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ILH代表黒部のブログ

コロナが与えてくれたもの




こんな書き方をすると誤解を招きそうだが、少し考え方を変えて社会の現状を見てみると、コロナによって町があるべき姿になったと思える部分もある。その一番は公園に子供たちが戻ってきたことだ。学校が閉鎖せれているので当然といえばそれまでだが、公園で無邪気に遊ぶ子供たちの顔を見ていると自由で屈託がない。プラス親たちも三々五々公園にきては子供たちと遊んできる。私は他人の話を盗み聞きする悪い癖がある。特に公園や電車の中で聞く会話は興味深い。最近公園での会話はまさにコロナがもたらした友達作りとも思える。2人の子育て中のママの会話。幼稚園が休園になったのだがお友達が皆遠くに住んでいてママ友とも会えない。仕方なく近所の公園に毎日やってくるのだそうだ。子供は友達がいなくても無邪気に遊んでいるが、ママは一日誰とも会話をすることもなくストレスが溜まっていたところ、公園で同じ問題を抱えるママに出会った。2人は意気投合して毎日公園出会い、子育ての毎日に張り合いができたと言うような会話だった。2人とも通常は会社勤めだと話していた。もう一つの変化はパパママストアーが平常よりもお客さんが集まっていると感じている。実際に人数を把握しているわけではないが今までよりはお客が多い。そして店員さんとお客さんの会話が聞こえる。いつもはスーパーマーケットだけを利用するお客さんも、路面店で空気がよく通り、外から店内が見えるところで買い物をしたいと思うのかもしれない。レストランもよく観察すると路面店には人影が多い。余談だが私が以前働いていた企業がビルディングメインテナンスをしていた。その中の重要業務がダクトクリーニングによる空気清浄作業だった。この企業では世界中のダクトクリーニング、空気清浄システムをリサーチしていた。私も世界的に有名な学者たちと話す機会があったが、スマートビルディングと呼ばれる窓の開かないビルより、昔ながらの窓全開のビルの安全性が数段高いこと皆が口を揃えて言っていた。病院での院内感染の比率も窓を開けられる施設の方が低く、院内感染とダクトクリーニングは非常に密接に関係にあるとしている。コロナにしても室内空気清浄機に頼るよりは窓の開閉を頻繁に行う方が空気の新鮮度は高いのではないだろうか。

人間は高慢である。これでもかこれでもかと欲を追いかける。今回のコロナで中国が目の敵にされているが、資本主義諸国が市場原理に基づき生産拠点を人件費の安い中国に移し、中国も外国資本を引き入れるためになりふり構わずイケイケドンドンを何年もやってきた。どれもこれも欲の追求である。イタリアが大変なことになっているのも、北部はガーメント産業が盛んで、多くの中国人を受け入れてきた。なぜならMade in Italyのタグを維持しながら安く商品を作り、高くさばいて儲けるためにはイタリアで人件費の安い中国人を雇い入れ製品を作らせていた。この中国人達が春節で中国に帰り戻ってきてから2週間、まさにコロナが大ブレークを始めた。フランスにしてもどのくらいの中国人がブランドを支えているかわからない。どれもこれも自分たちの欲が膨らみに膨らみ爆発した結果である。

今一度私たちは幸せの本質を考えるべきである。先日ランゲージハウスに通っていた子供(言ってもすでに大学生になっている)の父親に会った。黒部さん家族の写真見てくださいと言うので見せてもらった。なんと幸せな顔をした家族なんだろうと驚いた。父親は当時から変わらぬ会社で淡々と働き、母親は専業主婦、息子3人は高校生と大学生、親子で串カツをほう張っている写真だったが

