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ILH代表黒部のブログ

夏休み後半戦

夏休みも後半に入った。夏休みが6月から始まるアメリカでは、8月も後半に入ると町中で”Back to school”のキャンペーンが始まる。そのせいか自分たちも心の準備ができるというか、6、7月を乗り切ったのだからあと2週間はなんてことはない的な感覚で過ごせる。ところが日本ではお盆休みと同時に家族の夏休みがあり、実家に帰省して楽しい時間は過ごすものの、お金も体力も使い果たし状態になるので、残りの2週間は楽ではないような気もする。
 先日ある著名な幼児教育の先生が「夏休みは子供も休む時、できるだけおうちでゴロゴロさせなさい。」と言っていた。確かに学校での学習に加え習い事やらサークル活動やらと、子供といえども休む暇なしに時間を過ごしている。そうなると自分で考えて行動することが希薄になり、スケジュールで決められたタスクをこなすだけの毎日、そこから解放されて自分で好きなことを考え、自分で遊びをクリエイトするチャンスは夏休みにありである。しかし実際は親が働いていたり、小さな兄弟がいたりすると「ゴロゴロ」はネガティブな行動として捉えられることが多い。「ゴロゴロしてないで夏休みの宿題やっちゃいなさい!」とか「ゴロゴロしないでお友達と遊んで来たら?」とかを言ってしまった親は私だけではないはずだと思う。
 イギリス人ママから学んだ子育ての一つに、ダラダラするならあなたも一緒にダラダラしなさい。」ということだった。それも時間を決めて。全くイギリス人らしい考え方なのだが、夏休みのある日、時間を決めて家族全員でダラダラする。場所は自分の家なのでお金はかからない。パパが会社を休むかは仕事次第。強制はしない。このイギリス人家庭では新聞記者であるパパも会社を休んでダラダラdayに参加した。偶然にも私はそのダラダラデイに遭遇した。午前11時、ママはジャージ姿でソファーに腰掛けコーヒータイム、パパはローリングストーンズを聴きながらアルバムの整理、4人の子供たちもそれぞれに好きなことをしている。部屋の中は散らかり放題でも楽しそうな家族の雰囲気が満ちていた。ランチ作りもそれぞれが好きなものを作っていいことになっていて、子供たちはパンケーキを作り始めたが、ママは私とのおしゃべりを止めるでもなく手伝ったりはしない。パパはイギリス人の好物チェダーチーズとエールビール、そのうちゴロリとカウチに横になりヘッドホーンをつけると昼寝を始めた。
子供たちはかなりの勢いでキッチンを汚していたが、ママは我関せず、これからシャワーを浴びるからちょっと待っていてねと席を立った。これが日本だったらどうだろう。まず友達が来ると言って部屋の片付け、子供同士で遊ぶというとそれなりのセッティング、ランチ付きであればママが奮闘して何か作る、ましてパパがお休みで家にいるとなると、悪いけどこれからママ友が来るから自分の部屋にいてくれる?なんてお願いすることになる。つまり人前でダラダラすることはちょっと恥ずかしいことと考える人がほとんどなのではないかと思う。
 ダラダラデイは、その日に人配達人が来ようが、友達が来ようが、そんなものに左右されず、また家族からも指示を受けない。やりたいように自分で一日を作る。お金はほとんどかからない。夏休み後半の一日、こんな日を作ってはどうだろうか。

