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ILH代表黒部のブログ

ランゲージハウスの目指す教育 3

ランゲージ?ハウスでは外国人英語講師の派遣を行っているので、いろいろな園や学校の方々と英語学習や、教育に関しては話す機会がある。また課外クラスとして行っているTravel Kidsでは、保護者の方々のディマンドを聞く事ができる。そこで今回のテーマはProgress つまり英語学習の効果をどうやって見極めるかということについて話したい。結論からいうと、英語学習の本当の伸びを1、2年で見ていく事は難しい。なぜなら何をして英語が伸びたというのかということである。例えばMonday~Sundayまでを言えるようになりました。
ところがこれをFridayから言ってみましょう。あるいはSundayはどんな日?という質問をすると週1回の英会話授業では、ほとんどの生徒が答えられない。
彼等にとってはMonday, Tuesday, Wednesday,は機械的な曜日で、それを先生が「はい、せーの、言ってみましょう」と大きな声で発音して、まねすることができても英語があまり好きでない子はお口をパクパクさせるだけである。
 例えば水泳なら、早く泳げる、長く泳げる、バレーならフォームが決まっているなどと、目に見えるProgressがある。しかし英語はたとえ子供たちの口からいくつかの単語が聞こえて来たにしろ、それがしっかり身に付いていなければ早くて1週間、せいぜい2週間もたてば忘れてしまう。なので週1回の英語学習ではインスタントProgressしか聞く事ができない。そうなると、いったい私の子供は英語を習わせる意味があるのかということになる。まして家で英語を話してごらんと言ったところで子供たちは反発するばかり、増々英語学習に対する不信感がふくれる。実は同じ体験は私もしている。アメリカにいるときにかなり厳しく日本語を習わせようとやっきになった。日本語学校は週1回あるけれども、本人たちにやる気がないので上達は望めない。どうやったら上達するのかとそればっかりが気になり、それと同時並行で子供たちは日本語嫌いになった。
さて、Progressへの結論である。語学のProgressは、特に英会話はその学習そのものがProgressというほかにない。これは生き物と一緒で面倒を見てやらないと息絶える。週1回なら他の6日間家できちっと餌をやらないと消滅する。
毎日学校で英語ができるのなら、毎日が上達への階段ということだと考えてほしい。ちなみに日本語嫌いになった子供たち、毎日「アンパンマン」を見せる事で驚くほど日本語に興味を持ち始めた。そこをめざとく見極め、アンパンマンの本、教育ゲームなど、アンパンマン尽くめにしてやった。日本語は飛躍的なProgressを見せた。(つづく)

ランゲージ?ハウスの目指す教育 2

ランゲージ?ハウスの目指す教育 2

さて、ホームスクールについて、アメリカで見て来た体験からもう少し話をする。ニューヨークでブルガリアから来たファミリーで出会った。奥さんはブルガリア航空のパイロット、ご主人は大学でブルガリア文学の非常勤講師をしていたが、英語でコミュニケーションをとるのはなかなか難しかった。娘のアナは一人っ子で、面倒はいつもご主人がみていた。アナが幼稚園に上がる年、夫婦はホームスクールを選択した。理由はアメリカの幼稚園の月謝が高すぎるということだった。たしかにアメリカでの幼児教育にはお金がかかるが、ブルガリア航空の幹部なら支払いに問題はないだろうと、私も興味本位でそれとなく聞いてみた。彼女いわく、幼稚園が月謝を払うに見合う教育をしてくれれば文句はないが、アメリカの幼稚園はカジュアルすぎてマナーもなく、自己主張はするが相手の話を聞く子供に育たない、と辛口の意見だった。
もうひとつホームスクールを選択したファミリーは、アメリカ人のファミリーでご主人はもと保育士、奥さんは夜クラブで働いていた。非常に教育熱心なファミリーで、将来子供をスタンフォード大学に入れたいという明確な目標を持っていた。ご主人がホームスタディープログラムを作っていた。良くできていて、毎週1回はメトロポリタン美術館に通い、パパによる水泳レッスンランニングと体を鍛えるメニューも組まれていた。またセントラルパークが子供たちで込み合う時間をみはからって、集団の中で遊ばせることをも実践していて、実はこの家族子供が3人いるのだが、一人はベビーカー、一人は歩き、一人はパパの背中におぶわれての公園が通いだった。さて、ふた家族とも子供たちが小さい頃のホームスクールは順調そうだったが、年長ぐらいの年になるとそう簡単ではなさそうだった。ブルガリアの方はアナが友達を求め始めていた。語学力ある子で、英語が今一のパパと過ごしていても、テレビなどの影響なのか、英語でのコミュニケーションのできる子だった。でもアナがもっと遊びたくても、幼稚園の子供たちとの接触は外遊びの時ぐらい、パパとお家に帰りたくなくて、よくだだをこねていた。アメリカ人の方はというと、夫婦の離婚だった。この現実によってご主人の教育モチベーションが低下してしまったようで、以前のように勢力的には子育てしていない感じを受けた。
ホームスクールは親の意思で選択されるものであるが、この二つの例のように、これもまた親の都合や、子供の精神的成長の変化についていけないことが様様にしてある。その後、ふた家族の子供たちは、私の子供たちと同じ幼稚園に入園してきて、まるで水を得た魚のように元気に集団になじんでいた。
私がアメリカで見たホームスクールの実際は、朝日新聞に書かれているようなホームスクールを個性的なものとして肯定的に取り上げる記事を鵜呑みにしないでくださいという思いがある。個性的とは集団の中でこそ、魅がかれ光っていくものだと考える。子供の教育は、彼らが社会に出たときに困らないよう、また役立つための基盤を作り、その上に個性を育てていくことが、より現実的だ