幸せに満ちていた。「僕はこれ以上を望まない。」と言う父親の一言がしばらく耳に残っていた。

ハワイ教育移住




近年ハワイ移住が増えているということをハワイ滞在中に知った。といっても農業ではなく「子供の教育」移住である。日本の大手IT企業の部長クラスであったA氏は周りの部下が英語に堪能というだけでグーグルやアマゾンなどのグローバル企業に破格値でヘッドハントされる現実を目の当たりにし、もし自分の子供に英語という武器がなかったら20年後の人生はかなり厳しいと考えた。英語を自分の言葉の一つにしておけば就職先は世界に広がるという理由で家族全員でのハワイ移住に踏み切った。マーケティング会社に勤めているB氏も2025年に世界で一番の長寿国になる日本だけにフォーカスしていてはマーケティング業界での成長はない。英語ができればマーケティング情報が50倍にも増えるという現実を真摯に捉えたいという理由で、3年間のリサーチの後家族での移住に踏み切った。もちろん移住を現実にする背景には経済的な基盤がないと不可能である。ハワイの物価はニューヨーク以上の全米トップ、不動産価格もローンを組めば金利は4%以上、おまけに教育環境の整った私立インターナショナルスクールを選べば年間300万円はかかる。しかし本気でこれら諸問題に向き合い、ある程度の期間をかけて準備をし、本気で移住を考える若いファミリーたちの選択は子供達の将来を見据えた現実的な選択であると思う。A氏が言うように、海外でビジネスを勉強し、自分の言葉で英語を操り仕事のできる日本人ビジネスマンはヘッドハンターたちの狙い目である。同時に日本語にも堪能で読み書き能力が備わっている日本人は世界中で仕事を見つけることができる。私は10年以上前から日本の社会は大きく変わるといい続けている。WEBが発達し世界中がネットワークで張り巡らされている昨今、日本語だけで世界の情報を掴もうとは冗談にも思わないでほしい。ニューヨークに住んでいる娘はSOHO(英語ではSOHOとは言わない)環境で仕事をしているグラフィックデザイナーだ。朝8:00からインドのムンバイとメキシコシティーで働く同僚とスカイプーミーティングをし、ミネアポリスにいる上司にスカイプで報告する。彼女の提案したデザインの図面は上海でラフが作られ、翌日にはニューヨークの本社で最終ミーティングとなる。このようなワークスタイルは娘に限ったことではなくどこでも日常茶飯事だ。ハワイ教育移住を選択できるファミリーはまだ一握りである。日本で海外に通用する教育を考えることが、日本に優秀な子供を育て、ひいては国を強くする力にもなる。早期幼児バイリンガル教育が日本で根付いていくには時間が必要だが、遅からず日本社会が必要とするのは間違いない。ランゲージ・ハウスの子供達がそのパイオニアになってくれることを望む。

夏になってしまった

夏になってしまった。5月にVOICEを投稿してから3ヶ月もたってしまった。
書くことが本職ならとっくにクビになっている。幼稚園のブログということを理由に「きっと保護者も私が忙しいのをわかってくれている」なんてことを思わないのだが、心の何処かに甘えがあるから、ダラシないことになってしまう。
では一体6月7月と何をしていたかを聞いてもらうのも何かの役に立つかもしれないと勝手な「言い訳」の前置きをして書くことにする。
 4月末にインドの南、チェンナイという街に行った。結婚式である。以前ランゲージ・ハウスに留学生として来ていたアンジョリという娘の友達だ。インドの結婚式は初めてだったが、後にも先にも招待客1400人という超大型の式で、延々3日間に渡ってイベントが繰り広げられる。私もサリーに負けられないと着物持参で出席したが、出席者の半分以上を占める女性たちが纏う絢爛豪華なサリーの中で1人の日本人が着る着物は存在感がない。それでも頑張って外気温40度のインドで二日間を着物で通した。私の他にもフィンランド、ドイツ、ネパール、イギリスから来た若者たちは共に日本で高校時代を過ごした経験がある。皆10年ぶりの再会であったが、話題は日本で過ごした楽しく充実した時間、全員が人生一生の思い出というほどに日本での留学体験は貴重だったと話す。インドでは朝昼晩と3食カレーものノーチョイスである。まして南インドはバリバリの菜食主義者が住む街なので、NO MEAT, NO BEERは当たり前。
結婚式は出席者が多いこともあって会場に隣接した食堂にミールの合図と共に入り、着席すると待っていましたとばかりに7〜8人の給仕係がわっと寄って来てバケツの容器から大型おたまのようなもので配膳して行く。飲み物は水だけ。3日間続いた式の最中一日ゲスト一人当たり4本のペットボトルを消費するとして3日間だと16800本のペットボトルが消費されたことになる!
結婚式の内容を書くと100ページぐらいになりそうなので割愛するが、圧巻は1400人のゲストが最終日にプレゼントを持ってやってくる。それを壇上で新郎新婦とその両親が待ち受けゲストにご挨拶をする。これに3時間ほどを要し最後は誰が終了の挨拶をするでもなく3日間にわたるイベントが終わる、と思ったら今度は新婚夫婦が伝統儀式に従って新生活のゲームのようなことを始める。ヤシの実を取ったかとらないか、甘いお菓子のクリームを顔に塗り合うとかのたわいない遊びだが11種類をこなして行くと2時間ほどかかる。ゲストも疲れるが、新郎新婦とその家族は不眠不休状態で結婚式を進めて行く。インドでは離婚率が低いのも、これだけの体力、時間、お金、人を総動員しているのだから簡単には夫婦をやめるわけにはいかないのも事実のようである。新郎新婦は2ヶ月後にアメリカへと旅立った。これだけ超盛大な結婚式をしても国には残らずアメリカに行ってしまう。インドの富裕層は子弟のほとんどを高校か大学でアメリカかイギリスへ留学させる。卒業後インドの給与では留学費用は取り戻せないとばかりにアメリカの企業に就職する。しかしインドで感じていたような家族の絆や深い友人関係などの幸せ感をアメリカで感じるのは難しい。
アメリカに留学し、アメリカの企業で働く、この価値観が根本的に変わる日が来るかもしれない。

