• お問合せ
  • facebook
  • twitter
  • youtube
  • entry
ILH代表黒部のブログ

幼児英語を考える(2)

前回、日本が英語後進国になってしまうということを心配していると話したが、現状に本は英語低開発国である。経済的視野での低開発国とは、資源があってもそれに見合った経済開発計画が伴わず、また計画があっても一過性のもので終わってしまうという悪循環で、外国から資金調達ができても、その経済的恩恵が国民にまで行き渡らない。日本の英語はまさにこれで、日本人というまじめで、優秀な資源があっても、英語教育の全国民的な上達計画がないため、OO委員会など、一部の機関が予算消化のために考えた、英語もどきの一過性プログラムを小学校から導入し始めた。ところが実際は1ヶ月に数回の「英語にふれる」「英語を楽しむ」だけのもので、これに外国人の人件費を含めて多大な経費がつぎ込まれている。。。。が、末端にいる児童が受けるべき成果はゼロに等しい。
 では、英語先進国のフィンランドなど北欧の国ではどのような英語教育が行われいるか。まずほとんどの国民が高校卒業時点で日常的な英会話ができるような英語教育を目標としているフィンランドでは、小学校3年から英語の授業がスタートする。週2〜3回で45分の授業である。楽しさを持たせながらも会話を重視している教育内容で、文法などは宿題とともに保護者の協力も必要となっている。テキストブックもかなり厚く内容が濃い。ただ英語教育目標Common European Framework of Reference for Languageがはっきりとしているので、何をどうして行くという大きなフレームのなかで確実な英語教育が行われる。中学、高校になると週4回、90分の授業、またコンピューターを使った補助学習も盛んに行われている。高校に上がる頃には日常会話はほとんど仕上がっている状態である。私が以前NYで出会った北欧からの留学生のほとんどがきれいな発音で英語を話していたが、これもしっかりとした柱のある北欧英語教育の成果である。(つづく)

幼児英語を考える。

あるママからこんな質問を受けた。ママ「1歳5ヶ月になる息子に英語をやらせようと思ってネットで英語教材を購入したんですけど。」私「で、どんな教材?」ママ「マシーンを押すとネイティブの発音が出てくるやつで、フォニックスは1歳ぐらいから始めた方がいいって聞いたんで。」私「誰が言ったの?」ママ「子育て雑誌に書いてあったので。」私「で、その機械はいくらしたの?」ママ「はい、5万円ほど」私「マジに!!」。また別の質問はこうだった。3歳児を持つママ「英語をやらせたいんですけど。どのくらいで話せるようになりますか?」私「本当に会話力を習得するには週3日ベースで1年かかると思います。」ママ「他の習い事のあるので週1がせいぜいです。」私「となると、本当に会話力を習得していくのは難しいかもしれません。英語に親しむのはできますが。」ママ「でも他の幼児英語学校に通っている友達はみんな週一で話せるんですけど。」私「どのくらい話せますか?」ママ「名前とか、歳とか。」私「そのくらいなら英語学校に行かなくても話せますよ。」 さて、本題に移る。日本の幼児英語教育はここ10年活発さを増している。街の英会話学校でもネイティブ講師、入会金無料などのキャッチフレーズで生徒集めが盛んに行われている。ランゲージ・ハウスでも英会話クラスを開催しているが、今年の始めから料金改定を行い、週1回のクラス料金の値上げを行った。ただし2回以上の受講は料金据え置きとした。理由は一人でも多くの子供たちが英語を話せるようになって欲しいということだ。日本の英語教育ほど開拓が進まない分野も世界的にめずらしい。日本から多くの視察団がフィンランドなどの英語教育先進国に、時には国費を使って出かけていっているが、こんなことを何十年も続けてこれといった成果がでないで終わっている。成果とは、どれくらい多くの子供たちに自由に英語を使える能力が育まれたかということである。本来国をあげて英語教育に取り組むべきところを、ああでもない、ここでもないとポイントのずれた話で何年も終わっている。たぶんこの状態はそう簡単には変わらない。なぜかというと島国日本にはいまだに英語を話せないとどうなるという危機感が存在しない。例えばであるが、今話題の尖閣諸島問題に、両国首脳同士が生の英語力で交渉することで、領土権を勝ち取るなんてことになって初めて英語教育への意識が高まるのが日本である。こんな悠長な現状につきあっていたら、子供たちが成長するころには、日本は恐ろしいほどに英語後進国になっていると本気で心配している。(つづく)