ランゲージ?ハウスの目指す教育  (1)

今朝日新聞で「世界は日本は」というサブタイトルで、世界の新しい教育に関する記事が連載されている。1月5日付けの記事で、「望む学校 市民が作る」という記事があった。デンマークでは、子供を通わせたい学校がない場合、親たちが「フリースクール」を自由に作れる。公立と同等の学力をつけることが求められるらしいが、運営費の7割を政府が助成するので、授業料も公立校とさほど変わらないという。

私の住んでいたアメリカでも「チャータースクール」というのがあった。既存の教育にとらわれず、授業の時間やカリキュラムを自由につくれる。出資はその教育内容に賛同する親や、企業などからの寄付金が主になる。また「ホームスクール」といって、カリキュラムを親が自由に組み立て、住んでいる町から許可を得る。インターネットを使って、公立校からの授業をオンラインでも受けられる。以前は交通機関のない僻地で、学校に行くまでに何時間もかかる子供たちがホームスクールを受けていた。今でも、オーストラリアなどでは、アイスクリーム一つ買うにも車で40分以上走らなければならないような田舎に住んでいる子供たちの多くは、地理的な理由からのホームスクールが一般的である。ところが今、フリースクールを選択する理由は、地理的要因から、親や子供のディマンズが要因となっている。子供や親が既存の学校に満足できなかったり、また共同生活になじめない子供たちの親がホームスクールを選択する。
日本でも不登校になった子供たちのためのフリースクールはあるが、公的には認められていない。

ただ、である。私自信はフリースクールに諸手を上げて賛成できない。
なぜか、それはアメリカ在住時代にたくさん自分勝手な子をみてきたからである。
ランゲージ?ハウス幼稚部の教育方針の柱である「自分力」これは自分だけの力
や、個人行動から生まれるものではなく、他人との共同生活の中で培われるものであり、本人が自覚していっくものである。もちろんフリースクールを選択したすべての子供たちが自分勝手なわけではないが、行きたいときにトイレにいき、コーヒーマグ片手にノートをとる。起き抜けの髪の毛もじゃもじゃ姿でも、パソコンを前にした授業なら受け入れてくれる。好きなことはするけど嫌いなことはしない。こんな環境で育った子供たちが社会に出たときに受ける衝撃は大きい。現実の社会はフリースクール出身者にきびしい。すべての人が自分と同じ趣味ではない、好きなときにすきなことばかりはさせてくれない。フリースクールでアカデミックな知識は養えても、社会人としての社会性は人間社会で生きていく限り必要不可欠と考える。(つづく)