令和を考える




平成から令和に年号が変わってお豆腐のパッケージにまで令和マークが付いているのにびっくりしたが、日本人の可愛いところだと外国人に言われ納得した。

令和に変わる前には昭和から平成のドキュメンタリーが数々放映された。その中で私の注意を引いたのは前皇后美智子妃殿下の英語だった。震災の時に宮内庁からたくさん絵本が寄付された。また難民救済事業の一つとして海外にも送られた。美智子妃殿下のスピーチは子供達の教育にとっていかに「本を読む」ことが大切であるかを話していた。話の内容はともかく、私が驚いたのはその品格ある英語だった。台本を見て棒読みしているのではなく、クリアーな英語で聞きやすく、理解しやすかった。美智子妃殿下は聖心女子学院在学中に英語を学ばれたようだが、宮中で英会話レッスンを受けたといえ、コミュニケーション力100%の英語力があると判断する。それに比べ日本の政治家はどうだろう。台本丸出しで、その台本も本人が書いてはいないので説得力に欠ける。自分の言葉ではないのだ。反対に外交官で英語ができすぎるとそれをひけらかすあまり英語が一人歩きしてしまい会話が追いつかない。この二つの欠点が全くなく、また説得力のある英語を話す美智子妃殿下のような外交官や政治家が日本でも生まれてほしいと思う。

 さて、令和の英語教育はどうなるのだろう。短視眼的には大きな変化はないと思うが、長期的に捉えると英語コミュニケーション能力の必要さを自覚する若年層が増えてくると思う。一つには外国人が日本の労働市場に入ってくると英語ができない日本人にアドバンテージがない。例えばコンビニの販売員も日本語だけより多様化した顧客に対応できるマルチリンガルを採用する。交番のお巡りさんは日本人でないと仕事にはつけないが、英語ができることで中央の部署に配置される。(すでに現実)タクシーの運転手さんも英語ができると新車に配置されるなどなど、英語ができることで損をすることはない社会になってきている。ところが現実はどうだろう。小学生、中学生、高校生、そして大学生の保護者がどのくらい英語教育を真摯に捉えているかを考えると寂しいものを感じる。エクスキューズとしては「塾があるから」「サッカーがあるから」「ピアノがあるから」というのだが、それはそれ、英語は英語である。サッカー選手になりたければ幼年期からの英語教育を継続する。万が一選手にはなれなくてもインターナショナルなアスリートの世界で仕事が見つかる。塾は良い学校に入るためのものだと理解しているが、良い学校の入試はもっともっと英語に比重が置かれるようになることは大学入試制度の変革が明らかだ。ピアノは趣味の範囲から出ることのできる人は一握りであるが、英語を通してより広く深くピアノを知ることができる。習字でさえ英語ができれば外国人に教えることもできる。というように「英語ができるとプラスがくる」という意識を持って学習に当たれば人生はもっと広く楽しいものになる、簡単すぎるこの現実をゲットするのはあなた次第である。