バンドエイドのお話し

多分どのご家庭にも常備しているバンドエイド。その歴史は古く1920年にアメリカ人のアールさんが発明した。きっかけはアールさんの奥さんに切り傷や火傷が多く、自分が家にいないときでも奥さんが一人で手当てできるように綿布とテープを貼り合わせて作ったものがそれだった。当時は長いテープを必要な長さだけ切って使用していて、現在のような形になったのはだいぶ後のようである。発明とはすごいもので、今ではふわふわバンドエイド、ウオータブロック、タフガード、キッズパワーパッドと新商品開発に余念がないが、最近ちょっと思うことがある。ちょっとした切り傷やスリムキにバンドエイドは本当に必要なのかいう疑問である。ランゲージ幼稚部でも1日に何度か園児たちがバンドエイドを求めって保育士のところにやってくる。ところがよく見ると本当に小さな切り傷やスリムキ、ぶつけて赤くなったというようなことが多い。
私も5人の子供たちを育てているときバンドエイドは必ず常備していた。男の子はスパイダーマン、女の子はアリエルやシンデレラとカラフルなものを用意し、バンドエイドを貼れば痛いの飛んでけ!とばかり、ちょっとしたおまじないの役目もしていたように思う。ただバンドエイドを貼るのは血を流した時だけで、切り傷でも自然に血が止まっている状態の傷はそのまま自然乾燥させていた。しかし今の世の中、「もう血が止まっているのでバンドエイドしなくても大丈夫です。」と行ったら、なんとひどい学校だろうと思われてしまうかもしれない。
 友人に救命士がいる。あるとき私は彼女と一緒にいて蹴躓き足の爪が半分剥がれそうになった。血は出るは痛いわでバンドエイド、バンドエイドと騒いだら、プロの応急措置は?傷口は洗うこと ?綺麗なティッシュで止血すること
?バンドエイドは使わないこと ?ガーゼとサージカルテープで2〜3日保護すること、だった。傷の味方バンドエイド無くして大丈夫だろうかと半信半疑だったが、驚くことに傷は早く治っていった。彼女いわく、バンドエイドは自然治癒力を抹消してしまうことがあり、バンドエイドを使いすぎると傷に対する抵抗力がなくなるというのだった。
 バンドエイドに限らず私たちの身の回りには、抗菌、除菌、殺菌と全ての菌を子供達からプロテクトするものがたくさん売られている。しかし自然治癒によって子供達に抵抗力ができ、またバンドエイドを貼らなくてもいつか傷は治るという自然体での対応も大切ではないかと考える。地球上にはバンドエイドがない国がたくさんある。ましてそれらの国の衛生状態は日本より徹底的に悪い。
それでも子供達は力強く生活している。
 もちろんみなさんの大切なお子さんをお預かりする以上園からバンドエイドをなくすわけにはいかない。がしかし子供達にはバンドエイドがなくても大丈夫だという人間が本来持っている治癒力の話は聞かせたいと思っている。将来どの国に住んでも生きていける精神を育みたい。

ママの声の届く大切さ

ママの声が届くことの大切さ

英語リトミックのクラスでいつもママ達にお願いすることがある。”repeat after me”である。リトミックでは英語の曲を分かる範囲でいいので一緒に口ずさむことをお願いする。何故なら1〜2歳児の耳にはママの声がダントツに早く届く。曲の中の歌声は軽く認識するが、私の声など雑音程度の認識しかない。
ママが声を出すたびにベイビーたちの言語がより育まれるということである。
面白いのはそのリピートが英語ではなく日本語の場合もある。例えば”This is red”というと、「ほら、赤だってさ」と訳してくれるママ。黙っているよりはよっぽどいいので思わず微笑んでしまう。

最近「日本語はなぜ美しいのか」(黒川伊保子)と「英語教育の危機」(鳥飼玖美子)という本を読んだ。どちらも英語教育の危機と、現在の英語教育を憂いた見解を述べている。特に黒川さんは手厳しい。「日本人がその風土で培われなかった言語を使うようになるのは危険である。」とした上で、日本人の外国語教育の開始適正年齢は12歳、ただクリエイティブな職(事業家も含む)につきたければ8歳頃からが望ましいとしている。黒川さんご自身がAI開発に関わる言語学者であるので、脳の発育を科学的に捉えての意見なのだとも思う。曰く、脳は3歳までに母親との密接な関係により言語構造の基盤を作り上げるとし、3歳までは母親たるもの赤ちゃんに喋りまくれと言っている。3歳からは言葉の語彙が増える。語彙とは記号として口に出せる言葉のことで、脳の中には記号化していない言葉の卵が実際に口に出る言葉の何千倍も詰まっているので、この時期にあって外国語の入る余地はないとの意見もある。確かに一理あるが、言語学だけで
絶対にそうと判断されては困る。何故なら私の子育て体験の中で出会った諸外国のママ達は、時に3ヶ国語ぐらい日常的に話す。例えば中国人の友人はご主人がアメリカ人なので日常は英語、母親も同居しているので昼間は中国語、お手伝いさんがチリ人なので必要に応じてスペイン語となる。その間にいるベイビーは質全的に言葉の卵が増えていくのだが、このベイビーが幼稚園に上がる頃には3ヶ国語を使い分けていた事実があるので、言葉の引き出しは一つの言語とは限らない。