ムンバイ便り 3

インドの子供たちの英語事情の続きだが、貧富の差がメチャクチャ激しい国で、全うな教育を受けられる子供はほんの一握りである。富裕層は民間経営の幼稚園に行く。月謝も高い代わりに至れり尽くせりのカリキュラムで、ちょっと詰め込み教育の感もある。次が宗教団体、特にキリスト教会が運営する幼稚園、特にインド南部に多く、料金も手頃である。ただヒンズー教とイスラム教の子供たちはまず入らない。仏教徒は軟弱だから入る子もいるが、理由は英語教育が行われている事。最後に村の保育所がある。ここでは英語は教えられない。時たま良心ある村長が子供の将来を思って英語の教師を雇い入れるが徹底しているわけではない。以上の構造から、富裕層の子供たちは小さい頃から英語教育を受ける事ができるため、結果欧米の大学に留学したり、一流企業に就職する路線が引かれる事になる。キリスト教会組はまずます会話はできるが、大学までは経済的に無理な家庭事情の子供が多いから、せいぜい店の店員やレストランの店員がいいとこだろう。インドは村に入れば入るほど英語が通じない。村出身の若者で英語が話せる連中は、そのほとんどが独学で英語を学んでいる。高学歴を取るための英語にはほど遠いが、かれらにとっての英語は生活に欠かす事のできない、生きる糧となっている。そしてもう一つ、独学英語のエキスパートにストリートチュルドレン達がいる。映画「ミリオンダラースラムドッグ」をご覧になった方はご存知かもしれないが、道の真ん中で物売りをしたり、娼婦斡旋や麻薬の密売のアシスタントをしたり、それは想像を超えた職についている子供たちの英語も生きるためのそれだ。自分のボスや兄貴分から盗み取った耳からの英語は力強い。なんせ生きるか死ぬかが英語にかかっているといっても過言ではないほどに、自力で英語をものにする。
さて、今の日本の子供たち、小学校では国際理解とか、外国人とのふれ合いとかなまっちょろいことを言っていると、将来にこの国はどこかアジア列強の植民地と化しているかもしれない。これは全く冗談でもなんでもない怖い現実だ。
今このブログを読んでいただいているパパやママに言いたい。もっと真剣に子供たちの将来と英語を考えてください。

ムンバイ打便り 2

ムンバイがインド最大の都市だということは前回話したが、ニューヨークや東京とは違うダイナミズムがある。その中心が「人」いったいどこからこんなに人が出てくるのかと思うほど、朝からてんやわんやしている。車やオートリキシャは無秩序に走りまくっているが、人々はその間をまるで泳ぐように行き交っている。ママとキッズも平気で車と車の間を歩き抜けてゆく。学校、特に私立の学校のお迎え時間には、校門の前にすごい人だかりができ、完全に道路の一部を封鎖してしまっているが、交通整理のおまわりさんは、車に迂回させている。道路の真ん中でママ同士が立ち話していても、車がよけていく。限りなく無秩序に近いインドの交通秩序だと理解した。
 教育の話にもどる。インドの都市部での教育は英語でなされている。農村部ではそれぞれの州の公用語が使われているが、デリー、ムンバイ、チェンナイといった都市の子供たちは英語を話す。インド英語はアクセントが強く、インド映画を見た後は気をつけないと発音がインド英語になってしまうほど影響力が強い。ところが今このインド英語がビジネスでは強いらしく、押しの強い交渉が必要なときにはインド英語に変わるといった笑い話もあるほどだ。子供たちにとってアジア人、特に日本人はめずらしく、英語で話しかけてくる。このような光景、日本も終戦直後にはあったようだが、今は知らない人に声をかけると連れて行かれますよというママの心配のほうが優先してか、日本の子供が自ら外国人に声をかけるのはまずといっていいほど無くなってしまった。そのせいかどうか、日本の子供はMy name is…, I am 4 years old…までは言えても、その後が続かない。これは3年英語塾に通っていても先生から質問されない限りは会話が進まない状態になっている。いかに日本の幼児英語では先生主導の学習がおこなわれているかの結果である。インドの子供たちは逆に人を質問攻めにする。Japan? where? City? do you like this? What is this? I want this…3、4歳の子供たちが口々に質問してくる光景にこの国のエネルギーが長い将来続くような気がしてくる。ほかでもない、彼らは自分の考えで、自分の言葉を話しているからだ。  つづく