小学校の英語教育の在り方と保護者の役割




 文部科学省の資料を見て驚いた。まさに私が日頃保護者の方々に声を大にして話していることと一緒だからである。例えば●バイリンガル教育を行うことによって、国語の学力が低下したという研究結果は生じていない。逆に自分の考えを表現する力や日本語を使う積極性が育まれている。●外国語教育と国語教育をすり合わせて、言語教育として共通の目標に立つことで小学校の段階で相乗効果が期待できる。●国語と英語の相乗効果を狙うべきである。お互いの言語に良い影響をもたらすというフィードバックが必要である。●英語や国語を通して、言語や文化に対する理解を深めることを目標に、言語の面白さや豊かさに気づくことで言語への学習意欲が高まる。●グローバル化が進む中で、国際社会で活躍する人材の養成ということだけではなく、日本人自身の国際化を考えないとアジアの中でも取り残されてしまう。●国際的なコミュニケーションツールとしての英語という位置付けをする必要がある。国際戦略として検討していくことが重要である。

などなどもっともなことを云々しているのだが、実際に小学校の現場で行われている、また行われようとしている英語教育の現状とは隔たりがあるような気がする。同じ文科省の見解の中で海外の英語教育の現状を紹介している。●中国では2001年から必修化を発表し、段階的に都市部から導入。2005年には小学3年生から週4回以上のクラスを実施し、6年生までに600〜700の単語を学習する。

現時点での中国の英語教育は地域差こそあれ、日本以上にシビアーに取り組んでいることは間違いない。お隣の国が熱く英語教育をしているのに日本では未だに2020年からの英語教育の具体的な方法がバラバラで、各校長の采配によるところが大きい。これは本当に困ることで、英語に関心のない校長先生のいる学校に行ってしまうと、不足部分を担保するために英語塾を選択し、what is your name, how old are you? What is this color, what is this
shape
など、子供達でさえまたかと思うような学習内容にお金を払うことになる。正直各公立学校の校長先生の英語に対する意識には個人差が大きい。私も何人もの校長先生にお会いしているが、小学校英語の将来を真摯捉え考え行動を起こそうとしている先生と、英語を厄介者と考えている先生とでは、学校としての英語の取り組みに大きな差が生じる。文科省が上からの英語教育指針として、校長先生はこれとこれは必ず導入しなさいというような決まりがあった方がいいようにも思う。

 この3月に卒園する園児さんの保護者の方々に重ねてお願いしたい。英語教育にはしっかりと取り組んでほしい。子供達が大人になる頃、日本には今より多くの外国人が住むようになる。また海外との交流ももっと多くなり、残念ながらグローバル企業の海外植民地政策は止まらない。少なくとも英語を自分の言葉として話せれば、どんな状況になっても食いっぱぐれはない。情操教育のためにピアノや心身のバランス強化のためのサッカーも大いにやってほしい。しかし英語は習い事の範囲ではない。日常での毎日の積み重ねである。塾に行かなくてもできることはたくさんある。塾で毎回名前や色や形を云々する英語学習は過去のものである。子供達のためにできることを考えてほしい。私はバイリンガル小学校のことを考える。

2019年 あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。

2019年がスタートする。今年はどんな年になるか、半分が運、半分は自分の努力次第というところだが、その「努力」について心に残る話を聞いた。年末に社員の結婚式があり、テキサス州ダラスに飛んだ。ケネディー元大統領が暗殺された街として世界中から観光客が来る。しかし広大で見渡す限りの平原の中にある街である。どこに行くにも車が必要になる。16歳以上の家族が4人いれば車は4台必要というのが常識で、なければウーバーかタクシー以外にない。招待された結婚式の会場はダラスのダウンタウンから車で40分ほどかかる郊外の住宅地、といえば聞こえはいいが英語ではこんな場所を”middle of nowhere”という。そんな僻地に行くにはタクシーしかない。聞けばメーター制だという。日本で40分タクシーに乗ったら軽く1万円はするがここも同じようなものである。腹をくくるしかない。私は海外でタクシーに乗るとドライバーと話すのが好きだ。特にアメリカの運転手たちは世界中から来ているので、アメリカの生活の大変さ、自国の問題、家族がいれば子育てのこと、将来の夢など現実的な話が聞けて面白い。今回もクリスマスが近かったので ”Do you have a family?” から話が始まった。