私の持論だが、英語を習ったからといって日本語がダメになるという考え方は極論すぎる。まるで戦争中の日本軍のようだ。それよりも日本語と英語の共存が産む利点をしっかりと捉え、それなりのシステムの上でバイリンガル教育をすることが子供達の将来に有益なプレゼントを残すと考える。マスコミは英語へのバッシングに走っているようで、大人達の技量の狭さを感じる近頃である。

「小学生に英語教えて国滅ぶ」の記事

「小学生に英語を教えて国滅ぶ」の記事から

ランゲージ・ハウス幼稚部の卒園式が3月17日、入園式が4月9日に行われた。卒園式は外国人講師が紋付袴、日本人保育士は袴姿で列席する。今年は年少々からの4年間をランゲージ・ハウスで過ごした卒園児が多く、私にとっても感慨深いものだった。特に英語で外国人講師とコミュニケーションできるようになり、同時に日本語で日本人保育士とコミュニケーションをとる様子を見ていると、取り組んできたバイリンガル教育の進化系を垣間見ることができ、あと小学校の6年間があったらどんなにすごいことになるのだろうと思いを巡らした。卒園児を送り出すのは今年で4回目になる。小学校での英語環境の現実を聞くと、せめて卒園児たちの為になんとかしなくてはと思うことしきりである。ここは考えてばかりでは何も起こらないので、計画と実行あるのみかと思っていた矢先、文藝春秋を見ていたら「小学生に英語教えて国滅ぶ」という聞き捨てならない記事が出ていた。作家で数学者の藤原正彦さんの記事で、ご本人はケンブリッジ大学で学ばれた経験の持ち主、一体何の根拠があってのご意見かと記事を読んだところ、藤原さんの懸念は「教養なき世代」が現在の日本のリーダー層の中心になりつつあるというところからの心配であった。つまり政治家も財界人も発言が近視眼的で人間的な深みがないというのである。そしてその原因の一つが読書離れ、日本語離れという考えである。藤原さんは知り合いの商社マンの例をあげ、ロンドンで取引先の家に招待され、縄文式土器と弥生式土器の違いを聞かれ答えることができなかったという話から、国際舞台で活躍する人材を育てるには英語よりもまずは教養という意見である。また英語で大切なのは「英語をどう話すか」より、「英語で何を話すか」が重要であるとも言っている。そしてこれらを前提に、文科省が計画している総合的な学習の時間から計画のないままに15コマまでを外国語活動に使うことの危険性を懸念しているのだった。ただ藤原さんが言っている初等教育の段階で英語は必要ないという考えは多少時代遅れのように思える。確かに教養を入れる器は初等教育で作られるが、英語をニュアンスで理解できる力も早いうちからの方が望ましい。先にあった英語で何を話すかを目指すなら、英語のニュアンスを理解できることが大前提となる。これを中学や高校まで先送りにしていると、英語でどう話すか、つまり「これって英語で何ていうの?」からの始まりとなり、40年前の日本の英語塾的教育からは確実に脱皮できない。ランゲージ・ハウス幼稚部を設立した時に藤原さんと同じく、人間的教養無くして、英語を入れるのは無為に等しいと考えた。この考えは今でも変わっていない。ただ社会が英語に求めるニーズは年々変化している。人間の話す英語の役割がAIにとって変わる時がくるかもしれないが、だから今英語をやっても仕方がないとは思わないでほしい。英語をやっていたからこそ、将来AIとコラボできる仕事の方が多いと考える。その時のためにも早期英語教育の意義は大きいと考える。