ムンバイ便り

インドのムンバイが横浜市と姉妹都市だということを知っている方は少ないかもしれない。私もある会合で偶然知り、今回のインド出張に合わせて駐在事務所を訪問した。ムンバイ、昔の名をボンベイ、今でも地元住人はボンベイという呼び方が好きだという。1400万人の人口がひしめくインド最大の都市だが、町を歩くと「ボンベイ」という名がぴったりくるような下町的市場がそこかしこに点在する。インドの地図を見ると、デリーが北、コルカタ(カルカッタ)が西、ムンバイは東に位置するが、市民の気質は南に近く、都市にしてはデリーのような緊張感はない。ただ横浜市と比べると、その人間エネルギーはすざまじく、10年、20年先を想像すると、横浜はオシャレな国際都市なんて気取っている場合じゃないと痛感する。それよりも今私たちのもっている、日本が誇れる商品をインドに輸出することはできないのだろうかと考える。それもハードでは将来性がないので、ソフトを考えてみた。
 ランゲージ・ハウスが、保育園、幼稚園、小学校に外国人講師+英語プログラムという形で提供し始めて8年になる。この事業を通して、日本の保育システムは海外でも十分通用するシステムを備えていることを知った。ニューヨークでもパリでも、シンガポールでも、ブラジルでも、オーストラリア、ニュージーランドでも、世界の幼稚園を視察しながら、いつも思うのは「日本はスゴイ!」だった。保育システムが完結に整備されていて、プログラムの流れがわかりやすい、保育士の責任分担が決まっていて、全体の動きが把握しやすい、など、海外の幼稚園にはない機能がたくさんある。もちろん創造力を必要とするプログラムコンテンツは海外の方が秀でているかもしれないが、このシステムだけを取り出し、海外の幼稚園や保育園、特にインドのような女性の社会進出がハイスピードで始まっている国に提供していくことはできないかと考えた(つづく)

NYC冬の子育て

ニューヨークの2月はヤバい。寒いではなく凍っている。アスファルトの下の地面からがんがん冷えが上がってきていて、歩いていても靴の底が凍った感じになる。ベビーカーをプラスチックの幌でおおい、中のベイビーは毛布やダウンでぐるぐる巻きになる。ママもちっとやそっとの防寒着ではだめなので、スキー手袋やスキーブーツで町を歩くの姿は当たり前、パパも帽子を深々と顔が見えないぐらいにかぶらないとほっぺたや鼻が寒さで痛くなる。そんな外の環境のせいか、屋内の子育てスペースはどこも満員。特にインドアプレイパークと言われる室内遊戯施設はムンムンした熱気がただよっている。マンハッタンのアッパーウエストにあるパークの一つは、ビルの二階を改造し、大きなエアーダクトを張り巡らして、子供たちがハイハイして通り抜けられるようにし、南の島をイメージした砂場や海賊船をかたどったジャングルジムなど、テーマパークの屋内版はおどろくほどよくできている。親たちが集えるカフェスペースはスイーツから軽いスナックまで、おしゃべりしながら飲み食いし、子供たちの遊びを眺められるという親にとってはほっとできる時間が持てる。私もある雪の舞い上がる日にこのスペースを利用したことがある。外はマイナスの気温でも屋内に楽しい子供達の声が充満していると、雪もオシャレなNYの町にふさわしいかのように感じてくる。日本では電車に乗り継いでいくとそれらしき施設があるにはあるが、気軽さはまったくない。そこに来ている人たちもお互いに我関せず。飲食も規則がありすぎておせんべいのかけら一つ落とせないこともある。寒い冬、せめて子育てはカジュアルに楽しく、また知らない同士がつながるような雰囲気が欲しい。それでなくとも日本人の冬の顔は無表情、桜が咲かないと笑顔になれないのかと思ってしまう。多分行政には望めないだろうから、意識のある民間企業が日本の子育てファミリーの冬を楽しくしてくれる、そんなスペースを率先して作ってくれたらと日本に戻ってきてからずっと思っている。