フランチェスコはシチリア移民の息子で、本名はフランチェスコ17代というのだそうだ。そのフランチェスコが結婚し双子の男の子が生まれた。ところが1年後にまさかの双子が今度は女の子で誕生した。そしてまさかは1年半後にまた起こった。女の子が生まれた。3年の間に5人の子供が生まれてしまったのだった。しかし子供達が5歳になった時、母親は育児のストレスから家出をした。フランチェスコは妻を追いかける時間もないままシングルファーザーになった。昼間は家業の薬局で働き、夜は子供達のご飯を作り、土日はアルバイトに勤しんだ。カトリックでは簡単に離婚はできない。奥さんが行方不明でも本人の承諾なしでは離婚はできない。できなければ再婚はできない。当時のテキサスは非常に保守的で、妻に逃げられたのなら子供は父親が育てなさいという考えが普通であった。フランチェスコはがむしゃらに働き子育てをした。同時に躾もした。嘘をつかない、人に迷惑をかけない、人を助ける。簡単なことだがこれをしなかった時には、ズボンからベルトを外し遠慮なく子供達をひっぱたいた。今でもトイレに行くためにベルトに手をかけるだけで” Dad, please not!” というジョークが出るぐらい子供達には厳しい父親であった。そんなフランチェスコも子供達が大学に行く時は500ドル手渡し、「これは自活のスタート資金、学費は奨学金で足りない分はパパが送る。ただし生活費は自分で稼げ。」と言って5人を送り出した。3年間に5人を大学に送り出すには気の遠くなるような学費が必要になる。兄弟が多いので奨学金をもらえる確率は高いが、それでも5人分だ。フランチェスコも保険金殺人を考えたと冗談を言っていたが、冗談とも思えない現実がそこにはある。幸いにも子供達は幼い頃から父親が働く姿を目の当たりにしていたおかげで、4人は親の言いつけ通り地道な大学生活を送った。ただ一人次男だけは違った。ある日次男の部屋に入ったフランチェスコは「お前ドラッグやってるのか?」と聞いた。薬剤師の彼は匂いでそれとすぐわかる。次男は正直に麻薬をやっていることを認めた。それから2年間フランチェスコは次男を片時も離さずに店に置き寝食を共にした。外出も彼がドライブして出かけた。効果があって2年で次男は麻薬から抜け出すことができた。今は弁護士となっているが、2年間影のように息子に付き添うことの大変さは新生児の育児より大変だったというのだから苦労のほどがわかる。しかし続いた。双子の次女がハワイで同棲を始めた。ただどうも様子がおかしいと気づいたのは親の第六感だろうか。感はあたり娘が暴力を受けていることが発覚した。フランチェスコは自分の父親を同行して(父親は体が大きく嶮しい顔つきだという)ホノルルに飛んだ。無言で娘のボーイフレンドに向き合うと一発大パンチを食らわせた。娘は突然の出来事に泣きじゃくるばかりだったが手を掴み再度男に蹴りを入れてその場を去った。車で30分ほど走った後に自分のしたことの怖さにブルブル震えたと。今この娘は別の男性と結婚し、薬剤師となって幸せな家庭を作っている。

こんなスーパーパパを現実に演じてきたフランチェスコだが、娘たちの結婚式にはバケツいっぱい泣いたという。それぞれの娘の式は豪勢でたくさんのお客が招かれた。シングルファーザーの娘ということで自分を卑下してほしくないという親心だという。このレセプション費用は全てフランチェスコが賄った。娘が生まれたその日からせっせと貯金していたから可能だった。

フランチェスコは決して裕福ではないが、だからと言ってタクシーの運転手をしているわけでもないという。薬局にいると接する人間が限られているので、タクシーは世界中の人に出会う自由な時間だという。これは彼なりの解釈かもしれないが、ニューヨークでも同じような考えの女性ドライバーがいた。1ヶ月前までアマゾンでマネージャークラスの仕事をしていたが、一日パソコンと向き合っていると自分が世界から遠ざかるような気がしたという。