貧乏神と福の神

1月の連休中、海外からのお客様を連れて温泉に行った。休みのせいか子供が多く、おじいちゃんおばあちゃんと温泉に来る楽しそうな姿が目につく。そんな時考えさせられるのが家族と子供の会話、特に言葉遣いである。特に大浴場の脱衣室での会話を聞いていると、レストランなどで同じ親子に会った時に一つの法則のようなものが見えてくる。今回の旅でも言葉使いの全く違う親子二組に遭遇した。会話の様子がよくわかるように台本的に書いてみる。
 一組目の親子は娘二人とお母さんとおばあちゃん。子供たちの年は3歳と5歳で、お風呂上がりで着替えている時のお話である。
 お母さん;「まいちゃん、お着替えは自分でしなさいね。」
 長女;「ばばに手伝ってもらう。」
 ばば:「今みほちゃんを手伝っているからちょっと待っていてね」
 長女:「どのくらい?」
 ばば:「5分ぐらいかしら」
 長女:「5分ってどのくらい?」
 ママ:「あそこにある時計の長い針が4から5になるまで。」
 次女:「じゃあ私が数えてあげるから待っててね。」
 次女が数を数えだすと長女は自分で着替え始める。
 
二組目はお母さんと4歳と5歳の年子らしき女の子たち。
 お母さん「早く着替えなさい。」
 次女「ママ、このボタン取れない」
 長女「ミクはママに甘えてるからだよ。」
 お母さん「いいから早くしなさい。」と次女を手伝う。
 長女「ママ、私のボタンもやって。」
 お母さん「何言ってんの、甘ったれないで自分でやったら。」
 長女「だってできないんだもん。」
 お母さん「もう!できないならずっとそこにたってれば。」この時点で長女は泣き顔。
 次女「お姉ちゃんはバカだね。」
 お母さん「全く何やってもダメね。」
 長女は二人からの責められ泣き顔で着替えている。
たかが数分の会話の中に、前者と後者の家族幸せ度の差を感じてしまった。朝のバイキングでも同じふた組の親子に出会い、朝の清々しい顔は一組目のお母さん、寝不足気味でむっつりしているのは二組目のお母さんだった。日常のたわいのない会話の中で子供達は成長する。反対にその何気なさに傷つくこともある。
毎日の育児や家事に追われる中、何度となく「うるさい!」「早く!」「全く!」「もう!」「いい加減にして!」などなど、感情優先の言葉を幾度となく発してはいないだろうか。そこに一呼吸入れて「ちょっとうるさいけど静かにできる?」
「さあ、何々するから早くしましょう!」「またやったのね、どうしてかな?」「もうもう、ママも大変だから助けてよ。」「はい、そこまでにしましょう!」
などに置き換えてみると家の中の雰囲気も変わる。私も5人の子供たちの子育て中は貧乏神のお母さんになりそうな時が多々あった。自分に余裕がないからとはわかっていてもどうにもコントロールが効かない。その経験から簡単なリセット方法は5分ほどトイレに入って自分を落ち着かせる。トイレには好きな雑誌や時には音楽まで持ち込む。できればトイレに自分の顔が見える鏡を置くいい。育児中は自分の顔が貧乏神にも福の神にもなる。つまりお母さんの顔つき次第で家族が幸せにも不幸にもなる。不景気な顔をして毎日文句タラタラのお母さんには貧乏神が本気で取り付く。逆に福の神のお母さんには、本当に福の神が舞い降りてくるかもしれない。

外国人が教えてくれる日本

新年あけましておめでとうございます。昨年もたくさんの応援をいただきましたこと心より感謝を申し上げます。2018年もみなさんの声援にお答えすべく、社会に貢献できる事業をクリエイトしていきたいと思います。