まず子供と一緒に英語の本を読んでみましょう。

よく、子供の英語学習をどのように家庭でサポートすればいいかという質問を受ける。私の答えは簡単で、まず本を読むことをすすめる。1ページに大きな文字で3〜4センテンスもあればいい。挿絵は楽しいほうがいい。親子リーディングは2歳児ぐらいから始めると効果的で、ママやパパと一緒に座って本に集中する学習習慣が次第についてくるようになる。
 子供はじっとしているのが嫌い、元気に走り回ったほうがいい、というのは理解できるが、2〜3歳の間に鍛えられる集中力は走り回ってばかりいては作れないし、この時期から本に接している子供と、まったくその機会を持たない子供では将来のリーディングスキルに大きな差がでるのは証明されている。
 英語の本は若干高いというイメージがあるかもしれないが、TUTAYAでも子供向け英語の絵本が¥300ぐらいから手に入るので見つけてほしい。AMAZONでも新品が¥800ぐらいから販売されている。
 英語の本を読むときに発音は気にしなくていい。確かに毎日12時間ぐらい日本人アクセントの英語を聞いていたら影響がでるかもしれないが、大切なのは発音ではなく、日本語とは違った音が耳に入ってきて、だんだんその意味がわかるようになるということ、そして話を聞くという習慣が育っていくことである。海外の子供達が一度は読むというベストセラーがある。日本の子供達が同じ本を読み、それが幼い頃の記憶に残っていると、いつか共通の話題を世界の誰かと共有できる。素敵なことだと思う。

英語を習い事にしないために。

日本の子供達は、アジアや他の非英語圏の子供たちに比べて会話力がないと言われる事がある。これだけたくさんの英語塾や英会話スクールがあるのに子供達の英会話力が伸びない一番の理由、それは親達の英語に対する考え方かもしれないと思っている。北欧のように行政が子供達の将来を考えて義務教育の中に毎日充実した英語カリキュラムを導入してくれれば親のせいにしなくてすむのだが、日本の行政に長期的な子供達の英語教育を託す事は難しいことを悟っている。日本に帰国して以来、いろいろな機関に出かけては英語教育の重要性を説明してきたが、どこも本腰を入れて取り組もうとはしなかった。一部小学校英語の導入などで動いているが、とても10年先の子供達の将来を見据えて考えられてプログラムとは思えない一過性のおなだめ英語である。こんな効果の見られない英語学習をやっているうちに隣国中国、そしてアジア諸国での英語教育、とくに会話力はぐんぐんと力をつけている。国が一丸となってやっているのもそうだが、なによりも親達が子供の英語力は、将来グローバルな社会に生きるために必須のことだと理解している。ここでグローバルというと拒否反応を起こす方もいるかもしれないが、今ではスマホ一つとっても一国の技術だけでは成り立たないし、その通信技術や手段も日本だけではまかなえない。私達の回りにあるもののほとんどがグローバルな環境で作られ、使われている。企業ではTOEICのスコアーを英語力の基準としているところもあるが、それ以前に英語によるコミュニケーション能力を最優先にしている企業が世界の舞台で活躍している。社会に役立ついいものがあれば世界の果てまで追いかける、そんなベンチャーな企業も英語をベースとしてコミュニケーションが行われている。また日本の伝統美を世界に発信している企業も、日本の良心を海外に紹介するために必死で英語を取り入れている。
 話をもどす。英語はすでに習い事の域ではない。週に一度の習い事英語から、子供の将来を考え、他の習い事を整理していく、すくなくとも週に2度の英語学習を可能にする。こんな考え方の親に育てられた子供達が、将来自分の言葉を世界に発信できる、グローバル社会に強い若者としてのたくましさを発揮できるのではないだろうか。これは私の理想論ではなく、5人の子供達にさんざん習い事をさせ、どれも趣味の域にすら達せなかったことを反省し、それにかけた時間と費用がどれくらいのものだったかに驚くとき、子供の将来を真剣にみつけている親達に伝えたい真剣なメッセージである。

横浜市の雪対策にもの申す。

NYが大雪になると、市が瞬時に除雪車や岩塩散布車を出動させる。目的は交通のラインを確保することと、歩道を通行可能にすることだ。雪になれているせいか、この行動はかなり徹底されている。車道への岩塩散布は、多少アスファルトをいためるものの、車が立ち往生して渋滞を招いたり、轍にはまる車を防ぐには一番手っ取り早い方法だ。これらのコストは市の予算であらかじめ確保されているから、よっぽど予想外の雪が降らない限り、除雪車は出動する。そして、これらのサービスの背景には、もう一つの理由がある。いわく、医療費の削減だ。雪がアイスバーンとなって歩道を凍らせれば、その上を歩く歩行者にとっては危険きわまりない。まして高齢者にとっては、ちょっと滑っただけで大腿骨骨折につながる。ここでコスト比較だが、除雪車を出すコストと、何人もの高齢者に大腿骨骨折による医療費がかかったのと実は医療費のほうがランニングコストが高くつくという結果がある。であれば、高齢者の多い横浜市は、もっと大雪に対する対策をしっかり、総合的に考えて欲しいと思う。横浜の町の雪景色は美しい、ならば
その対策も美しくスマートであってほしいと思うのは私一人だろうか。子供達に雪でおおいに遊べといった後のブログ記事、若干の矛盾はあるのだが。