さて、フランチェスコの話の結末は6人の孫たちの話となるが、気がつくとダラスダウンタウンに到着していた。車から降りて初めて見えたフランチェスコの顔はちょっと疲れた天使のようだったが、一生懸命努力しながら生きてきた証なのだろうと思いいつもはそこまでしないタクシードライバーとのハグをした。





翌日がクリスマスイブ。なんだか素敵なお父さんの格好をした天使に会った気分になっていた。

フランスの英語教育事情




 フランスの南に位置するトウールーズは航空機で有名なエアバス社がある。またグローバル企業の誘致も活発に行っている。そんな環境を背景にこのバイリンガルスクールができた。設立当初は幼稚園のみであったが、数年後に卒園児を受け入れる小学校を徐々に作り始め、現在はプライマリースクールと呼ばれる6歳から12歳までのフランス語と英語のバイリンガルスクールを運営している。
システムはランゲージ・ハウスとは違い、週の3日はフランス語、2日は英語というように分けられている。実はランゲージ・ハウスもこの方法を短期間試みたこともある。しかし母国語の影響が強くなりすぎ、子供達が言語を切り替えるのが難しいという結果から取り入れていない。実際ここでの子供達の通常会話はフランス語であった。
フランスでは英語の先生は9割がイギリス人でアメリカ人は珍しい。国同士が近いこともあるが、格式張った教育が主流のフランスでは、アメリカ的なカジュアリティーを教育に取り入れることは考えてはいないようだ。
一方バイリンガルスクールではないが英語の授業を積極的に取り入れている学校も訪問した。いわゆるミッションスクールであるが、私立であっても授業料の取り方がユニークで神の思召しに従って経済的に大変な家族からは多くを徴収せず、余裕のある家族からはしっかりと貰う。これが可能な背景には、全教師の給料は行政から賄われている。日本の認可保育の制度にも似ているが、プログラムなどは自由に構成していて学校独自の方針で運営されている点が違う。英語の授業も公立学校は週に2時間のみなのに対して毎日行われる。音楽の授業もイギリス人が行っていて全て英語である。プログラムは全て校長によって導入が決められる。ただ英語による音楽プログラムはアメリカ人の行うようなクリエイティブなものではなく、生徒全員が同じように先生の指示に従って動く。今回の訪問で感じたのだが、フランスの教育は教師が主導となって生徒は「いい子であるべき」クラスが良しとされるような保守的面を感じた。実際ニューヨークや東京で見たフランス公認学校でも、ディベイトなどで個々が意見を言うようなクラスではなく、先生の話しを聞くことが重要視されている。そのせいか全員で英語を話す時はできても、1人で発表となると難しいという場面が見られた。
フランスの教育委員会曰く、英語教育に関しては成功とは程遠いシステムが今も動いている。しかし日本はこの失敗システムとほぼ同じものを2020年度から小学校の導入しようとしている。日本人の担任による、日本人が選ぶ英語のテキストによって、毎日行われないプログラムがそれである。フランスではこのプログラムが導入されてから数年経つ。子供達に英語習得のプログレスが見られないまま改良はおこなわれていない。よその国で成功しなかったことが日本で成功するとは決して思わないのだが、せめて他国での失敗を教訓としてくれることを強く望む。同時にランゲージのような民間が強い意識を持って日本の英語教育に貢献することの大切さを再認識する。
ところで1つフランスの学校から学びたいことがある。給食である。私立学校での情景なので一般的ではないかもしれないが、サラダの前菜から始まり、魚のメインディッシュ、なんとチーズが出てヨーグルトのデザート、パンは勿論バゲットというメニューが3歳児から提供される。さらに驚くのは3歳児でもナプキンで口元を拭くことを心得ている。日本食が世界遺産になったのだから、フランススタイルとは言わなくても日本の美しい食文化を給食を通して教えられるような学校が日本にも必要と考える。これは食育というより文化教育である。

フランスの幼稚園訪問記




 この11月、フランスの南トウールーズにあるバイリンガル幼稚園と、英語教育を重視している小学校を見学した。目的は2019年に予定しているフレンチプレスクール(フランス語バイリンガル保育園)の開園に伴う現地でのバイリンガル保育の現状と、保育士の労働条件、そして同県にある教育委員会での英語担当者とのミーティングだった。まず何故フランス語保育園なのかを説明する。