さて、外国人講師たちと12月22日にお疲れ様会をし、それぞれを里帰りに出し、逆に自分の子供達が里帰りしてくるという年末年始が恒例となっています。
講師たちは12月中旬ぐらいから顔つきが和み、ランゲージ幼稚部恒例のChristmas Showには満面笑み、多分心は既に故郷にありかもしれませんが、そんな講師たちを見ていると1年お疲れ様でしたと言いたくなります。日本人保育士をはじめ本当によく働いてくれるスタッフたちです。だからこそ息抜きも必要で、2週間近いクリスマス休暇は私自身も含めて新しいエネルギーをチャージする大切な時間だと考えています。 
………なのですが、実際私の年末年始は母親として一年で一番忙しい時期となります。子供達がそれぞれのパートナーを連れて里帰りしてきます。おまけにその友達とか、友達の友達とかが必ず現れます。日本の正月は既に世界でも名の知れたイベントみたいなもので、大晦日、お寺でのお焚き上げや除夜の鐘に始まって(日本人はこれが〆ですが、外国人にとってはイベントの始まりです)元旦のおせち料理、着物での初詣、記念撮影、かるたや書き初めといった日本古来の伝統遊び、お茶席(弟が茶の湯を鍛錬していてくれたことに感謝していますが)などなど、元日からの3日間は目の回るような忙しさです。外国人には日本の伝統文化をきちんと知ってもらいたい思いの一途です。
……ところが、大晦日に表参道にあるカフェに外国人と行ったところ、日本の文化の捉え方を少し変えなくてはいけないという気持ちになりました。場所は原宿の雑居ビルにあるキャラクターカフェです。なんと外国人の長蛇の列ができ待つこと30分、中に入ると不思議な森のアリスの日本バージョンみたいな内装のカフェで、皆あまり美味しそうでない不思議なランチプレイトを食べています。そのうち日本人の女の子が流暢な英語でナレーション、カフェ全体が暗転しショーがはじまりました。日本人スタッフが人形のキャラクターになって登場、踊りまくるという、別にどうってことないプログラム進行なのです。でも外国人たちは写メしまくりです。ショーは10分ぐらいで終了しました。一体これはなんだったんだろうと狐につままれたような気分でしたが、テーブルの上に置かれたレシートを見て現実に引き戻されました。なんとハンバーガーセット、照り焼き丼、そしてデザートにババロアケーキで¥8000です。ぼったくり?とも思いましたがお客さんの前なのでポーカーフェースを装って支払いましたが、着色料100%のケーキを半分ほど残してしまったのが悔やまれました。外国人たちはまた来たいと言っていましたが、私は二度と来ないと心の中でつぶやきました。
 一体外国人たちにとって何が日本的だったのか、エキサイティングだったのかを知りたくて聞いたところ、あんな狭いカフェでカラフル、パワフルなショーをしていること、メニューが奇抜なこと、例えばフレンチフライと一緒に食紅で染めた紫とオレンジのうずら卵がついてきたり、ハンバーグの味がすき焼き味で白滝が入っていたり、照り焼き丼にどっさりマヨが乗っかっていたりでtaste is so goodなのだそうです。確かに味覚よりも視覚でアピールする日本食を外国人向けに開発、商品化した凄さを感じます。それとどのスタッフも英語堪能で、ダンサーたちに至っては外国人とのコミュニケーション能力抜群、あっぱれな会話力でした。
 このカフェでの出来ごとは、私たち日本人が知っている伝統文化を見せるだけではなく、外国人が発見する日本文化を知ることで日本を再認識し、新しい日本を発信していくことの大切さを教えてくれました。翌日ファースブックで繋がっている世界中の友人たちから、日本に来たら寿司屋よりもこのカフェにいきたいとのメッセージが届きました。であれば、もう少し値段の安いところを探さないと大変ですが。