2013年を活きる!

新年あけましておめでとうございます。新年を実家のお寺で迎えたました。毎年真言密教独特のお炊き上げを薬師堂で行います。「オンやらやらうんだらうんだら、、」と分けの解らない呪文を唱えて、ホラ貝を勇ましく吹き上げ、大太鼓がドドンドドンと鳴り響くと、なぜか自分の前世は武士だったかしら、と思うほどゾクゾクとして、馬にでも乗って山を駆け下りたくなるほどです。昔の侍たちは、あの音で命知らずの戦いを繰り広げてきたのでしょうか。お堂の真ん中にあつらえた釜から火がたち、めらめらと音を立てて火柱が上に上ってくると、新年のお札を火にかざして1年の無事を祈ります。炎を見ていると、その力強さと自然な動きがショーを繰り広げているようで、従兄弟の住職が「えいっ!」と気合いを入れてお札を拝む迫力と相まって、2013年がここに来たぞ!という新鮮な気持ちになります。
 お炊き上げに感動している間に1:30amを回り、東京の板橋から都営地下鉄に乗り、奥沢まできたら、なんと東急線は4:14amまで電車がないことが判明。都営線は終日運転なのでてっきり東急もと思ったところの誤算でした。その電車には5人の外国人が乗っていて、彼らも車掌とwhat can we do then?とか言っているようす、見るとその中の一人が昨年の10月に我が家でhome stayしていたフランス人のGuillaume君です。なんでも東京タワーにcount downに行ってきたとか、仲間は同じ慶応大学の留学生でフランス、韓国、ベトナムと国際色豊です。奥沢から日吉まで歩くというので、ならば途中まで一緒に行きましょうかと、まったく地理感覚のないまま歩き始めました。ここで地理感覚があったら高くてもタクシーという選択をしたのですが。歩きながら韓国人留学生と先に決まった韓国の女性大統領の話題になりました。慶応で政治学を選考する彼女は、今の韓国の若者にも貧富の格差が明確になりつつあること、若者が学歴があっても好きな仕事を選べない事、若者達の社会不満が限界に来ている事などを話してくれました。私から見ると、韓国の海外進出や、韓国をオリジナルとしたグローバル産業の活躍など、日本以上に活発な韓国経済が見えるのですが、韓国の若者の社会に対する不満は日本の若者以上だというのです。その学生もできれば日本で就職したい希望しています。そういえば以前我が家に居た韓国の子も同じことを言っていました。
 ところで、外国人と話をするたびに思う事は、日本はまだまだ恵まれているということです。フランス人も若者が活きられないフランス社会に不満を抱えています。スペイン人も失業率が現実4割りというとんでもない現実を嘆いています。アメリカ人もローマ帝国になりつつある国の将来に不安を抱えています。中国人も共産党というお化けのような政府がそう長くはもたないだろうと本気で思っています。ロシア人もこれ以上美しい国の女性を日本に出稼ぎに出したくないと思っています。インド人もこれ以上女性が殺される社会はあり得ないと思っています。世界で一番幸せな国と言われているブータン人も、あれは嘘と言いたいと思っています。
 日本はというと、居酒屋で目先の不満や不安をぐちりますが、本気で国の将来を憂いている話はあまり聞きません。きっとまだまだ恵まれている現実があるのです。で、あるなら、もっと活きよ!と私は思います。国がどん底についてから大変だと慌てる前に、他国に比べてまだまだ捨てたもんではない私達の国、この日本を活かすも殺すも私たち次第だということを一度考えてみませんか。政治がだめなら
取り合えず自分のできるところから2013年を活かすことです。少なくても自分だけは、しっかりと前を見ながら活きていることを証明する年にしてください。子供達の将来のためにも。

PAGE TOPへ