 ランゲージ・ハウスバイリンガル幼稚園がスタートして来年で9年目になる。今やっとランゲージバイリンガルメソッドの形が見えてきている。これを英語から他言語に変換した時、これからの日本に必要な言語は何かと考えた。現実だけに目を向ければ今日本に多く滞在している中国語や韓国語、ベトナム語といった言葉を話す人たちをターゲットするべきかもしれない。一方でランゲージ・ハウスには多くのフランス人が働いている。ほとんどが男性なのだが皆それぞれに日本人の奥さんやガールフレンドがいる。中には子供のいるスタッフもいて家庭でのバイリンガル教育に熱心である。彼らと話していると日本ではフランス人とのカップルが増えているという。確かに仕事以外でもこの組み合わせのカップルにはよく会う。フランスでも何人かのカップルに出会った。この現実を裏付けるためにフランス大使館や東京にあるフランス商工会議所などでマーケティングをした。現在フランス政府公認の学校は板橋区にある。また北区に新しくフランス語幼稚園が開園されるらしい。しかしどこもバイリンガルではなくフランス語のみの教育である。私が手掛けたいのはフランス語と日本語の基本バイリンガルに英語教育を挟むサンドイッチ教育である。学校を作るなら夢がないと作れない。こうしようああしようと描けなければ学校はできない。

 フランスの学校は3歳〜6歳がキンダー、そこから12歳までが小学校となる。0〜3歳までのナーサリーは有料であるが、幼稚園、小学校は基本的に無料である。私立校やインターナショナルスクール(現地ではアメリカンスクールかブリティッシュスクールに分かれる)は法外な学費をとるが、語学をしっかりさせたければ選択肢としては適切かと思う。何故なら小学校での英語教育は将来的に期待できないのが現状である。公立の小学校では3年生から週に2時間、フランス人教師によって英語が教えられている。しかしフランス人の児童に適した教材を使用しているわけでもなく、教師の技量に左右される。テキストブックはイギリスの市販のものがほとんどで日本の英語塾のものとあまり変わりはない。教育委員会でのミーティングも話しが英語になるとあまり積極的ではない。





曰く「フランス人は美しいフランス語を話すことが何よりも大切です。これなくしての英語教育はありません。」と言い切るが、このセリフは何処かの国でも聞いたような気がする。確かにフランス語は美しい言葉で、フランス人のプライドは言葉にありといっても過言ではない。しかし社会は刻々と変わり、EUの中でも英語が下手くそな国の一つに数えられているフランスはその現場を直視すべきである。またそれ以上に心配なのは我が国日本である。すでにフランスで失敗している小学校英語教育と同じものをこれから小学校に導入しようとしている。一体この根拠はなんなのだと問いたい。(続く)