子供のしつけ

ランゲージ・ハウス幼稚部では年長組のお泊まり保育がある。園児たちにとっては友達や先生との楽しい思い出を作ることが目的であるが、私にとっては3年の間に園児たちがどのように成長したかを、同じ屋根の下で確かめることが目的である。
 この一泊旅行のコースは、油壺にある「小網代の森」での自然散策から始まる。
ここでは外国人講師とコミュニケーションを取れるか、どのくらい自発的に自然の中から興味あるものを発見できるかがポイントとなる。今年は冬のお泊まりだったこともあり、冬の林でどれくらい発見ができるか気になっていたが、小さい昆虫や植物を見つける子供の特技は季節を問わずに凄いことを見せてくれた。昼食はシーボニアヨットハーバーにあるレストランでのフォーマルなセッティングの中で子供たちのマナーを観察する。ここには一般のお客様もいるので園児たちはそれなりに緊張している。真っ白なテーブルクロスに銀のフォークとスプーン(安全を考慮してナイフはNGとなっているが、小学生になったらナイフとフォークに挑戦してもらいたい)が置かれ、係りの方が丁寧にプレートを配膳してくれる。園児が守らなくてはいけないルールは「ありがとうございます。」と「~ください。」英語ならThank youとPleaseだが、日本人同士なので丁寧な日本語を使い、またお友達同士の会話も大声を出さないこととなっている。このように書くと堅苦しい昼食会のように聞こえるが、きちんとした環境で食事を楽しむという習慣がつくと、食そのものへの関心も高まる。例えばいつもは手づかみで食べているフレンチフライ、園児たちにフォークで食べた時の味を聞くと、もっとジャガイモの味がするという。マクドナルドとの違いがわかってくれれば嬉しい。そして、大人にも難しい、というより日本で習慣化されていないのがナプキンの使い方である。口の周りをクワンクアンにさせておしゃべりしている大人をよく見かけるが海外では顰蹙をかう。少なくともランゲージ・ハウスの園児たちには良い習慣を付けてほしいので私もかなり口うるさく言う。食事も中盤に入ってくると自然にナプキンが使えている子供がいることに気がつく。やればできるである。
 ホテルでは合宿所さながらの大騒ぎとなるが、布団を運んだり、それぞれの荷物をきちんと整理したりするのは日本人保育士の指示で行われる。家族で旅行をするときは自発的にはしないと思われるタスクを与える。できないと言って放り出すのは勝手だが、自分の身の回りのことができなければ次のアクティビティーには参加できない。
 夕食は一般客もいる所でのビュッフェ。子供達にとっては好きなものを好きなだけとっていいといっても、いざたくさんの食べ物が目の前に並ぶと見る方に忙しく、5、6歳児では食べ物に対する欲がない。食べられるだけの量をとる子がほとんどである。これが大人だと、パスタの上にパンが乗っかったり、刺身の横にローストビーフがきて、その横にデザートが置かれたりと、食欲ではなく明らかに物理欲の塊と思われるプレートを持って右往左往することが多い。マナーもへったくれもなくなる。
 夕食後は一人¥500を持って売店で買い物をする。目的は家族への贈り物ということになっている。子供達に消費税のことを説明しても理解が難しいが、
¥500ぴったりのものが¥540になる現実を体験してもらい、お店の人に「これは消費税ですよ。」と言われた方が社会学習になる。昔は街の商店街のおじちゃんたちがお金の使い方や払方を教えてくれたが、今のコンビニはあまり教えてくれない。将来世界のどこかで買い物に遭遇し、自分の言葉で買い物できなければ生きていけないことを体験してほしいと思う。
 就寝前の一大アトラクションはランゲージ・ハウス恒例のお化け屋敷である。
保育士と外国人講師が練りに練って作るお化け屋敷には、園児二人が組になって部屋に入る。一番怖いのは、ロングヘアーの外国人がザンバラ髪になり押入れの中で懐中電灯を顔に照らし薄ら笑いを浮かべる瞬間だと子供達から聞いたが、私も背筋に寒いものを感じた。
 さて、子供達との旅を通して見えてくるのが、家でのしつけである。一年365日を家庭で過ごすのなら、幼稚園はたったの230日ほど、確かに一日に過ごす時間は長いとはいえ、幼児にとって家庭での時間はあらゆる意味で影響力が多い。結論から言う。時間がかかっても、イライラしても、電車に間に合わなくても、子供ができそうなことに親は手を出さないと言うことである。子供に「できない。」と言われても「教えてあげるからやってごらん。」と言う態度で挑むことである。私もそうだったが親はなぜだかいつも焦っている。まして「できない。」と言われると「では、私が」と反応する。これが2年3年経つうちに気がつくと何も一人でできない子供が育っている。 
 もう一つは挨拶である。自発的に挨拶のできる子は少ない。園内ではできるのに公共の場に出るとできなくなってしまう子もいる。私は挨拶というのは「気遣い」の一つだと思っている。他人を気遣えば自ずと声をかけたくなるものだ。自分のことばかり考えていると人のことはどうでもよくなる。海外では見知らぬ人でも朝道であったらGood morning、しかし日本人は皆下を向いてマスクをして歩いている。外国人からすると異様な光景だが日本人は普通だと思っている。下を向いていては挨拶などできるわけがない。親が下を向いて歩けば子供も下を向く。親の影響力は大きい。
 しつけは長い人生のほんの短い期間でしかできない大切なことである。それもある年を超えると有効ではなくなる。特に幼児期のしつけはダイヤモンドの原石をカティングし磨に等しいと思っている。ランゲージ幼稚部はしつけを重んじる、がしかしそれが習慣となって家庭で継続されない限り意味がない。学校と家庭の協力体制の重要性を感じている。
  