年の初めに

2014年が明けた。いつもと同じ朝を迎えるだけなのに、ほとんどの日本人が、自分にとって特別の朝を意識する年に一度の朝だ。日本人の新年に対する思い入れは、世界でもダントツに強い。昨日の大掃除は朝早くからてんやわんやで、午前零時までにいろいろなことを済まさないといけない。というか忙しくないといけないらしい。新年に食べなくてはいけないおせちの支度、神様が新年にやってくる時によくわかるように家々にはお飾りが付けられ、新年の挨拶である年賀状は元旦に届くように準備する。除夜の鐘がなる前に蕎麦を食べ、近くにお寺があれば除夜の鐘を突きに出かける。とにかく12月31日に、こんなに忙しく、しなくてはならないことのある文化は、世界広といえども、日本をおいて他にはない。ところが最近この文化に変化が起こっている。まずおせちは作るものではなく買うものになった。10月のハロウイーンが終ころから、おせちの予約広告が目につくようになった。外国人などがその広告を見ると「ターキーのすぐ後にNew Yearのお弁当を考える日本人は宇宙人よりすごい!」とびっくりする。確かにおせちとクリスマスケーキの広告が寄り添ってコンビニの店頭に出てくると、新しい意味での日本文化を感じる。大掃除も忙しいのはダスキンぐらいかもしれない。私が子供の頃、母方の実家が寺だったせいか、大晦日になると仏壇の小物をホリッシュとかいう液体で磨く手伝いをさせられた。磨いてもなかなか奇麗にならないし、お小遣いを貰えるわけでもなかった。が、数日後にはお正月、つまりお年玉の額を見越しての手伝いだったので簡単に職場放棄できなかった。 自分自身の身支度を整えるのも、お正月を迎えるに大切な儀式だった。小学生の頃、近所の友達が新日本髪とやらを結うのが羨ましく、私も母親にせがむのだが、「お家のお手伝いをしたらね。」とあしらわれる。私は家の手伝いをするより、よそで働いた方がましと思っていたので、小学校6年の時に近所の八百屋に頼み込んでアルバイトをさせてもらった。今考えると、雇う側も迷惑千万だったと思う。しかし寺の孫に頼まれては断る訳にもいかなかったのだろう。「美子ちゃんはすき焼きの具係おねがい。」ということになった。白滝と焼き豆腐、ネギの販売を担当した。白滝は今のようなビニールパックではなく、樽の中の冷たい水にふよふよ浮いているようなやつで、手を入れると全身が縮み上がるように冷たくなる。焼き豆腐も同じ。ネギは泥ネギの束から、お客が買い求める本数だけ抜き出す、なので手は真っ黒になった。さて、八百屋の話はさておいて、アルバイトが終わって美容院に駆け込む。その時分は大晦日というと新日本髪を結いにくる女性たちで満員だった。でも簪を付けてもらい、スプレーでカチカチとした髪になると、明日はお正月というやる気満々の気分になるから不思議である。着物は二の次、とにかく新日本髪がお正月そのものだった。除夜の鐘を日本髪でつくと、なんとなく気分がよかった。今は全身ユニクロである。地球温暖化になっているのにである。
さて、ここで改めて日本の大晦日とお正月の今を考えてみたい。生活が便利になったせいか、大晦日は昔ほどの忙しさはなくなったが、作ることの騒がしさがなくなった分、買うことの忙しさに翻弄されている。お正月はというと、1日から大売り出しを始める店が出現しているせいか、いつもの日常とかわらないお正月があってしらけてしまう。1日から買い物に出かけないと一年に乗りおくれてしまいそうな、だからカルタ、百人一首、羽根つき、花札、福笑い、書き初め、凧揚げなどといった日本文化を象徴する日本のお正月などやっていられないのだ

2014年、ランゲージ?ハウスの目標は、日本人のためになる英語教育である。
日本人が自国の文化に誇りを持ち、それを美しいものとして海外に紹介し、同時にグローバル社会で悠々と泳いでいける、そのための語学力を養うことである。世界を見回すと、新年には親たちが子供たちに国の伝統を伝える儀式や風習が色濃く残っている国がたくさんある。これらの国の教育水準は高く、世界で活躍する若者も多い。日本はというと、コマーシャリズムに流された新年のスケジュールや儀式を適当にこなしているかに見える。今私たちはもう一度原点に戻って、日本の大人が誇りを持って子供たちに伝承できることを考えたい。せめてお正月の3日間、子供たちが自分の親を誇りに思う何かを探し、実践してみたい。

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