子育ての悩み

 現役で子育てをしている方々の中で、悩みゼロの人はまずいないと思うのだが、
日本のような保育園が確立していないアメリカでは、子供の預け場所が見つからないというのは非常に大きな悩みとなる。
 アメリカで未就園児の子供を預ける場所といえばベビーシッターか託児保育。しかし両方ともべらぼうに料金が高い。5人の子供たちが幼かった頃、私の生活の70%が主婦だった。残りの30%を物書きの時間に当てていた。数年後に本物のジャーナリストになるのだが、まだ長女が生まれて間もない頃は自己満足での執筆なのでギャラも雀の涙ほど、しかし一度ベイビーとの分離時間を味わうと、自分の時間がもてる快感が癖になった、なんというか麻薬みたいなもので3日ぐらいは大丈夫だが4日目になると無性に自分の時間が欲しくなる禁断症状がでる。
そこで探したのが保育おばあちゃん。1時間$8で朝8:00から夜8:00まで預けられる。ただ保育室はおばあちゃんのキッチンなので生活感丸見えでおせいじにも綺麗とはいえない施設だった。しかし考えてみると子供たちはそのおばあちゃんに大変お世話になったばかりではなく、ベイビーとしての一般常識を教えてもらったと思っている。簡単にいえばsharing, giving, loving の実践である。お友達とは必ずシェアーをする、持っていない子には与える、お友達を心から大切にするというようなことだが、おばあちゃんはこれを徹底的に躾る。ある日息子を迎えに行ったら”your son doesn’t know how to share the things with other kids! you have to train him at home!” と言われた。息子から裏事情を聞くと、持参したプラレールを友達とシェアーしなかったからだという。自分のもだからしょうがないじゃないかと思って翌日おばあちゃんに聞いた。帰ってきた返事はこうだった。”it is not important to share the thing but more important is to share your heart”なるほど、物はともかくシェアーするという心が大切というおばあちゃんのしつけは柱がある。またトイレットトレーニングも徹底していた。まずは子供に今日使えるオムツの数を教える。もし足りなくなったらお尻丸出しになることを教える。これがとても恥ずかしいことだと教える。これを繰り返し話し、また実際にトイレでトレーニングするときは最大限褒めてあげる。次男は保育おばあちゃんの家に通い始めて2ヶ月でオムツとさようならをした。おばあちゃんは子供と話すのがとても美味かった。スナックタイムなど覗くと、まるで茶飲み友達と話しているように子供たちと会話する。
今考えると衛生面では決して褒められたものではなかったが、それ以上に子供たちの心の安心を作れる場所であり、同時にしつけを自然な形で育むおばあちゃんの知恵が凝縮したところであった。
 今の日本の保育は、安全面はともかく、衛生面、学習面などに特化するあまり幼児期の子供たちと何を話し、何を聞かせるかの時間を取れないところが多い。保育というシステムの中で子供たちが一元化して行くことだけは避けなければいけない。

英語の素地力

 平成26年に行われた小学校外国語活動実施調査によると、小学6年生までは英語嫌いが10.9%だったのが、中学1年生では18.4%、2年生ではなんと27%に上昇するという。原因は中学で読み書きや文法が始まった時についていけなくなる子が多いということなのだが、ここに英語の素地力が備わっているかどうかが問題となる。素地力というのは幼児期から段階的に培われる力である。その第一歩が「聞く力」である。同じ言葉を何回も聞いているうちにその意味がわかるようになり、次に話せるようになる。例えば”Yummy”(美味しい)をお母さんが赤ちゃんに何度も言っているうちにその意味がわかり自分でも”Yum”と言えるようになる、これがコミュニケーションの始まりである。言葉を聞き取れた、自分の伝えたいことを言えたという喜びや、感覚がコミュニケーションの素地力となる。外国語活動で歌やゲームはおきまりのプログラムであるが、ここで大切なのは音声に慣れ親しむことで、慣れ親しむということは継続性を持って日々の生活の中で聴くことを習慣化していくことである。
 英語に限らず全ての教科に言えることだが、わからないと教科はつまらなくなる。何を言っているのか、何を勉強しているのかがわからなくなる。それが引き金となってズルズルと成績にも影響する。大人だって複雑な機械の操作方法がわからないと使いたくない、使えない、となる。それと同じである。
 日本で英語が難しくなってしまったのは戦後である。それまでは外国のことを知ることのできるツールとして、明治時代の若者たちはこぞって英語を勉強した。彼らには外国を知り、外国を学び、外国を追い越し、日本を守れという大義名分があったので、素直に反復練習をし、必要であれば英語で考え回答し、和訳をするために英語をひっくり返すことはしなかった。つまり英語のニュアンスをしっかりと学んでいった。ところが戦後になると英語に対するコンプレックスからか、文法や「基礎英語」というローマ字に毛の生えたような学習方法が一般的となり、それにローマ字の弊害が重なって英語はわからない、つまらない、日本では役に立たないという風潮が一般的になった。
 しかし、時は2018年、戦後70年以上たった今、社会は変わり、英語の位置づけも変わっている。いつまでも英語は難しい、わからないでは世の中についていけない。グーグルは引き続き翻訳ソフトを開発するだろうが、自分の言葉で相手の顔を見ながら話すのと、携帯を見ながら話すのとでは、目的への達成度が俄然違う。
 話を素地力に戻す。幼稚園、小学校と素地力を育む期間は基本6年間だと思ってほしい。他の習い事への束縛がなく、「聴く」ことに抵抗を感じない、もっと知りたいという本能が動く時期に将来につながる英語の素地力をつける。これが将来への大きな投資になることは間違いない。

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