2020年への目標 ?バイリンガルスクールとインターナショナルスクール

ランゲージ・ハウスは開園してまだ6年目の幼稚園である。開園当初は2名の園児でスタートした。たかが6年前であるが、その頃はバイリンガル保育と言ってもピンとこない保護者が多く、ほとんどの方が英語のみのインターナショナルスクールと思って見学し、そのほとんどが願書を取りに来なかった。それから6年、世の中には客観的に日本の将来、そして子供たちの将来に先駆けてどのような教育が必要かを考える保護者が明らかに増えてきた。
 私は5人の子供のうち3人をインターナショナルスクールに送った。ニューヨークから帰国した時、長女と次女は中学生、長男が6年生、次男が4年生、三女が幼稚園だった。長女と次女はまるでインターナショナルスクールに行くことが当たり前のように思えての選択だった。今考えるともう少し私と主人に経済観念があり、将来設計をしっかりしていればこの選択はなかったと思う。要するに考えが甘かったのである。ニューヨークに20年も住んで今更日本の学校などには行けないというおかしな観念があった。帰国子女はインターナショナルスクールが当たり前というような風潮もあった。まさにお金もないのにブランドバックを買ってしまったような学校選択の現実は、大いに我が家の経済を逼迫し、親に借金、銀行に借金を抱える始末になった。そして「誰もいなくなった」という映画のタイトルのように、日本には3人とも住まなくなった。そしてそれから数年、親は教育ローンの返済に追われ、残りの2人には日本の公立校へ送るのがやっとだった。ところが今振り返るとこれは大変有意義な選択というより、NO CHOICEからの副産物であった。。なぜならインターナショナルスクールに行かせることができなかった親のギルティーな気持ちもあって、日本での生活の中で色々な国の人達と接する環境を作り、また日本にくる外国人とのキャンプやら共同イベントやらに積極的に参加させた。同時に日本語は日本の学校でしっかり叩き込み、英語の成績が悪くても何も言わないが、国語の成績が悪いと説教した。ただ日本の学習塾だけは行かせても本人が嫌いだったので効果は全くなかった。なので効果のないものにお金は払わないとして
以後塾は頼らないという方針を貫いた。これも結果的には他人に頼らず自分の力の範囲内で自分の行きたい学校を選択する力を育むことができたと思っている。そして今子供達5人はそれぞれ自分の選んだ仕事で活躍しているが、ふと考えるのはインターナショナルスクールに通常の3倍の学費を費やした投資還元ができているのかという疑問である。(続く)

ランゲージ・ハウス幼稚部のプリンシパル その3

ランゲージ・ハウスのプリンシパル その3 「日本人力」

「日本人力」とは、海外での生活、また国内においても外国人と交わっって行くために必要とされる力である。特に今後日本の子供達には不可欠な力となると言っても過言ではない。私自身、海外で生活をしている時、自分にもっと日本人力があたらと思うこと多々であった。例えば友達作りである。ニューヨークで最初に飛び込んだのは国連が運営している英会話学校だった。そこにはベビーシッターで北欧からきた若者、外交官のご主人についてきた奥様たち、アメリカで仕事を見つけた移民たちとあらゆるジャンルの人たちが英語を学びにきていた。クラスが終わるとフリートークが始まるのだが、来る質問のほとんどは日本の文化に関するもので、一番多かったのは神道と仏教の違いだった。これを語るには神社やお寺の環境、そこにある諸々のもの、例えば鳥居、賽銭箱、おみくじなどをどう説明するか、神社の多神教をどう説明するか、お寺でも結婚式を行うことをどう説明するかなど、文化的知識を必要とする。で、答えられないと
親しく付き合いたいという相手の興味の対象からは外される。例えば日本人はフランスやフランス文化が好きだ。フランス人と話すとパリの話やワイン、チーズの話になるが、彼らにとってそんなことはどうでもいい。それよりもどのくらい日本について語れるかで、次の食事会に誘ってくれるか、ワイン情報を教えてくれるかが決まる。つまり自国の文化を語れずして親交なしぐらいと思っていい。ビジネスの世界でも同じである。サントリーの創設者鳥井信治郎は接待中にビジネスの話をするのを禁じていた。それよりも大いに日本を語れ日本をPRしろと営業マンを励ましていた。ビジネストークだけで売るウイスキーはただのウイスキー、日本を語りながら売るウイスキーは日本を代表するサントリーのブランドウイスキーと考えていたらしい。
 さて、具体的に幼稚部での日本人力はどのように育んでいるかを説明する。ひとつはマナー。日本伝統のマナーは世界の中でも美しいとされる。お辞儀をする、靴を揃えるなどの動作から、こんにちは、ありがとう、さようならという日本語、また人への心遣い、日本人としての優しさ、そして強さ、これらを外国人の先生にも自然に伝える箏ができる習慣を毎日の保育の中で育んでいる。ただこの部分を本当に習慣化するのは、英語を教えるより難しいのが現状である。なぜなら家庭での習慣化のサポートが必要である。ご両親が率先して品格のある言葉を子供達と話、時には直してあげたり、使えるようになったら褒めてやったりを実践してほしい。
 もう一つ園では、日本の伝統文化に沿ったプログラムを通して、日本人としての意識を高める保育を行なっている。七夕、夏祭り、お月見、書き初めなど、外国人の先生にも子供達が教えてあげられるような日本文化のイベントを実施している。また現在、アメリカとフランスの幼稚園との文化交流を行うなか、日本からは子供達のアイディアで日本を知ってもらう作品を送り、海外の幼稚園からも独自の作品を送ってもらう交流を行なっている。
 このように園児たちが自国の文化や伝統、日本語を意識する中で育まれるものは将来においても子供達の身につく大切なものと確信する。

