に分かれていた。理由は女性のほうが勉強熱心で活発、男子が萎縮してしまうとかだったが真相のほどは確かではない。ただ早慶に比べると上智の男子は昼行灯で、自己アピールに欠けると週刊誌には書かれてた。理由の一つには女子クラスの半分は帰国子女、他は私立お嬢さん女子校出身者、いわゆる女子のエスタブリッシュメントみたいな人たちの集まりで、まじめで優秀。私のような都立高校出身者でいきなり外国人神父の教える英語オンリーのクラスにうろたえるのはクラスで二人だけだった。男子はというと地方有名高校からの推薦入学が多く、後は浪人者。全体的に地味で昼行灯といわれても仕方ない。でもその昼行灯達が社会に出ると思いのほか活躍している。彼らの武器は語学なのだ。海外事業部長の仕事は、海外支店でいい加減な仕事をしてる外国人に喝を与える事らしが、現場を取り押さえて客観的に業務を評価、そして注意を与えていくにはそうとうの語学力と人間力が必要だ。国際機関の方は、相手が中国で想像を絶する人間との取引。中国人は好きだが中国は嫌いと言い切る。中国語、英語と二つの刀を武器にしないと戦えない相手だという。最近は敵もさるもの、日本語を話せる中国人が多く、それを切り返すには英語で対応するのだという。この二人の先輩以外にも、年に一度宴会を開く仲間は、北海で採掘している男、宇宙航空の未来を営業している男、大手自動車メーカーの常務など、学生時代の地味さとはかけ離れた派手な活躍をしている。どの先輩にも共通していえるのは、世界と戦える語学力を持っていることだ。もちろん大学時代に学んだ英語力がすべてではないが、地味な中にも着々と実力を蓄えていくことを知っている男達が多かった。逆に女子の方は一流商社に就職した人たちは沢山いるが、一般職なので、結局結婚を境に退職、キャリアから身を引いてしまう人たちが多い。同時に英語からも遠ざかる事になり、元帰国子女で英語を当時のまま維持している人はわずかである。
先輩の多くはバブルを経験し、いやな思いもしている。が、そこに語学があったのでかろうじてバブル崩壊から身を守れ
現在の地位を築いている。
「うちの実家は広島でテイラーをしてるけど、この仕事はすでに過去のもの。大手紳士服屋に勝ち目は無く、もし今も広島に残っていたらと思うと、高校生のときに頑張って留学したのが幸いだった。外国にあこがれ、英語にあこがれ、それが飯の種になった。」と一人の先輩は言う。さて、今の若者達がどれくらい英語に憧れられるかは、どれくらい英語が好きになれるかにかかっているかとも思うのだが。これは学校だけの英語ではとても補えないものと心配している。

ソチ冬期オリンピックと英語

ソチ冬期オリンピックも終盤戦をむかえている。日本選手もがんばっている。しかし世界の競合の中で苦戦しているのも事実かもしれない。苦戦しているのは競技ばかりではなく、各国選手とのコミュニケーションも同じ状況のようだ。ある外国のメディアの記事だと、日本選手は相変わらず日本人同士で固まる。選手だけではなく、選手団と同行するコーチや役員たちも日本語で固まる。この日本人の団子状態は、オリンピックに限らず、インターナショナルな場面ではよく見る光景である。多少英会話ができても自分から進んでコミュニケーションをとろうとしない限り会話の中に入っていくのは難しい。これに関してはいくら英会話学校で会話力ができたとして「外国人と公で話す」という経験値が必要となる。
まず話題をどうするか。いきなり”My name is 〜”ではだめで、まずは”Hi, May I introduce myself”ぐらいから入っていく。
ビジネスカードがあれば助け舟になるが、無ければ”I am a member of Japanese team”ぐらいから始めたい。自分から話かけるのは度胸がいるようだが、慣れてくるとゲームみたいなもので次の会話の輪にサーフィングするといったことが自然にできるようになる。オリンピックのレセプションは知らないが、国際関係のレセプションでよく見るのが日本人が団子になっているところに外国人が話しかけてくると、そこにいる全員が飲む、食べるを突然辞めてしまい、直立不動状態で外国人の話を聞くだけになってしまう。その中で英語がはなせる人だけが外国人と対応しているのだが、他の人たちはうなずくばかり、多分話しの内容などわかっていない。私の知る限り、今でもこのような光景はどこでも目にする。
話をソチに戻す。英語力のある選手は日本人にも増えて来ている。ただその背景には技術をマスターし、磨きをかけるために海外留学や遠征を繰り返している現実がある。これには莫大な資金が必要で、つまり語学力にもかなりのお金がかかっていることになる。また若いうちから海外に出ても、外国社会でのマナーや節度を同時に経験できないと、会話だけが一人歩きをしてしまう。私が常に幼児教育の大切さを思うのはこの部分で、もし日本選手が幼い時から語学力とともに国際社会でのマナーや日本人としての礼節さを教え込まれていれば、会話力がつくと一緒に、自然な形で国際社会への対応の仕方も身についていることになる。
選手が金メダルを受け取るとき、渡す側から必ず一言声をかけるのは英語だという。そのときに”Thank you”だけではなく、自分の気持ちを素直に表現できるぐらいの英語力と、それにふさわしい態度が今後日本人選手にも望まれていいのではないだろうか。

ランゲージハウスの教育方針 4

バイリンガルスクールでは日本語と英語、その両方をその柱としている。この二つの言語を教えるにあたって、文化的、また精神的なアプローチが大切になる。例えばAppleとリンゴを教えるとする。レベルの低い教え方は、フラッシュカードを使って「はい、リンゴは英語でApple, せいの〜アップル」といった英語塾的な方法。これだとリンゴは世界に一種類で、日本のリンゴも海外のAppleも同じ味で同じ色だと認識してしまう。一方日本のリンゴの生産地や形、色、味などを、時には実際に味を見ながら説明し、海外のAppleは実物がなくてもインターネットなどでビジュアルに教えていく。実際海外のリンゴはもっと野性味を帯びていて、形も不揃い、色もグリーンからイエロー、時には紫まで色々である。またAppleの利用方法もいろいろで、パイからハーブティー、ジャムや時には料理にも使われる。これを総合的に教えてあげると、一つのリンゴから100の知識が得られる事になる。ランゲージハウスの教育目標の一つである「グローバル社会に強い力」とは、まさにこのような多角的な教育である。20年ほどまえまではインターナショナルスクールの価値は高かった。なぜなら一般的な英語教育の価値が高かったからで、まさに英語ならなんでもよかった時代である。しかし今は違う。英語プラスである。「英語ができる」という基準が「英語で考える」に変わってきた。これを可能にできるのは、幼い頃から立体的な教育、つまり体感的、経験的教育を受けていないと対応できない。小学校から英語をやればなんとかなる、中学からでも遅くないと言う人は多い。確かに英会話だけならできるかもしれない。しかしこれからのグローバル社会で、英会話だけできても英語プラスにはならない。
昔から多くの教育学者が「無駄と思うところが一番の教育。」という。私自身これをとても面白いと思っていて、例えばリンゴ皮をお風呂に入れてみるとどうなるか、Appleとリンゴはどっちが美味しそうに聞こえるか、リンゴは千切りにすると味が違うか等々である。
繰り返す。バイリンガル教育で大切なのは、それぞれの言葉の心と、文化の背景である。だから教える方は時間がかかるし、それなりの努力もいる。だから少人数でないと難しい。でもやりがいのある仕事である。

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