ランゲージ・ハウス幼稚部のプリンシパル その?

コミュニケーション力

先日あるテレビ番組で、2020年から本格的に導入される公立小学校での英語教育に関してネガティブな意見が交わされていた。日本語もままならない子供達に英語を教えても意味がない、外国人講師は道徳を無視して言葉だけ教える、日本人教師の負担が益々増える、英語よりも数学を教えたほうがいいなどと
考えられる限りの英語教育デメリットを論じていた。私はそんな番組を見ながら、一部の日本人が英語に抱く意識は戦時中と変わっていないのではないかと不安になった。島国ジャパンの弱さは海の外の現実を見ようとせずに、守りとその排除だけを考える。アメリカは戦時中により多くの兵士に日本語を学ばせて敵を知ることで戦略を練り勝利した。同じように、将来日本人が生き延びていくには、コミュニケーションツールとしての英語を最大限に活用し、時には武器として、時には自己をPRするツールとして、英語を第二の言葉とすることが必然となる社会に適応することだと考える。コミュニケーション力は幼児期に育むことによって一生揺るがないものとなると思う。それを育む環境はバイリンガルの方がいい。3ヶ国語の環境でも子供は順応する現実を海外で見ている。コミュニケーション力は適応能力と深く関係しているので子供たちがあらゆる人種とのコミュニケーションに適応できる柔軟性が、語学力そのものを伸ばす要因にもなる。私がニューヨークに住んでいたころ、毎週のようにホームパティーをしては呼んだり呼ばれたりしていた。必然子供たちもゲストに挨拶したり、時には一緒に遊んでもらったりという中で世界中の人たちと違和感なくコミュニェーションできる能力が育まれたと思っている。そして今、それは仕事のあらゆる場面でプラスに働いている。今考えると時には外国人との付き合いが面倒なこともあったが、ニューヨークで楽しく生きるためには、あえて家族をグローバな環境に置くことで道がひらけたと思っている。
 さて、ランゲージ・ハウスの幼稚部でどのようにコミュニケーション力を育むのかと言うと、二つの学習に分けられる。一つは毎日行われるアカデミックな英語学習、もう一つは生活の中で行われるバイリンガルな環境順応学習である。英語学習に幼児が集中できるのはマックスで30分、年少ならば20分である。短時間学習を毎日行い、英語の基本を身につける。環境学習は前回紹介したLEADER BOARDに基づき、園内に12種類のタスクを設定し、それぞれのタスクに外国人、または日本人保育士がつくことによって園児たちの言葉は使い分けられる。これを3年間継続した成果が「コミュニケーションツールとしての英語」を自分のものにできるというランゲージ・ハウスのプロンシパルにつながる。開園して6年目に入るが、今大きな手応えを感じている。

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